つけ紐閻魔像
子どもの非行防止の御利益があるとされているつけ紐閻魔。
現在も「内藤新宿のおえんまさん」として親しまれている。
奪衣婆
閻魔大王像の近くにある奪衣婆。閻魔大王に仕え、亡者の衣服を剥ぎ取り、
罪の重さをはかる役目をしているといわれる。
江戸時代に色街として栄えた新宿2丁目。
その太宗寺・閻魔像は乳飲み子を丸呑みした逸話から
「つけ紐閻魔」の異名が今に伝えられる。
その太宗寺・閻魔像は乳飲み子を丸呑みした逸話から
「つけ紐閻魔」の異名が今に伝えられる。
★高さ5.5メートルの閻魔像が口から赤子のつけ紐を垂らす
ゲイタウンとして全国的に知られた東京の繁華街。新宿2丁目。
無数のバーやクラブがひしめき合うこの街で、
ゆったりした敷地を構えている寺院が寛文8(1668)年創建の太宗寺。
名物は江戸六地蔵の一つに数えられる銅像地蔵菩薩坐像。
文化11(1814)年の建立以来、3メートルの堂々たる風格で信仰を集めてきた。
だが、太宗寺を何より有名にしているのは、「つけ紐閻魔」の異名がある閻魔像だ。
地蔵菩薩坐像の左に位置する閻魔堂に鎮座し、高さ5.5メートルで江戸最大級。
この巨大な閻魔像が赤ん坊を食べたというのが「つけ紐閻魔」の怪異譚だ。
江戸時代、色街として栄えた2丁目で乳飲み子をあやす乳母がいた。
乳母は太宗寺の境内で、
むずがる子に「大人しくしないと閻魔様に食べられるよ」と言いながら眠り込む。
やがて乳母が目を覚ますと、おぶっていたはずの子がいない。
慌てて見回すと、閻魔像の口元から子の着物のつけ紐が垂れていたという。
太宗寺の閻魔像にはもう一つ、こんな話も伝わっている。
時は弘化4(1847)年、泥酔した男が、
直径8寸(約24センチ)にもなる水晶の目玉を閻魔像から盗み取ろうとする事件が起こった。
閻魔様の目玉を盗むという罰あたりな事件に、江戸は大騒ぎになったという。
犯人は勝五郎という名の鳶職。
勝五郎は息子の疱瘡を治してくれるよう閻魔像に祈ったが、叶わず死んでしまった。
これを恨んだ勝五郎が、酒の力を借りて閻魔に復讐を試みたわけだ。
ところが目玉を抜き取ると同時に怪しい閃光が放たれ、
転げ落ちて気を失ったと伝えられている。
- 江戸・東京 魔界地図帖 -
˳◌* ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ *◌˳˳◌* ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ *◌˳