錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

吉田義夫氏の遺品

2019-10-11 21:59:54 | 錦之助ファン、雑記
 俳優の吉田義夫氏の娘さんから宅急便が届き、錦之助関連のいろいろな物を頂戴した。錦之助が歌った『やくざ若衆』のレコード(SP盤)、雑誌「平凡」の特集号、映画のパンフなど。どれも吉田義夫さんが持っていた物だ。



 早速、お礼の電話をする。娘さんは京都市在住。女優の円山榮子さんから私のことを聞いて、家の片づけをして出てきた遺品を送ってくださったのだ。お会いしたこともなく、お話しするのも初めてだったが、電話で2時間ほどお話しして、お父様の素顔や貴重な裏話をいろいろ伺うことができた。家では錦之助さんのことをいつも親しげに「錦ちゃん」と呼んでいたこと。『笛吹童子』で初共演し、それからは「また錦ちゃんの映画に出るんや」と言って喜んでいたこと。右太衛門さんが吉田さんのあの異様な顔を好み、いつも旗本退屈男の引き立て役としてお声がかかったこと、などなど。
 吉田義夫さんは1911年京都生まれ。京都絵画専門学校(現・京都市立芸術大)の日本画科を出て、美術の先生や法隆寺の壁画の復元の仕事をしばらくやっていた。戦後、新劇に参加し、映画俳優に転じたが、映画初出演は1951年の『剣難女難』(新東宝、加藤泰監督)、40歳の時だった。妻と娘4人を養うため、東映の専属となり、以後毎日朝から晩まで馬車馬のように働いたという。亡くなったのは1986年(享年75歳)。
 なにしろ、吉田義夫と言えば、東映時代劇では悪役ばかりで、錦之助主演作では、『紅孔雀』の網の長者(元海賊)、『七つの誓い』のオンゴ将軍(山賊)の印象が強烈。今でも私は、子どもの頃見たあの大きな恐い顔が忘れられない。


『紅孔雀』の網の長者


『七つの誓い』のオンゴ将軍

 その他、悪役人、悪徳商人、女衒などが思い浮かぶ。しかし、ご本人は悪役をやることに対して割り切っていて、どんな役でも出演料をもらえれば満足していたそうだ。吉田義夫氏が悪役でない役を演じたのは『宮本武蔵 般若坂の決斗』*で、陶工の役。ロクロを回しているだけのワンカットで、下を向いているため顔がほとんど見えないのだが、吉田さん自身は、こんな楽な役で出演料をもらえたことをかえって喜んだという。
 吉田義夫氏は東映を辞めてフリーになってからも映画やテレビで活躍したので、40代50代の人でも知っている人が多いと思う。映画『男はつらいよ』シリーズではちょい役(座長や夢の中の悪役)だったがレギュラー出演だったし、NHKの朝ドラ「鳩子の海」の祖父役、そして「悪魔くん」のメフィスト役などが印象深い。昭和の個性あふれる名脇役の一人だった。


「悪魔くん」のメフィスト


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1 コメント

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自分が出会った俳優の皆様 (大石良雄)
2019-10-28 13:12:45
拝啓 よろしくお願いいたします。
吉田義男さんのお嬢さんからの しかも未知の方からの素晴らしいプレゼントって素敵ですね。やはりサイトヘッド様の人間性信用性そしてこちらのサイトの威力でしょう。
思い起こせば自分の興味関心は何時も「作曲家 音楽家中心」であり、よくもまぁ「伊副部昭 小川寛興 渡辺岳夫 山下毅雄 三木トリロー 木下忠司 いずみたく 渡辺浦人 松山裕士」等の大巨匠の先生方に押しかけて、若気の至りとは言え貴重なインタビュー取材をさせていただいた事は終生忘れません。では俳優役者さんたちはと申しますと大変に少なく、その中でも「沼田曜一さん 牧れいさん」等は良くして頂きました。この「沼田曜一さん」は当時埼玉県某市で、たまたまご連絡差し上げた際はお嬢さんが対応して下さり、何かと親切に教えて頂きました。この「沼田曜一さん」はデビューは東横映画=東映の前身会社で、後に新東宝に移籍され、倒産後はフリーとして東映はじめおそらく全社に出演されていた大ベテランであり、巷では怪優等といわれるが実は、若いころよりかなりのイケメンでした。しかし「吉田義男さん」は自分の記憶では、何と言っても東映ヒーロー物の名脇役=バイプレーヤーとして「アラーの使者 悪魔くん」等が忘れられませんが、実はホームドラマでもあの「細腕繁盛記」での憎憎しげな空っとぼけた爺役は絶対に忘れられない、、、、、
残念ながらこの作品は2インチVTR作品であり横浜放送ライブラリーに僅か2本程度しか保存が無いほぼ幻の作品と言われます。バイプレーヤーであっても「絶対的な存在感を保ち、無くてはならないキャスティング」をホールドし続けた吉田さんは素晴らしい役者さんとして心に残っています。だからこそお嬢さんも「あえて未知のサイトヘッド様に錦之介さんの資料を託された」のでしょう。なお沼田曜一さんのご自宅は以前火災にあっておられ、フィルムやスチール台本等の貴重な資料が焼失してしまったとの事、、、、これ以上は聞き出せませんでしたが吉田さん沼田さんに共通される点は「本当のプロフェッショナル=仕事人」でおられた事。
フィルムや映像媒体に刻まれた勇姿は決して色あせず、永久にわれわれの心に残り語りかけてくれます。
敬具

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