ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

ゴッホ ‐ オルセー美術館(5)

2012年04月11日 |  ∟フランスの美術館

 第35室は、後期印象派の中で最も名の知られたオランダの画家で、炎の画家とも呼ばれるフィンセント・ファン・ゴッホその人。

 まずは、かの有名な耳きり事件の後、精神的に不安定となったゴッホが、パリ北西のオーヴェル・シュル・オワーズで、友人であり、セザンヌなど新しい芸術家たちへの支援を惜しまなかった精神科医ポール・ガシェのもとで、療養生活を過ごした最後の2月間に手がけたという代表作「オーヴェルの聖堂」。

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 「オーヴェルの聖堂」は、療養生活中の最後の2月間に描いた80点余りの絵の中の一点

 そして、アムステルダムのゴッホ美術館が所蔵する同名の絵の異同作品、傑作「アルルのゴッホの寝室」。
 完成後に洪水で損傷を受け、その翌年、神経発作のために入院していたカトリック精神療養院を退院後に描いたとされている。

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 退院後に、「アルルのゴッホの寝室」(ゴッホ美術館蔵 / 左)の複製画・レプリカを二点制作
 
そのひとつをオルセー美術館が所蔵(中)、もう一点はシカゴ美術研究所が所蔵(右)するという

 ゴッホの最も著名な自画像のひとつ「自画像‐渦巻く青い背景の中の自画像」は、耳切り事件後、神経発作により画家自身の希望でサン・レミのカトリック精神病院・サン・ポールへ入院していた時代に描かれた。

 自画像と言えば、昨年の6月下旬、ゴッホ美術館が所蔵し、ゴッホの自画像とされていた肖像画のうちの1枚が、画商だった弟テオの肖像だったことが同美術館の調査で分かったというニュースが発表された。

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 通称サン・レミ時代に描かれた「自画像‐渦巻く青い背景の中の自画像」(左)
 最後期の自画像作品として広く知られている 
 
「テオの肖像画」(ゴッホ美術館蔵 / 右)
 1887年の作品で、黄色の帽子に紺のジャケット姿の彼
 あごひげに赤みがなく黄みがかっており、耳も丸みを帯びているといった違いがあったという

 話は戻って、そのサン・レミの精神療養院での生活で、さらに精神的不安定状態へと陥ってしまったゴッホが、1890年からパリの北西オーヴェル・シュル・オワーズで新たな治療を受けていた折に、彼の友人で医学博士のポール・ガシェを描いた単身肖像画「ポール・ガシェ医師の肖像」も架かっていた。

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 彼は同じ構図の「ポール・ガシェ医師の肖像」(個人蔵/ 左)を描いている

 オルセーの作品(右)には、モデルの表情や筆致に、病の進行によって強迫観念に迫られた画家の精神的な危機が顕著に窺えるとされる。

 とまれ、欧米人のゴッホ好きはかなりのもので、何処の美術館でも彼の絵の周りには多くのギャラリーが並ぶ。
 現役時代は絵が売れず、一説では生存中に売れたのは僅か1作品のみ、ゴッホの唯一の理解者であったテオが、ゴッホの創作活動を経済的にも支えたというのは有名な逸話。

 1890年、オーヴェル・シュル・オワーズで猟銃の弾を腹部に受け、僅か37歳、貧窮のうちに没したという、皮肉なものである。
 Peter & Catherine’s Travel Tour No.453

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