まにあっく懐パチ・懐スロ

古いパチンコ・パチスロ、思い出のパチンコ店を懐古する
(90年代のパチンコ・パチスロ情報がメイン)

沖縄で名機フェニックスを堪能(1992年・夏)

2012-08-21 17:50:53 | パチスロ1.5号機以前

1992年(平成4年)夏、家族で沖縄旅行をした時の記憶。

 

 

親の手配とはいえ、初の沖縄訪問で浮かれていた私。

特に、現地のパチンコ、パチスロを打てるのが楽しみだった。

沖縄には、ラスベガスでお馴染みの、レバーをガチャンとやる「アップライト」型スロットがある。

旅行中、なんとしても「沖縄スロット」を体験したいと、期待に胸膨らませて飛行機に乗った。

が、旅行中は家族と行動を共にした為、あまりパチ・スロをやらない両親に気を使って、なかなか「パチ屋に行きたい」と言い出せなかった。

それでも、真夏の国際通りを歩き、牧志の公設市場2階で飯を食い、海洋水族館でマンタやエイの群れに遭遇し、万座ビーチで大量のナマコに驚き、58号線沿いのステーキハウスで肉を喰らい、琉球村でハブとマングースの対決を堪能…と、一通りの沖縄観光を楽しんだ。

史跡の「首里城」は修繕中で見学出来なかったが、この首里城を舞台にしたNHK大河ドラマ「琉球の風」(1993年)が、翌年に放映を控えていた事を覚えている。沖縄訪問が1992年だった事を思い出せたのも、そのお蔭だ。

 

さて、旅行の終盤、我々は那覇から石垣島に向かう事になっていた。

ところが、台風19号が発生して離島への移動が出来なくなり、予定は急遽キャンセルとなった。

私は、チャンスとばかりに「せっかくだから、パチンコ屋にでも行って遊ぼう。」と提案した。普段はパチ・スロと縁遠い家族も、この時ばかりは私の提案を了承してくれた。

外は、傘がぶっ壊れるくらいの強い風雨だったが、宿泊していた那覇市天久「那覇東急ホテル」(既に閉館)のすぐ近くに、割と大きなパチンコ店があるのを私は覚えていた。

(那覇市天久「那覇東急ホテル」。2000年に閉館、現在は大浜第一病院。)

 

到着したのは「サンパルコ」という名の、古めかしいホール。58号線沿いの郊外型パチ・スロ併設店だ。

(「サンパルコ」跡地…現在は駐車場。)

中に入ると、あまり明るくはない店内に、巨大な「タンス」のようなスロット機がズラッと並ぶ。これが噂のアップライトか…予想以上のデカさである。台間隔や通路の広さも東京とは段違いで、なんだか「家具屋」の中にいるような気がする。

そして、その「タンス置場」に並んでいたのが、高砂の「フェニックス」というアップライト型1.5号機だった。当時、「アペックス」というサミーの2号機も人気だったようだが、この店では見かけなかった(見落としていなければ、の話だが…)

     

近くで見ると、本土のパチスロ機にはない、独特の迫力を感じる。

筐体右側には、「ガチャン」とやる例のレバーも付いている。私の予想では、左側にパチスロと同じ小さなスタートレバーも一緒に付いていると思っていた。しかし、実際は、このデカいレバーを毎回「エイヤッ」と手前に引いて、遊技を行うのだった。

 

こんな素人丸出しの実戦だったから、フェニックスの特徴である「吸い込み表」や「フラグ告知機能」も、全く理解しないままに漫然と打っていた。

フェニックスの上パネルには、細かな数字が書かれた怪しい「紙」が貼り付けてあった。

その時は「一体何の暗号だろう?」という感じで理解不能だったが、しばらく後に、フラグ成立のチャンスを示す「吸い込みゲーム数」だった事を知る。

(当時、フェニックスに貼られていた吸い込みゲーム表)

7…16,17,37,38,59.81,101,102,123,144,165,168,186,208,230

77...10,11,31,53,74,75,95,96,117,118,139,181,202,203

★...18,39,40,60,61,82,103,104,124,125,145,146,168,182

7★...12,33,54,76,97,118,120

77★...6,27,48,89,90,101,123,153,173

777...4,25,46,67,88,110,131,152,174,185,215,236,257,278,299

7=BIG(セブン)、★=REG(ベイビー)  77や77★はボーナスの1ゲーム連を表す)

 

現地スロッターは、このゲーム吸い込み表を絶えず眺めつつ、レバーをガシャガシャやっていた訳だ。

1.5号機のフェニックスは、21~22ゲーム間隔でボーナス当選のチャンスがある「ゲーム数吸い込み方式」(周期抽選)が大きな特徴である。ゲーム数のカウントはビッグ中も続いており、ビッグ中にフラグ当選した場合は、1ゲーム連チャンが発生する(ビッグ終了後、1枚目のコイン投入でリールがチカる)。

ただ、その店では、頭上にカウンターが付いていた覚えがない。記憶が確かならば、各人が自力でゲーム数をカウントしていた筈だ。

 

もちろん、当時の私はそんな仕組みも知らず、買った30φコインのデカさばかり気になっていた。

この時は、確か1000円か2000円でいきなり7が揃って、驚いた記憶がある。

フェニックスの場合、ボーナスに当選すると、一枚目のコインを投入した瞬間に「チカッ」とバックライトが一瞬点滅する「フラグ告知機能」が存在した。

店によっては、バックライトが完全に消灯した状態になる、大変判り易い告知にしている所もあったという。

一方、本土のパチスロには、当時そういった告知機能はなかった(1.5号機以前は、パトランプが一瞬クルッと回る告知も存在したが…)。センターフラッシュ告知の「チェリーバー」(4号機第1弾)も、まだ登場する前である。

まさか、ボーナス成立時にバックライトが「チカッ」と来る仕様とは知らず、その控え目なフラグ告知に気付かぬまま、7を揃えてしまった訳だ。

せめて、ワイルドキャッツやセブンボンバーのテンパイ演出のように、バックライトが派手にチカチカしてくれたら、初打ちでも告知に気付く事が出来たのだが…。

 

そんな訳で、記念すべきフェニックスの初ビッグは、不意を突かれた形になった。さらに、このビッグ中、かなりのストレスが溜まったのを覚えている。

なぜかというと、小役ゲームやJAC中に払い出されるコインが、台の裏側にこぼれてしまうのか、本来15枚出るべきところ、10枚位しか出て来ない事が頻繁にあったのだ。

今考えれば、すぐに店員を呼んで、台を直して貰うべきだった。だが、初めての沖縄の店で舞い上がり、また「古そうな台だから、しょうがない」と妙に納得して、結局そのままビッグを消化してしまった。多分、初ビッグは280枚くらいしか獲得できなかったと思う。

 

さて、吸い込み表こそ理解できずとも、「沖縄のスロットは連チャンする」という事前情報は持っていた。ビッグ後、期待を込めてリールを回したが、結局早い連チャンはなく、次のビッグはコインがなくなる寸前だった。

相変わらず払い出しはイマイチで、酷い時はJAC中に7枚くらいしか出て来ない。それでも、店員を呼ぶことなく淡々とボーナスを消化。その後の連チャンに期待するが、早いボーナスはない。

そんなこんなで、4時間ほどフェニックスで粘った挙句、早い連チャンは2回程度。終始中間~低設定を思わせるダラダラした出方で、レバーを引く手も疲れてヘトヘトになった事を思い出す。周りには、コインギッシリのドル箱を重ねた客も、結構いたのだが…。

まぁ、イチゲンの自分が、いきなり高設定台に有りつける訳もなく、僅か500枚程のコインを流してフェニックスのシマを離れた。

その後、家族と共にパチンコのシマに陣取り、機種名は忘れたがハネ物をマッタリと打った。

ハンドル固定OK、手放し遊技も可能という香ばしい条件に加え、釘も結構甘かった記憶がある。にもかかわらず、パチンコのシマは我々以外ほとんど客がいなかった。いかに、当時の沖縄がスロット主流であるかを実感した。

家族がホテルに戻った後も、一人でハネモノを打ち続けた。3時間ほどで小箱3箱くらい出して終了。初めての沖縄での勝負は、パチスロ、パチンコともに、少額だが勝利で終わる事が出来た。

 

現役稼働時のフェニックスをホールで打った経験のある本土の人間は、決して多くない筈だ。僅か一日ではあったが、20年前の1992年・夏、まさに「一期一会」の形で貴重な経験をする事が出来た事に、改めて感謝したい。

ただ、やはり残念なのは、フェニックスの仕組みをほとんど知らずに、ボンヤリと回していたことである。吸い込み表やフラグ告知を知らずに打つなど、フェニックスの魅力を2割も堪能していないに等しい。

しかしまぁ、今となっては、それも古き良き思い出としておこう…。







★★追記★★
2017.2.10、三年寝たろうさん

コメント有難うございます。それは凄く貴重な体験をされましたね。当時、自分の活動
範囲では、アップライトの1.5号機や2号機、3号機を設置していた店など皆無でしたし、
沖縄以外で置いてある店を聞いたこともありません。「アップライト」に限っていえば、
昭和50年代のいわゆる「0号機」初期の時代だと、今の箱型ではなくレバーガシャンの
アップライトばかり出回っていたようですが、今回のケースとは違いますよね。恐らく、
地理的に与論島が沖縄にきわめて近接している事が、そうした特殊な設置事情を生んだ
のではないでしょうか。かなりの「レアケース」と思料します。因みに、本土に沖スロ
(30φ、アップライトではありませんが)が本土に初導入されたのは、1998年のNET
「ジュリアン30」とされていますね。貴重な情報、有難うございました。(追記終り)



1 コメント

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沖縄県以外にも (三年寝たろう)
2017-02-10 05:34:45
1991年の夏休みに親戚のくらしている鹿児島県大島郡与論町(与論島)に遊びにいったとき
与論銀座商店街という島のメインストリートにスロット屋が一軒ありました。(屋号はわかりませんし今現在は廃業しており跡形もありません)
こんな小さな島にもパチスロ屋があるんだなぁーと店内を覗いてみるてビックリ。
なんと沖縄県以外では(私の住んでいた周辺には)設置されているのを一度もみたことのなかったアップライト式の巨大なスロット台、フェニックス(1.5号機)が30台ほど設置されていたのです。
沖縄県のパチンコ屋ではみたことがあったのですが まさか 沖縄県以外(与論島は鹿児島県)のパチスロ屋に沖スロットがあるとは…
今では沖縄県以外でも設置されていますが1991年当時に沖縄県以外に沖スロット(フェニックス)設置店があることに衝撃をうけました。

1991年当時に 沖縄県以外に沖スロは設置されていたものなのでしょうか?この与論島のスロット屋が特別なのでしょうか?
ご存知なら教えて欲しいです。宜しくお願いします。