★ニコライ・デミジェンコ:フレデリック・ショパン作品集
(演奏:ニコライ・デミジェンコ)
1.ロンド ハ短調 作品1
2.ロンド 変ホ長調 作品16
3.ロンド ハ長調 作品73
4.舟歌 嬰ヘ長調 作品60
5.ポロネーズ第8番 ニ短調 作品71-1
6.アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ 変ホ長調 作品22
(2006年録音)
ニコライ・デミジェンコ。
マイブームのピアニストのひとりです。
1976年のモントリオール国際コンクール、1978年のチャイコフスキー国際コンクールと名だたる難関を制したこのピアニストには、「ロシアの重戦車」「ピアノの詩人」というホンマに両立できるのかいなという、ふたつのニックネームがあるようです。
一見(一聴?)相反する要素なのですが、確かに、必要に応じて爆発的な音響をぶっ放すこともできるピアニストでありながら、それは必ず彼の技術上のコントロール下にある点で一瞬も制動を失っているわけではない・・・。
そんな音量変化のすさまじさが「重戦車」と呼ばれる所以であり、一方常にコントロールを失わないで歌を紡ぎつづけるさまが「詩人」と呼ばれるに相応しいファクターだと考えれば、どちらのニックネームも真実を突いているといってよい・・・のでしょう。(^^;)
さてさて・・・
まずはこのディスク・・・ショパンの一般には聴かれない若書きのロンド3曲に、舟歌、アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズなどというプログラムであります。
他のピアニストで聴いたら、あるいはよほど気持ちにゆとりがあるときじゃなければロンドは冗長で飛ばしちゃうんだろうな、という選曲。。。
でもデミジェンコの場合には、ときには立ち止まってしまうかと思われるほど推進力を潜めることも厭わず、どこまでも内側へ向かっていくようなピアニズムを展開しています。
フォーカスが常にピッタリ合っているのに息苦しくならないなんて、多くの演奏を耳にしてきましたが奇跡と言っていいほどの驚きです。
これらのことは、自分がとことん納得し満足できる音を追及しているというスタンスを強烈にアピールした奏楽となって、あたかもブラックホールがそこにあるかのように心をわしづかみにされ引きずり込まれてしまうのです。
★ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第6番・第29番
(演奏:ニコライ・デミジェンコ)
1.ピアノ・ソナタ 第6番 ヘ長調 作品10-2
2.ピアノ・ソナタ 第29番 ロ長調 作品106 「ハンマークラヴィーア」
(2002年録音)
いま一枚、このベートーヴェンのディスクもヘビー・ローテーションなのですが・・・
32曲あるピアノ・ソナタのうち、愛称が付いた有名どころはおよそ4分の1ほどですが、第6番というマイナーな曲が、このディスクに限っては何故これほどまでにチャーミングに響くのか?
そして、すべてのピアニストが最も演奏至難な曲としてあげるであろう第29番の『ハンマークラヴィーア』ソナタが、これほどまでにわかりやすく華やかで雄弁に・・・
それでいてはっちゃけているところもあり、それでいてピアニストの両手のコントロール下に響のすべてが統制されている。。。
何度聞いても溜息をつくほかなく、まるで魔法をかけられたかと思わされるほどの壮絶な演奏です。
もちろん、録音に当たっては何度もテイクを重ねて、編集によっていいところを切り貼りしているには違いないでしょうが、それにしてもここまで弾けちゃうのかよ・・・と思われるほどに丁寧で精妙。
自分が納得したものしか世に出さないぞ・・・
そんなピアニストの声が聞こえてくるかのようです。(^^;)
しかし・・・
こんなに惹きこまれる秘密のひとつを私は知っています。
それは、ファツィオーリというブランドのピアノを遣っていること。
ファツィオーリ・・・
ピアノ音楽好きのイタリアの家具製造メーカーの社長がマトモに鳴っていると思えるピアノが無いことを嘆いて、自分の工場の木工技術をベースに研究を重ね、比類ないピアノを作ってしまったというシロモノ。
そして・・・
このデミジェンコをはじめチッコリーニ、ヒューイットなどなど腕が立ってバリバリ弾けちゃうけど精妙な響にうるさいピアニスト連中に熱狂的に迎えられている楽器。。。
代表的なコンサートグランドといわれている“スタインウェイ”などは、不揃いの金属音とでも形容したくなる麗しい美音・・・そのごくわずかな不揃いに起因する響のズレ・・・が恍惚感を誘うのですが、ファツィオーリの音色は完全にすっぴんで揃っている・・・
だからこのピアノを遣って録音する気になる人は、それだけで非常に腕に覚えがあり勇気もあると思われるわけですが、それを完全に弾きこなしているデミジェンコはそれだけで自らのテクニックの比類なさを証明しているわけでもあります。
意地悪な聴き手である私などは、ついついどこかアラを探してやろうと思って聴いてしまうのですがついに白旗をあげざるをえません。
そんなこんなで、いちど聴き入ってしまったら虜にせずにはおかない、そんな凄みのある演奏がデミジェンコを聴く醍醐味です。
こうして「精妙な重戦車」の歌を心して楽しむことができるのは、無類の幸せといえましょう。(^^;)
★ショパン:ピアノ作品集
(演奏:ニコライ・デミジェンコ)
1.子守歌 変ニ長調 作品57
2.夜想曲 第7番 嬰ハ短調 作品27-1
3.タランテラ 変イ長調 作品43
4.ボレロ ハ長調 作品19
5.ロンド ハ短調 作品1
6.ロンド 変ホ長調 作品16
7.演奏会用アレグロ イ長調 作品46
8.ポロネーズ 第8番 ニ短調 作品71-1
9.モーツァルトの歌劇『ドン・ジョヴァンニ』の「お手をどうぞ」の主題による変奏曲 変ロ長調 作品2
(2002年録音)
ショパン協会の肝煎り・・・
フォルテ・ピアノによるショパン演奏、秀演揃いのこのシリーズに、なんとデミジェンコが参戦したと聞き、そりゃもうすぐさま手に入れました。
上記のファツィオーリを弾いたデミジェンコの演奏に心酔していますから、ロンドなど多くの曲目が重複するこのディスクとの聴き較べ・・・これほどの聴きものには滅多にお耳(?)にかかれないぞとばかりに期待して、ディスクをターンテーブルにセットしました。
ピアニストはもとよりこのディスクをプロデュースする側の人間は、例外なく先のディスクとの聞き比べを想定して制作しているはず・・・
しかと味わってやろうじゃあ~りませんか状態です。(^^;)
デミジェンコがどんな困難な箇所もバリバリなぎ倒すごとく弾けちゃうピアニストであることは十分に知っていたわけで、知らなかったこと、知りたかったことは、ショパンの生前に制作された時代物の楽器との相性はいかにという点だけ・・・
果たして感想は・・・
ショッカーの戦闘員になったかキヨシローになったかというほどに“E・E・キモチE~”というディスクで、78分あるディスクを3回周り聴いて呻ってしまったものです。
先にも仄めかしたように、私にとってこれら初期の楽曲は正直言ってショパンの曲としては冗長でつまらない部類にあります。
素材それ自体はショパン・ブランドとして認定できるのですが、その扱いが「自分の(演奏)技巧はこんなに凄い」とアピールせずにはおかないもので、聴き手目線じゃなくて演奏家目線、もっと言っちゃえば作曲家の自己満足目線の曲と感じられるからです。
しかし・・・
繊細な重戦車の「性能と戦略」は、私のそんな先入観などあっさり駆逐して迎え撃つ心を魅了して止まないリサイタルを展開してくれました。
ところで・・・
先日の安曇野でピアニストの高橋多佳子さんから、ロシアのピアニストは、若いショパンの作品を小さい頃から演奏課題として与えられ、慣れ親しんでいるのでレパートリーとして採り上げることが多い・・・という話を聞いていました。
ロシアには独特のピアノ奏法の伝統があり、数多いロシアの名手に共通した特徴としては、とにかく目覚しく弾けちゃうことが挙げられます。
思うに、若きショパンの技巧への挑戦を克服することで、ロシアのピアニスト達は自らの技巧を誇示する材料として、またそれをいかにゆとりある演奏に仕上げられるかという明確な目的意識を持っているのかもしれません。
そして・・・
その山脈のように連なるロシア・ピアニズムにあって決して低くない頂点といえるだろうニコライ・デミジェンコの“性能”は、前述のとおりファツィオーリという現代ピアノで3曲のロンドや舟歌を征服し、自在に謳い上げていました。
今回、ショパン時代の2種のフォルテピアノで作品番号がついた作品全曲の録音をもくろんでいるショパン協会が、これらの楽曲の録音にあたってこのピアニストに白羽の矢を立てたのは、“性能”が示した実績を思えばまことに妥当です。
果たせるかな、期待をはるかに超える演奏をデミジェンコはやってのけていると感じます。
“ロシアの重戦車”の異名どおり難技巧をそれとまったく感じさせず、語り口も達者に、それもムードに流さず弾ききってしまっているところが素晴らしい。
そしてフォルテピアノという“制約”を、ここでは強みに変えている・・・・
重戦車搭載の銃器をぶっ放すのに、現代のピアノだとパワーがありすぎて人間の耳には混濁した騒音にしか聞こえず、かつてのデミジェンコは火薬の量をセーブしているかのように聴こえたもの・・・それでも過剰に爆発してたように思うけど・・・でした。
それが、どんなにピアノを強く弾いてもか細いパワーしか出ない昔の楽器は、本当に音を混濁させない限りは我々の耳に聞こえうる音を提供してくれます。
それゆえに、重戦車がフルパワーで楽器に想いを込めているさまが聴き取れる・・・
これが期待を超えた収穫のゆえんです。
楽器の性能により現代性という意味では犠牲を強いられてますが、デミジェンコの意図をぶつけることに関しては、むしろ現代ピアノよりも素直に曲に対峙できたのではないか・・・
ファツィオーリを遣わずにはいられなかったピアニストも、この点では溜飲が下がったのではないか。。。
そんなことも思いました。
そして重戦車の“戦略”もはまっています。
それはプログラミングの妙・・・
冒頭、子守歌から始まり詩的に歌えるピアニストであることを告げます。
子守歌はたしかに子守歌ムードなのですが、曲の終わりの余韻を意識して残さないようにしている・・・
続く夜想曲作品27-1は、私の最も好きなノクターンなのですがショパンの書いた中で最高にパッショネートで心の焦りやわななきが伝わってくる楽曲。。。
これを現代ピアノでクライマックスで盛りあげすぎちゃうと、哀しいかな曲のキャパをはるかに越えたぷっつんな演奏になってしまいます。
それが・・・
フォルテピアノであるが故に、どしゃ降り、否、滝のような感情のあふれるパッセージにおいてどんなに鍵盤を強打しても曲の表現の範囲内で収まる・・・
ピアニストの言いたかったことはこうだったのだと思える演奏、要するに2曲目でひとつのとんでもないクライマックスを迎えるわけです。
そして、3曲目・・・タランテラ。
ドクグモに刺されて苦しさのあまりのた打ち回っているような踊りであるこの舞曲は、ピアニストにとって拷問の如き曲。
軽やかで楽しそうな曲にも思えますが、弾く側からするときっと激しいエアロビクスか無酸素運動の連続のようなへとへとになる曲だと思います。
これがかつてないほど鮮やかで・・・昔のピアノは鍵盤が軽いから余計に・・・完全に子守歌の終わりにハッとして焦燥感に盛り上がった心を、お祭り気分、三昧の状態にまで昇華させるのです。
こうなっちゃえば、続くボレロ(これは決して駄作ではないと思いますが)、ロンド×2、演奏会用アレグロにラ・チ・ダレム変奏曲がどんなに聴かれるのが珍しい曲であっても重戦車の“性能”で十分に撃ちぬける計算が立つのでしょうし、事実、聴き手の私は降参の白旗を喜んであげているわけです。
いや・・・
最初の3曲の置き方がこのミッションの成功のカギを握っておりましたな。(^^;)
・・・という軍司令官の声が聞かれそうです。
よいディスクでした。
★ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ
(演奏:金子 陽子)
1.ピアノ・ソナタ 第6番 ヘ長調 作品10-2
2.ピアノ・ソナタ 第14番 嬰ハ短調 作品27-2 「月光」
3.ピアノ・ソナタ 第13番 変ホ長調 作品27-1
4.ピアノ・ソナタ 第17番 ニ短調 作品31-2 「テンペスト」
(2008年録音)
ついでといってはナンですが・・・
デミジェンコのディスクで真価を知ったベートーヴェンのピアノ・ソナタ第6番。
これがピアノフォルテの演奏で収められた金子陽子さんのベートーヴェンのピアノ・ソナタ集・・・
これも祝福されるべき演奏、師匠のインマゼールが手放しの賞賛をするのもよくわかります。
どこまでも明快で誇張のない演奏でありながら、しっかり翳りの隈取りが感じられ、しかも生真面目で・・・。
日本人でなければできない欧州的な演奏とでもいえるでしょう。
また・・・
テンペストの第3楽章などに顕著ですが、間違いなく日本人女性の感性による演奏だともいえます。
第6番の屈託のない明るさ、第14番(月光ソナタ)の余計なものは何もないのに神秘的な曲想は神秘的に聴こえるというニュアンス、第13番の明るい意味での幻想性、第17番(テンペスト)のここでも明晰なタッチから生まれる響の深奥に何があるのか追いかけずにはいられない思わせぶりな解釈・・・
録音のしかたや、演奏上の響のもやもやでごまかすことなく、鍵盤を押しペダルを踏むというテクニカルな手の内をこの録音からすべて見せていながら、狙ったとおりに聴き手の心をコントロールできちゃっている・・・
そんな成果を称して師匠は「大成功、おめでとう」と讃辞を贈っているのだと知れました。
こちらもなんども聴きたいと思わせられる演奏です。
1回聴いたからいいや・・・
というディスクも少なくない中にあって、これほど素直に打たれる演奏に出会えることはありがたい。
とはいえ・・・
同じ姿勢で聴き続け腰痛になってしまったので、ツライものがあります・・・。(-“-;)
(演奏:ニコライ・デミジェンコ)
1.ロンド ハ短調 作品1
2.ロンド 変ホ長調 作品16
3.ロンド ハ長調 作品73
4.舟歌 嬰ヘ長調 作品60
5.ポロネーズ第8番 ニ短調 作品71-1
6.アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ 変ホ長調 作品22
(2006年録音)
ニコライ・デミジェンコ。
マイブームのピアニストのひとりです。
1976年のモントリオール国際コンクール、1978年のチャイコフスキー国際コンクールと名だたる難関を制したこのピアニストには、「ロシアの重戦車」「ピアノの詩人」というホンマに両立できるのかいなという、ふたつのニックネームがあるようです。
一見(一聴?)相反する要素なのですが、確かに、必要に応じて爆発的な音響をぶっ放すこともできるピアニストでありながら、それは必ず彼の技術上のコントロール下にある点で一瞬も制動を失っているわけではない・・・。
そんな音量変化のすさまじさが「重戦車」と呼ばれる所以であり、一方常にコントロールを失わないで歌を紡ぎつづけるさまが「詩人」と呼ばれるに相応しいファクターだと考えれば、どちらのニックネームも真実を突いているといってよい・・・のでしょう。(^^;)
さてさて・・・
まずはこのディスク・・・ショパンの一般には聴かれない若書きのロンド3曲に、舟歌、アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズなどというプログラムであります。
他のピアニストで聴いたら、あるいはよほど気持ちにゆとりがあるときじゃなければロンドは冗長で飛ばしちゃうんだろうな、という選曲。。。
でもデミジェンコの場合には、ときには立ち止まってしまうかと思われるほど推進力を潜めることも厭わず、どこまでも内側へ向かっていくようなピアニズムを展開しています。
フォーカスが常にピッタリ合っているのに息苦しくならないなんて、多くの演奏を耳にしてきましたが奇跡と言っていいほどの驚きです。
これらのことは、自分がとことん納得し満足できる音を追及しているというスタンスを強烈にアピールした奏楽となって、あたかもブラックホールがそこにあるかのように心をわしづかみにされ引きずり込まれてしまうのです。
★ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第6番・第29番
(演奏:ニコライ・デミジェンコ)
1.ピアノ・ソナタ 第6番 ヘ長調 作品10-2
2.ピアノ・ソナタ 第29番 ロ長調 作品106 「ハンマークラヴィーア」
(2002年録音)
いま一枚、このベートーヴェンのディスクもヘビー・ローテーションなのですが・・・
32曲あるピアノ・ソナタのうち、愛称が付いた有名どころはおよそ4分の1ほどですが、第6番というマイナーな曲が、このディスクに限っては何故これほどまでにチャーミングに響くのか?
そして、すべてのピアニストが最も演奏至難な曲としてあげるであろう第29番の『ハンマークラヴィーア』ソナタが、これほどまでにわかりやすく華やかで雄弁に・・・
それでいてはっちゃけているところもあり、それでいてピアニストの両手のコントロール下に響のすべてが統制されている。。。
何度聞いても溜息をつくほかなく、まるで魔法をかけられたかと思わされるほどの壮絶な演奏です。
もちろん、録音に当たっては何度もテイクを重ねて、編集によっていいところを切り貼りしているには違いないでしょうが、それにしてもここまで弾けちゃうのかよ・・・と思われるほどに丁寧で精妙。
自分が納得したものしか世に出さないぞ・・・
そんなピアニストの声が聞こえてくるかのようです。(^^;)
しかし・・・
こんなに惹きこまれる秘密のひとつを私は知っています。
それは、ファツィオーリというブランドのピアノを遣っていること。
ファツィオーリ・・・
ピアノ音楽好きのイタリアの家具製造メーカーの社長がマトモに鳴っていると思えるピアノが無いことを嘆いて、自分の工場の木工技術をベースに研究を重ね、比類ないピアノを作ってしまったというシロモノ。
そして・・・
このデミジェンコをはじめチッコリーニ、ヒューイットなどなど腕が立ってバリバリ弾けちゃうけど精妙な響にうるさいピアニスト連中に熱狂的に迎えられている楽器。。。
代表的なコンサートグランドといわれている“スタインウェイ”などは、不揃いの金属音とでも形容したくなる麗しい美音・・・そのごくわずかな不揃いに起因する響のズレ・・・が恍惚感を誘うのですが、ファツィオーリの音色は完全にすっぴんで揃っている・・・
だからこのピアノを遣って録音する気になる人は、それだけで非常に腕に覚えがあり勇気もあると思われるわけですが、それを完全に弾きこなしているデミジェンコはそれだけで自らのテクニックの比類なさを証明しているわけでもあります。
意地悪な聴き手である私などは、ついついどこかアラを探してやろうと思って聴いてしまうのですがついに白旗をあげざるをえません。
そんなこんなで、いちど聴き入ってしまったら虜にせずにはおかない、そんな凄みのある演奏がデミジェンコを聴く醍醐味です。
こうして「精妙な重戦車」の歌を心して楽しむことができるのは、無類の幸せといえましょう。(^^;)
★ショパン:ピアノ作品集
(演奏:ニコライ・デミジェンコ)
1.子守歌 変ニ長調 作品57
2.夜想曲 第7番 嬰ハ短調 作品27-1
3.タランテラ 変イ長調 作品43
4.ボレロ ハ長調 作品19
5.ロンド ハ短調 作品1
6.ロンド 変ホ長調 作品16
7.演奏会用アレグロ イ長調 作品46
8.ポロネーズ 第8番 ニ短調 作品71-1
9.モーツァルトの歌劇『ドン・ジョヴァンニ』の「お手をどうぞ」の主題による変奏曲 変ロ長調 作品2
(2002年録音)
ショパン協会の肝煎り・・・
フォルテ・ピアノによるショパン演奏、秀演揃いのこのシリーズに、なんとデミジェンコが参戦したと聞き、そりゃもうすぐさま手に入れました。
上記のファツィオーリを弾いたデミジェンコの演奏に心酔していますから、ロンドなど多くの曲目が重複するこのディスクとの聴き較べ・・・これほどの聴きものには滅多にお耳(?)にかかれないぞとばかりに期待して、ディスクをターンテーブルにセットしました。
ピアニストはもとよりこのディスクをプロデュースする側の人間は、例外なく先のディスクとの聞き比べを想定して制作しているはず・・・
しかと味わってやろうじゃあ~りませんか状態です。(^^;)
デミジェンコがどんな困難な箇所もバリバリなぎ倒すごとく弾けちゃうピアニストであることは十分に知っていたわけで、知らなかったこと、知りたかったことは、ショパンの生前に制作された時代物の楽器との相性はいかにという点だけ・・・
果たして感想は・・・
ショッカーの戦闘員になったかキヨシローになったかというほどに“E・E・キモチE~”というディスクで、78分あるディスクを3回周り聴いて呻ってしまったものです。
先にも仄めかしたように、私にとってこれら初期の楽曲は正直言ってショパンの曲としては冗長でつまらない部類にあります。
素材それ自体はショパン・ブランドとして認定できるのですが、その扱いが「自分の(演奏)技巧はこんなに凄い」とアピールせずにはおかないもので、聴き手目線じゃなくて演奏家目線、もっと言っちゃえば作曲家の自己満足目線の曲と感じられるからです。
しかし・・・
繊細な重戦車の「性能と戦略」は、私のそんな先入観などあっさり駆逐して迎え撃つ心を魅了して止まないリサイタルを展開してくれました。
ところで・・・
先日の安曇野でピアニストの高橋多佳子さんから、ロシアのピアニストは、若いショパンの作品を小さい頃から演奏課題として与えられ、慣れ親しんでいるのでレパートリーとして採り上げることが多い・・・という話を聞いていました。
ロシアには独特のピアノ奏法の伝統があり、数多いロシアの名手に共通した特徴としては、とにかく目覚しく弾けちゃうことが挙げられます。
思うに、若きショパンの技巧への挑戦を克服することで、ロシアのピアニスト達は自らの技巧を誇示する材料として、またそれをいかにゆとりある演奏に仕上げられるかという明確な目的意識を持っているのかもしれません。
そして・・・
その山脈のように連なるロシア・ピアニズムにあって決して低くない頂点といえるだろうニコライ・デミジェンコの“性能”は、前述のとおりファツィオーリという現代ピアノで3曲のロンドや舟歌を征服し、自在に謳い上げていました。
今回、ショパン時代の2種のフォルテピアノで作品番号がついた作品全曲の録音をもくろんでいるショパン協会が、これらの楽曲の録音にあたってこのピアニストに白羽の矢を立てたのは、“性能”が示した実績を思えばまことに妥当です。
果たせるかな、期待をはるかに超える演奏をデミジェンコはやってのけていると感じます。
“ロシアの重戦車”の異名どおり難技巧をそれとまったく感じさせず、語り口も達者に、それもムードに流さず弾ききってしまっているところが素晴らしい。
そしてフォルテピアノという“制約”を、ここでは強みに変えている・・・・
重戦車搭載の銃器をぶっ放すのに、現代のピアノだとパワーがありすぎて人間の耳には混濁した騒音にしか聞こえず、かつてのデミジェンコは火薬の量をセーブしているかのように聴こえたもの・・・それでも過剰に爆発してたように思うけど・・・でした。
それが、どんなにピアノを強く弾いてもか細いパワーしか出ない昔の楽器は、本当に音を混濁させない限りは我々の耳に聞こえうる音を提供してくれます。
それゆえに、重戦車がフルパワーで楽器に想いを込めているさまが聴き取れる・・・
これが期待を超えた収穫のゆえんです。
楽器の性能により現代性という意味では犠牲を強いられてますが、デミジェンコの意図をぶつけることに関しては、むしろ現代ピアノよりも素直に曲に対峙できたのではないか・・・
ファツィオーリを遣わずにはいられなかったピアニストも、この点では溜飲が下がったのではないか。。。
そんなことも思いました。
そして重戦車の“戦略”もはまっています。
それはプログラミングの妙・・・
冒頭、子守歌から始まり詩的に歌えるピアニストであることを告げます。
子守歌はたしかに子守歌ムードなのですが、曲の終わりの余韻を意識して残さないようにしている・・・
続く夜想曲作品27-1は、私の最も好きなノクターンなのですがショパンの書いた中で最高にパッショネートで心の焦りやわななきが伝わってくる楽曲。。。
これを現代ピアノでクライマックスで盛りあげすぎちゃうと、哀しいかな曲のキャパをはるかに越えたぷっつんな演奏になってしまいます。
それが・・・
フォルテピアノであるが故に、どしゃ降り、否、滝のような感情のあふれるパッセージにおいてどんなに鍵盤を強打しても曲の表現の範囲内で収まる・・・
ピアニストの言いたかったことはこうだったのだと思える演奏、要するに2曲目でひとつのとんでもないクライマックスを迎えるわけです。
そして、3曲目・・・タランテラ。
ドクグモに刺されて苦しさのあまりのた打ち回っているような踊りであるこの舞曲は、ピアニストにとって拷問の如き曲。
軽やかで楽しそうな曲にも思えますが、弾く側からするときっと激しいエアロビクスか無酸素運動の連続のようなへとへとになる曲だと思います。
これがかつてないほど鮮やかで・・・昔のピアノは鍵盤が軽いから余計に・・・完全に子守歌の終わりにハッとして焦燥感に盛り上がった心を、お祭り気分、三昧の状態にまで昇華させるのです。
こうなっちゃえば、続くボレロ(これは決して駄作ではないと思いますが)、ロンド×2、演奏会用アレグロにラ・チ・ダレム変奏曲がどんなに聴かれるのが珍しい曲であっても重戦車の“性能”で十分に撃ちぬける計算が立つのでしょうし、事実、聴き手の私は降参の白旗を喜んであげているわけです。
いや・・・
最初の3曲の置き方がこのミッションの成功のカギを握っておりましたな。(^^;)
・・・という軍司令官の声が聞かれそうです。
よいディスクでした。
★ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ
(演奏:金子 陽子)
1.ピアノ・ソナタ 第6番 ヘ長調 作品10-2
2.ピアノ・ソナタ 第14番 嬰ハ短調 作品27-2 「月光」
3.ピアノ・ソナタ 第13番 変ホ長調 作品27-1
4.ピアノ・ソナタ 第17番 ニ短調 作品31-2 「テンペスト」
(2008年録音)
ついでといってはナンですが・・・
デミジェンコのディスクで真価を知ったベートーヴェンのピアノ・ソナタ第6番。
これがピアノフォルテの演奏で収められた金子陽子さんのベートーヴェンのピアノ・ソナタ集・・・
これも祝福されるべき演奏、師匠のインマゼールが手放しの賞賛をするのもよくわかります。
どこまでも明快で誇張のない演奏でありながら、しっかり翳りの隈取りが感じられ、しかも生真面目で・・・。
日本人でなければできない欧州的な演奏とでもいえるでしょう。
また・・・
テンペストの第3楽章などに顕著ですが、間違いなく日本人女性の感性による演奏だともいえます。
第6番の屈託のない明るさ、第14番(月光ソナタ)の余計なものは何もないのに神秘的な曲想は神秘的に聴こえるというニュアンス、第13番の明るい意味での幻想性、第17番(テンペスト)のここでも明晰なタッチから生まれる響の深奥に何があるのか追いかけずにはいられない思わせぶりな解釈・・・
録音のしかたや、演奏上の響のもやもやでごまかすことなく、鍵盤を押しペダルを踏むというテクニカルな手の内をこの録音からすべて見せていながら、狙ったとおりに聴き手の心をコントロールできちゃっている・・・
そんな成果を称して師匠は「大成功、おめでとう」と讃辞を贈っているのだと知れました。
こちらもなんども聴きたいと思わせられる演奏です。
1回聴いたからいいや・・・
というディスクも少なくない中にあって、これほど素直に打たれる演奏に出会えることはありがたい。
とはいえ・・・
同じ姿勢で聴き続け腰痛になってしまったので、ツライものがあります・・・。(-“-;)
江口玲さんの記事をお見かけして、こちらにおじゃまさせていただきました。
記事とは関係のないコメントですみません。
来月7/28、江口さんの「ファンの集いコンサート」があります。
ご興味があれば詳細をお伝えしたいのです。
よろしければ江口さんのHP掲示板「すばる」の家にご連絡ください。
よろしくお願いいたします。
お返事が遅くなり申し訳ありませんでした。
2年以上前に書いた記事へのコメントをいただき
ありがとうございます。
江口さんの件のディスクは、ゴドフスキの白鳥を
聴くために今もしばしばターンテーブルに載せています。
生憎、7月末は都合がつかずコンサートには伺えそうも
ありません。
これからも、江口さんの動静は私もチェックしていきますね。
またよろしければここに遊びにおいでくださいね。^^
>スッピンの方がタッチのフィーリングが合う
そう言われてみれば、たしかにそうかもしれません。
いつも同じコンディションの楽器で演奏できるわけではないですから、スッピンで練習してスッピンで本番も弾けるのが一番いいのかもしれません。(^^;)