ぶらぶら★アフリック

アフリカ・プロモーター、ンボテ★飯村がお送りする100%アフリカ仏族ぶらぶらトーク!

ガンビアという国(1)~迷走国家

2014-02-18 07:30:57 | アフリカ情勢
西アフリカに一つ、非常に変わった国がある。ガンビアだ。人口180万人、面積は11,300平方キロ、秋田県よりちょっと小さいくらいの大きさ。とても小さな国だ。

何が変わっているかって?まずその国土の形状。セネガルに盲腸のように突き刺さった国。セネガルの国の形をライオンの顔に例えれば、ガンビアは口の部分にあたる。

(Jeune Afriqueサイトより)

なぜこんな形になったのか?それは、旧宗主国がガンビア川の河川航行権を獲得したため、川に沿って国ができたというわけだ。より詳細にみると、15世紀にポルトガルが奴隷貿易を開始、1723年に英国の会社がこの土地を買い受ける。1898年、英仏間で協約が成立し、1894年に英国の保護領となった。

ちなみにアレックス・ヘイリー作の小説「ルーツ」の舞台はここ、ガンビア。クンタ・キンテ少年から始まった三世代を描いた奴隷の物語。ンボテは読んだことはない。


次に変わっていることは独立後の歩み。この国、1965年に英国から独立したが、1982年から89年までの間、セネガルとの間で「セネガンビア連邦」なるものを形成し、セネガルと統合していた時期がある。仏語のセネガルに囲まれていながら、英語圏の地域。人々はコミュニケーション大丈夫なの??という心配をなさる方もいるかと思うが、不便なのは行政上の話。現地の人はウォロフ語やジョラ語で普通に会話をしている笑。


さらに変わっているのは・・・この国の統治だ。1994年に軍部によるクーデターが発生、ヤヒヤ・ジャメ大尉が軍事政権を引いた。その後今日に至るまで、ガンビアはジャメ大統領の独裁が続いている。力を持った実力者を「魔女狩り」し、体制批判するものを収監。ガバナンスを口にする外交団や援助関係者を追放し、選挙では国民に無言、有言の圧力で大統領に投票させる。

(写真:ヤヒヤ・ジャメ大統領。Wikipédia en françaisより)



さてそのガンビア、隣国のセネガルとは先述のとおりセネガンビアを構成した国どおし。両国の関係は、公式には「良好」とされている。

しかし実際には微妙だ。例えばセネガルのカザマンス地方。首都ダカールから見れば、ガンビアを挟んだ、その向こうに位置する。ダカールとカザマンス地方を結ぶ最短経路は、当然ガンビアを通過する直線ルート。だがしばしばガンビア側が国境通関で嫌がらせをしたり、あるいは河川横断に高額課税したりする。そうするとセネガル側も、直線ガンビア縦断ルートを敢えて取らず、東部のタンバクンダをぐるっと大回りしてこれに対抗、などということがある。

現在、ガンビア川を渡るのには渡し舟を使うしかないが、これが大変混雑する。何時間も待つことがある。現在中流域に架橋計画があって、そろそろ工事が進みつつあるのだろうか。この橋の帰属と建設費を巡っては関係国の調整に相当の時間を要した。一体誰のための橋か、という命題になるからだ。

もう一つの難儀は、そのカザマンスを巡る問題。同地域は1980年代から分離、自治を主張するカザマンス民主勢力運動(MFDC)がセネガル政府と対立、紛争状態にある。そしてカザマンスのさらに南側は、これまた情勢が落ち着かないギニアビサウの北部。これら地域に、ガンビアが火の粉を撒いているという話が、時折頭をもたげてくる。


ガンビアは最近では突然、台湾との関係を破棄して北京政府と外交関係樹立。またコモンウェルス(英連邦)からの脱退を突然表明した。脆弱国家、崩壊国家ならぬ、迷走国家である。


そもそも人々は明るく、のんびりとした国。農業ポテンシャルにあふれる国。しかし政府がこのような状況では、まともな開発や投資はなかなかやってこない。

そしてこの国、本日が英国からの59回目の独立記念日である。とても政権に対しておめでたいという言葉をお贈りしたい気にはなれないが・・

(つづく)


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