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前稿につづいて、戦場で命を懸ける武士たちの姿を追う。◉鎌倉景正の場合歌舞伎役者の市川團十郎の十八番に『暫(しばらく)』がある。『暫』は、日本のヒーローものの元祖だ。超人的な力を持つスーパースターが主人公。ストーリーは単純明快な勧善懲悪ものだ。善良な男女が悪人に捕らえられて、まさに殺されようとしたときに、し~ば~ら~く~という掛け声とともに現れた正義のヒーローが現れて、大立ち回りで悪役をやっつける。ヒーローの名は鎌倉権五郎景正。鎌倉権五郎景正(1069〜?)は、平安
綿津見神社福島県飯舘村にあります。御祭神は、闇於迦美神(くらおかみのかみ)五十猛神(いそのたけるのかみ)大綿津見神(おおわたつみのかみ)玉依姫神(たまよりひめのかみ)鎌倉権五郎景政(かまくらごんごろうかげまさ)です。県道12号線の原町川俣線からちょっと外れた所にあります。入口となるT字路の信号には大きな石碑がありますので目印になります。綿津見神社も全国にいくつかあります。御祭神が海の神様なのである程度巡ってる方はあれっ?となるかもしれません。その辺りも含めて紹介していきます
令和6年、最初のキック・ザ・ツアー。成就院が管理する虚空蔵堂から更に長谷駅方向へと進み、江戸時代・寛政年間の建物を遺す和菓子屋さん“力餅屋”の角を曲がると、御霊神社。↓鳥居のすぐ前を江ノ電が走るという立地で、江ノ電と鳥居のセットで撮影をしたいと思う人が増えている。その関連で何かトラブルでも有ったのか??近年は境内撮影禁止となっているので、この日の、ここから中の写真は無い。御祭神は、鎌倉権五郎景政(かまくらごんごろうかげまさ※坂東平氏の一族)。平安時代、奥州での「後三年の役
#おつかれさまと言いたい人先日の愛の武将隊さんの「拝見!出羽テレビんだず」で、二か所目のデジタルスタンプゲットの場所熊野大社前の大イチョウが映りましたが、あれは鎌倉権五郎景政様が植えられたという木なんですね。初めて訪れたのは2016年あたりかなそう、ごんごろーは清原紅蓮隊さんのこの方なにやってんですかっ!?落差の激しさが魅力で、当時、この大イチョウを見て来ましたとご報告しましたら「あの時は大いちょがしだった」と・・・・・1000年も経ってし
鎌倉景政の目に刺さった矢を抜くエピソード、『三国志演義』の夏侯惇に似たような話、単なる武勇伝だと思っていましたが、なかなか奥が深いようで・・・。以下、沢史生『閉ざされた神々――黄泉の国の倭人伝』(彩流社、1984)より引用です。ーーー第2章小正月の鳥追い庶民には歓迎されなかったお正月さんp.29『菅江真澄遊覧記』の「氷魚[ひうお]の村君[むらぎみ]」に、1月16日の夜明け、秋田県八郎潟できいたわらべ唄として、朝鳥ほいほい夕鳥ほいほい長者殿の囲地[かくち]さ鳥が一羽おりた
本日、「九月博多座大歌舞伎」の千穐楽(せんしゅうらく)でした。おめでとうございます!舞台は授かり物✨幕が開いて、おめでとうございます。無事に千穐楽を迎えて、おめでとうございます。本当にめでたいです。コロナ禍前より、舞台観劇のありがたさが、しみじみと感じられます。コロナ禍の時は、千穐楽を迎えられずに、公演中止ということもありましたから写真は、博多座2階の客席ロビーに飾られていた「博多人形『暫(しばらく)』」です。「いつかこの光景を博多座の舞台で…」という願いが込められて、24年前
『暫(しばらく)』の主人公、鎌倉権五郎(かまくらごんごろう)の衣裳(いしょう)は独特で、インパクトがあります。衣裳の総重量は、約60キロ!平安貴族の十二単(じゅうにひとえ)が約16キロ。花魁(おいらん)の衣裳が約30キロ。まいまいは十二単を着ましたが、想像以上に衣裳からの圧迫でした体幹と筋力がないと、十二単を着るだけで具合が悪くなります。歩くのにも気合いと気迫が必要です。権五郎の衣裳60キロを着用すると、どうなるのでしょうか。しかも、「午前の部」の『景清』で、散々、立ち回りをした
全国の鎌倉さん、大庭さん、梶原さん、村岡さん、長尾さん、香川さん、長江さん、毛利さん樫尾さん、懐島さん、豊田さん、俣野さん、小坂さん、酒匂さん、金井さん、柳下さん、集まれ!鎌倉氏1,100周年記念イベント鎌倉一族シンポジウム(講演会・座談会・交流会)9月18日(月祝)13:00~15:00講演会15:00~17:00座談会・交流会講師鎌倉智士鎌倉生まれ、鎌倉育ち、本名鎌倉、鎌倉一族(敗者)からみる鎌倉の歴史鎌倉は源氏ゆかりの地と言われているが本当にそうなのか???※鎌倉智士
これは『東京(小岩)開運相談』をしている時に分かった事です。今から約900年前に、岩手県で起きた【後三年の役】で活躍された侍の前世を持つAさんがおります。このAさんは≪特別な理由がない≫にも拘らず、何故かBさんの事がどうも好きになれないようでした。このAさんには現在K君というお子さんがいるのですが、このK君の前世は『鎌倉権五郎景政』という侍でした。この『鎌倉権五郎景政』は【後三年の役】で、Aさんの部下として大活躍されていたのですが、ある時、戦が沈静化した事もあり故郷の鎌倉へ帰ろうと
今日は朝から曇っていたが夕方から晴れた。夕方から風が出てきて涼しくなったが日中は湿度が高くて蒸し暑い日になったな(ーー;)長谷寺を出て、帰ろうと歩いていると鎌倉権五郎神社(御霊神社)と書かれた看板が…この先にあるようだ。予定にはなかったが行ってみる事に…鳥居が見えたが境内は撮影禁止と…一度境内に入ってからもう1つあった鳥居から外へ…線路沿いにある神社だった。これは拾ってきた画像だが境内は神域です撮影禁止と書かれていた。後で調べてわかったのだが、2021年5月22日から撮影禁止となっ
神奈川県鎌倉市坂ノ下に鎮座する御霊神社です江ノ電の踏切の先にお社はありますが、、、ご境内、写真撮影禁止なので画は少ししかありません。電車来たwwこのあと、、、極楽寺駅から鎌倉駅まで電車乗ったんですよね。江ノ電って、、、小っちゃい電車でなんか楽しいですよね(^o^)非鉄だけど、、、電車が来ると撮りたくなっちゃいますね~~~www御霊神社、、、御祭神は桓武平氏の鎌倉権五郎景政公だそうです、、権五郎公は平安時代の武将で、、後三年の役で勇名をはせ(左
鎌倉殿の13人ゆかりの地巡りを、またまた放ったらかし状態😂😱戸塚区の三島神社の次は、鎌倉市梶原の御霊神社へ…御霊神社の社号標と参道一の鳥居二の鳥居梶原景時の幟旗水盤遺構でしょうか…御霊神社の由緒書拝殿建久元年(1190年)梶原景時の創建と伝わります江戸時代までは、鎌倉権五郎景政夫妻の像🗿を御神体として祀り、梶原景時の像も安置されていたと言われていますご神祭鎌倉権五郎景政狛ちゃん葉っぱ🌿咥えてる?なんか見かけない狛ちゃんだなぁ~拝殿の向こう側に石段が見えます上
12月5日鎌倉殿の13人ゆかりの地巡りの12日目最初に訪れたのは横浜駅戸塚区深谷三島神社を目指します横浜市ですが、大船や鎌倉寄りですGoogleMap通りに歩いて来たら、こちらを案内されました地図には載ってない様な道になるようですちょっと不安になるような道ですが、進みます神社に着くのかなぁ~😅鳥居が見えました〜😂社殿側からの鳥居鳥居から真正面の社殿手水舎三島神社拝殿文治年間(1185〜1190年)に梶原景時の創建と伝えられ、梶原景時の祖鎌倉権五郎景政を祀り、御霊社
中津構居(加古川市加古川町中津)別名:中津城・中津構播磨鑑(宝暦十二年)に、「梶原冬庵古城跡大野郷在中津村今農家ノ居屋敷ト成鎌倉権五郎景政ノ末葉天正年中秀吉ノ為ニ神吉ノ城ニ於イテ討死ス」とあり、播州古城記には「中津城中津村鎌倉権五郎景政の末葉梶原十右衛門の居城他天正年中神吉式部貞範に従いて討死す」と記録されている。(※現地説明看板より)中津構居跡(若一王子権現)現地説明看板と中津構居碑加古川市の城
豊布都神社(とよふつじんじゃ)奈良神社を後に県道葛和田新堀線を熊谷市内方面へ歩きます。この通りはのどかそうですが、車の往来は結構あります。国道407号と17号バイパスとの近道というか迂回路というのか9月17日(土曜日)です。ひまわり畑この後台風でなぎ倒されてしまったようです豊布都神社です。県道を少し入ったところに有り特別案内もありません。社殿はこれまたこじんまりとしていました。狛犬これまた足元の御
たまたまなのですが、ネット場の色々なやりとりの中で…たまたまこの日は三人の予定が合いました。『富士高天原』のまさに中心にかのようなAちゃんとそのママ友、歴史大好き❤のBちゃん。そして自分が誰なんだかよくわからないけど『犬も歩けばナニカに当たる』のわたし。昨日、『龍とそばかすの姫』などを観ながらやりとりやりとりをして、(直前かい!)およそ行きたい場所やランチ場所などの大枠が決まった。ではでは、今日、9時に某所で待ち合わせ。(プランはばっくりと!)最初に訪
鶴ヶ峰坂長さ二町(218m)の急坂で旧無八王子街道の難所であった。馬の蹄鉄を造った鍛冶屋が坂の両側にあった。相原精次著『神奈川の滝』に記載されていた「白根不動・白糸の滝」を確認しに出かけた。鶴ヶ峰は畠山重忠ゆかりの古戦場。見るべきものが多い中で、その最たるものは地形ではないかと考えた。横浜の住宅地はとにかく坂ばかり、山岳地帯と言っては大げさかもしれないがかつては峰々の続く山中だったことを想像すると、馬も人も大変だ。白根神社鳥居相模鉄道(相鉄線)鶴ヶ峰駅下車。帷
こんばんはmakochanは、台風🌀の合間を縫って、友達に会いに神奈川県に行ってきました天気予報とにらめっこをして、「行ける!」と判断したのです(危ないので、良い子は絶対に真似しないでね‼︎)私、何故だか、無性に、長谷寺(鎌倉)の十一面観世音菩薩像(長谷観音)に会いたくなりまして神奈川県在住の友達に会う前に、寄ってきたのです9月18日(土)の朝。出発時、宮城県は気持ち良いくらいの晴天でした。東京〜鎌倉は、雨時々土砂降りでした。鎌倉駅から江ノ電に乗り、長谷駅に向かいます江ノ電だ
光念寺の次は同じく三崎漁港にある海南神社へ〜海南神社鳥居漁港からすぐの場所にあります狛ちゃん鳥居神額由緒書鎌倉権五郎景政を祀る御霊神社源為朝を祀る疱瘡神社神橋を渡ります手水舎ニノ狛ちゃんの奥には龍神社🐉境内案内図福徳稲荷神社力石建久3年(1192年)祈願成就の為に源頼朝がお手植えした銀杏の木乳の様に伸びている雌の銀杏の木安産祈願の場所でもあるようです続く〜
三崎の街へ足を運ぶようになったのは、「朝めしあるべ」の噂を聞きつけてからである。同じ三浦半島にありながら、その先端にある三浦市へはビーチコーミングの三戸浜や風力発電の風車のある宮川公園あたりが主なドライブの目的地だった。距離的にいえば、そこからほんの数kmではあるのだけれども、三崎の街そのものへいったのは、漁港にある「うらり」というマグロなど産直品を扱うマルシェができた頃(もう20年位前かな)以来となる。その頃はまだそれほど神社にも狛犬にも興味を持っておらず、海南神社の正確な位置すらちゃ
確かに❗️鎌倉権五郎景政さんが大きいから⁉️花道もお舞台も小さく感じました‼️
ず〜〜〜っと前から、歌舞伎役者さんを浮世絵の大首絵で描いてみたくて、日本画教室へ習い行くようになりました。大分前から日記代わりのブログはやっていましたが、日本画で描く絵だけに絞って、マイ記録として残したいなと思いこちらのブログを作ることにしました。ですが、コロナ感染でかれこれ二年以上教室はお休みしています。歌舞伎観劇も三年近く観にいけていません。コロナでお休みする前、初めてオリジナルで描いた歌舞伎「暫」の主役「鎌倉権五郎景政」です。月に二回の教室で、
こんばんは。勸玄くん、遠足が終わるまで雨に降られなかったのですね。良かったです。海老蔵さん、鎌倉権五郎景政のお衣装、お布団をぐるぐる巻きされている感じの分厚さですね‼️
沢山のものを身に纏うのですね鎌倉権五郎景政さま六日目のお舞台頑張ってください
お仕事おつかれ様でした体重をコントロール出来る海老蔵さん、さすがです鎌倉権五郎景政さんを演じることが出来る海老蔵さんが凄いと思います。
今日なにげに百貨店の郵便物を見ていたらえらいもんがありましたよリヤドロの鎌倉権五郎高さ73センチ幅47センチ奥行55センチ5月下旬発売予定らしいです力紙(ちからがみ)や五本車鬢(ごほんくるまびん)仁王襷(におうだすき)も忠実に拵えてありますでもポキッ!といきそうで怖いですね(そんなん思うの私だけか?)でも顔がねぇチョッと好みでないもっと好みでないのはプライス1595000円今は円安だから6月1日以降値上がりするかもです5月の歌舞伎座
鎌倉を散策しました。そして、久しぶりに、力餅を買いました。極楽寺から、坂をくだって、御霊神社に行く道の、角。力餅家。並んでいる人たちを見ると、久しぶりに、食べたくなって。狭い店内。四人ずつの入店で。権五郎力餅は、春先から、五月中旬は、季節限定の、『草餅』。それもあって、食べたくなって。鎌倉権五郎景政。5月の歌舞伎座、團菊祭。第二部の『暫』で、登場します。演じるのは、市川海老蔵。以下、『力餅家』のサイトから。『力餅家』と、『権五郎力餅』の説明です。300年以上、9代続く
2018夏の旅新潟北部~山形中西部(8/9~18)その33丸池様8/15(水)③孵化場そばに架かる橋を渡り、観光パンフレットに載る「丸池様」を見に行く。牛渡川はこの橋の下流に、梅花藻の揺れる姿が美しい。雑木林の中へと続く道を進むと、すぐに池が見えてきた。この一帯は大物忌神社の境内、という扱いらしい。牛渡川の孵化場下手には梅花藻が揺れる鬱蒼とした木立の中、姿を見せた池は澄んだ青色の水をたたえ、光が差し込んだ池の底からは砂
東京での仕事の合間、東京国立博物館にやって来ました。目指すは、表慶館。「日本博」の一環で、ユネスコ無形文化遺産に登録された、日本の伝統芸能の特別展が、開催中です。歌舞伎、文楽、能楽、組踊、雅楽と、続きます。まずは、歌舞伎。どーんと、「金門五山桐」で、石川五右衛門がお出迎え。芝居小屋の再現に、役者の浮世絵が並んでいます。よっ、大和屋。小道具の、深編笠、下箱、鯉の仕掛けなどが、おもしろい。次の部屋には、「暫」から、鎌倉権五郎景政の衣装と太刀です。でっっ