明日の風に吹かれて

日々の感じることを感じるままを綴っていきます。 明日が佳き日になりますように。

10月1日 秀吉の北野大茶会

2014年10月01日 08時37分00秒 | お茶
秀吉の北野大茶会

旧暦天正15年10月1日(1587年11月1日)に京都北野天満宮境内において秀吉が大規模な茶会を開催した。




この年の7月に九州平定を終えた秀吉は、同月末には諸大名・公家や京都・大阪の茶人などに10月上旬に茶会を開く旨の朱印状を出した。

更には京都市内に札を建て

•北野で10月1日(11月1日)より10日間、大規模な茶会を開くこと。
•秀吉が自らの名物(茶道具)を公開すること。
•茶湯に関心を持つ者は若党、町人、百姓を問わず、釜1つ、釣瓶1つ、呑物1つ、茶道具が無い物は替わりになる物でもいいので持参して参加せよ
•服装・履物・席次などは一切問わないものとする

と大々的に周知した。心意気良し!である。9月からは現地工事にかかった。

そして茶会初日である10月1日(11月1日)は、北野天満宮の拝殿の中央に黄金の茶室を持ち込み、その中に「似たり茄子」などの秀吉自慢の名物の茶道具を陳列した。

4つの茶席には秀吉と千利休、津田宗及、今井宗久という当代きっての茶人3名を茶頭として迎え、来会者には身分を問わず公平にクジによって各席3-5人ずつ招き入れて名物を用いて茶を供した。

秀吉自身も午前中は茶頭として茶を振舞ったという。

ところがである。
10日間と予定されていた大茶会も1日のみで終わり、翌2日以降再開されることはなかった。

その理由には、佐々成政配下の肥後で一揆が勃発したとか、秀吉自身がお茶を点てるのに飽きたとか、前宣伝の割りには1000人弱しか集まらず嫌気がさしたとか、自分より利休他の茶人の人気が高くてすねたとか..
明確な理由は今だに明らかにされていないが、ともかく鳴り物入りの大茶会は1日で突然終わった。

「難儀なおっさんやなぁ~」と今の時代では思うけど、当時仕えていた家臣達はほんま大変や。秀吉の気持ち次第でいつ自分の首が飛ぶか分からんと痛烈に感じる毎日やったやろうな。




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