日々遊行

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映画「ベニスに死す」 美の幻影と恍惚と

2018-10-25 | 映画

ルキノ・ヴィスコンティ監督の三部作のひとつに挙げられる「ベニスに死す」は
公開されると同時に名作として人々のこころに刻まれた。
20代の時にテレビで見て深く感動し、今もその素晴らしさは胸を打つ。




物語の全体に流れるマーラーの交響曲第5番「アダージェット」が
感傷的に、またベニスと人生の黄昏時にも似た世界感へと導く。

そしてこの作品がヒットした要因は
タージオを演じたビョルン・アンドレセンの類まれな美貌が作用していることは
確かで、本当に美しい。

当時15歳だったアンドレセンの北欧系の美しさは
現代の美少年とは又違い、どこか頽廃的な雰囲気を漂わせている。

舞台は1911年のベニス。
こころの傷を負った老作曲家アッシェンバッハは静養のためベニスを訪れる。
そこで同じホテルに滞在していたタージオの美貌に彼は一瞬で目を奪われた。
美に出会ってしまったのだ。



タージオを目で追い、声をかける訳ではなく
ただ遠くから見つめるアッシェンバッハの片思いにも似た感情。
そんな彼の視線を感じながら、
他意はない視線や微笑みを見せるタージオ。

ベニスには疫病が蔓延していた。アジアコレラであった。
アッシェンバッハはタージオの母にすぐにホテルを発つよう進言する。
そして初めてタージオの髪に手を触れる。
いとおしさとタージオの幸せを願って。

姉妹とともにベニスを発ったタージオを追い
化粧をしたアッシェンバッハは荒廃したベニスの街をさまよう。
そうしてタージオを追い、疲れ果てて座り込んでしまったアッシェンバッハに
何故かこみあげてくる笑い。
それはタージオともう2度と会えない悲しみ、我を忘れてタージオを追った日々、
化粧をするまでになってしまった自分。
そんな自嘲の念から出た笑いなのか。

終末へ向かい、砂時計の砂がするすると音もなく落ちていく―。

人影もまばらになったホテルの浜辺で
疫病に感染し、弱った体をデッキチェアに身を沈めるアッシェンバッハのそばには
陽光きらめく波間にタージオが立っている。
しかしアッシェンバッハの頬に、化粧で髪を染めた黒い液体が流れ、
タージオの姿を追いながらも命尽きてしまう。



素のままで美が備わっているタージオの若さ。化粧で美しく見せるアッシェンバッハの老い。
人間の悲哀を感じずにはいられない。


この作品はトーマス・マンの小説「ベニスに死す」を映画化したもので
原作の主人公は小説家だが、ヴィスコンティは作曲家のマーラーをモデルに制作した。
時代設定もマーラーが没した1911年になっている。

アッシェンバッハを演じた名優ダーク・ボガードの演技は
神経を病みながら、美を前にしてうろたえ、心乱れる心理が絶妙だった。

そして特別出演のシルバーナ・マンガーノの
気品と貴族の優美さを感じるエレガントさは目を引く。
ヴィスコンティ自身の母をイメージしたという。

ビョルン・アンドレセンはこの映画の後、
日本で彼が出演した映画を目にすることはなかった。
しかしこの「ベニスに死す」に出演しただけでも名優と言えるのではないだろうか。
彼の美しさを映像に焼きつけたヴィスコンティの手腕によるとはいえ、
この若かりし頃の美しさは彼だけのものであるはずだから。

マーラーの調べにのせて究極の愛と死を耽美的に描き、
伝説になりつつあるこの作品。
きらめく光の中で一番大切なものを目にとどめて命尽きた作曲家は幸せだったのではないかと思う。 

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