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中国最後の皇帝 愛新覚羅溥儀は日本の敗戦を機に植物園の庭師になる

2017-08-31 04:47:13 | Weblog

*栄華を極めた中華・清朝皇帝 政変の果てに満州国皇帝に
溥儀は、映画『ラストエンペラー』で有名な、清朝最後の皇帝である。
1906年に北京で生まれた。1908年、西太后に指名されて、二歳十ヶ月で皇帝即位、清朝第十二代皇帝となる。
しかし1911年、清朝打倒を掲げた辛亥革命が勃発。
軍事力を背景に、袁世凱は溥儀の退位を要求した。
世論は反清朝に傾き、こうして彼は僅か七歳にして、皇帝の座を奪われた。

ところがその六年後、溥儀は第一次世界大戦の参戦を巡る政治的争いに巻き込まれ、1917年に清朝派・帳勲に擁されて再び即位した。しかし、政敵・段祺瑞に敗れて、僅か十三日で退位する。1922年、ダフール族の婉容を皇后として、蒙古旗人の文繍を側室として迎える。結婚後は、慈善事業家として、多くの災害に匿名で義援金を送った。日本の関東大震災の際にも、宝石等を大量に送っている。
皇位は奪われたものの、溥儀は元の紫禁城を住いとしていた。
ところが1924年のクーデターで、とうとう追い出されることに。
イギリスやオランダに受け入れを頼んだが拒否され、日本公使が庇護することとなった。
1931年、満州事変が勃発し、1934年、満州国皇帝の座に就いた。
溥儀にとって、皇帝の椅子は悲願だった、ところが、それは形だけの皇帝であり、政務は日本政府が執り行った。

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*日本の敗戦と満州国の崩壊 ソ連軍、中華民国の捕虜に
飾りとしての皇帝に収まった溥儀であったが、日本敗戦後、満州国は崩壊した。
これにより日本への亡命を打診された溥儀は、輸送機で移動。しかし来襲したソ連軍の空挺部隊によって飛行場で捕獲され、
ソ連の強制収容所に収監されてしまった。
一方、溥儀の正妻・婉容は中国共産党軍に捕らえられ、中国の国共内戦に巻き込まれて、阿片中毒の禁断症状と栄養失調の為に死亡した。埋葬の記録は残されていない。ちなみに、婉容と同時に溥儀の後宮となった文繍は、後に離婚訴訟を起こし、溥儀が多額の慰謝料を払って離婚成立。その後、女学校の教師となったが困窮し、1953年、餓死に近い状態で没した。

1950年、溥儀は中華人民共和国に身柄を移され、日本軍の捕虜と共に、共産主義の再教育をさせられることとなった。
収監されて初めて、身の回りのことを自分の手ですることになったが、当然満足にこなせず、周囲から不満が絶えなかったと謂う。
捕虜として拘束されてから十数年が過ぎ、1960年、模範囚として特赦を受けてようやく釈放された。

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*中国の一市民としての生活 一般人と結婚して恐妻家に
中国最後の皇帝は、こうして一般市民に変貌した。
釈放後、北京植物園で庭師として勤務し、一年後には、文史資料研究委員会の専門員に任命され、自伝の執筆を仕事とした。

1962年には、離婚歴のある一般女性・李淑賢と結婚。溥儀からの熱心なプロポーズの末の結婚であったと謂う。
李淑賢には、嘗ての皇帝への敬いの感情はなかった様で、「溥儀は大馬鹿だ。三歳の子でもできることも、溥儀が手を出すと駄目になってしまう」などと、人前で嘲笑することもしばしば。食事の手伝いをしようとした溥儀が茶碗を割った時などは、李淑賢が包丁を持ったまま調理場から飛び出して来た為、溥儀は身を縮めて震えていたと謂う。

李淑賢を含め、生涯に五人の妻を持った溥儀であったが、遂に子どもはできず、その血統は途絶えた。
子どもができなかった理由について、義妹の嵯峨浩は「同性愛であった為」とし、また李淑賢は「不能であった為」としている。

その後、溥儀は癌になったが、元清朝皇帝を治療することで紅衛兵に目をつけられるのを恐れて、多くの病院で治療を拒否された。
1967年10月、死去。尚、溥儀はチキンラーメンが大好物で、死ぬ間際も食べたがったと謂う。



(画像・三歳の時の溥儀、満州国皇帝時代、満州事変前に正妻の婉容と)

        

       

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