水谷 郷エッセイ集

私、86歳。長年に亘って書き溜めた色んなジャンルのエッセイを紹介したい

広隆寺弥勒菩薩半跏像

2012-06-18 13:22:59 | 旅行


京都広隆寺は、渡来人秦河勝が聖徳太子から仏像を賜り、それを本尊として蜂岡寺(後の広隆寺)を建てたのが始まりだと言われる古刹である。
境内にある霊宝殿の中央に安置されている三体の「弥勒菩薩半跏像」の中の、通称「宝冠弥勒」と呼ばれる像がその当時の本尊だそうである。
像高八四、二センチのこの象に出会った時、私の魂は吸い寄せられた。
頭上に素朴な宝冠を頂き、少女とも童子とも区別のつかぬ性を感じさせない姿態、えもいわれぬ微妙な色気を漂わす右手の手印、秀でた眉、閉じられた目、ふくよかな両頬の間の口元に滲み出したアルカイック・スマイルと言われる微かなほほ笑み、北方系の人種を思わせるお顔。
現在に伝承されている多くの仏像の形態からはみ出しているこの像は、仏教伝来以前に、海を渡ってわが国にもたらされたものではないか? 説明書には書かれてないそのような思いが、ふと私の心の中を過ぎった。
だが、後に調べてみると赤松材ながら背中に楠材が使用されてあって、外来のものではないとの説もあるそうだが、ともあれ、この弥勒菩薩像は、五十六億七千万年後にこの世に現れて、苦悩する者を救う自信にあふれているかのように思えた。
仏像に半跏思惟の姿が見られるようになったのは、隋唐のころからとの事である。
赤松の一木からこのお姿を彫り出した仏師の、仏教への深い帰依の心が、研ぎ澄ました美の感覚を生み出し、奥深い芸術の境地へといざなったのではなかろうか。
いにしえのある日、あるとき、赤松の材を削る一刀が、繊細微妙な表情の人差し指、中指そして薬指を削り出し、この口元に微かな笑みを浮かび上がらせた瞬間、その仏師は、この像と身も心も溶け合って昇華してしまったに違い無い。
夢のような感慨にふけりながら私は、ニ、三十分ほどもお姿の前に佇み「気」を瞳に集注しているうちに、いつしか雑念は消え去って、周辺から遊離し、仏像と一体の境地となっていた。


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