むぎの城さんぽ

日本100名城&続日本100名城を巡っています。
近頃は山城歩きもエンジョイしてます!

鞠智城(熊本県)

2022年07月25日 | 続百名城
鞠智城きくちじょう
別名久々知の城
構造朝鮮式山城
築城者ヤマト政権
築城年代7世紀後半
指定史跡国指定史跡
場所山鹿市菊鹿町米原 地図
スタンプ設置場所歴史公園鞠智城・温故創生館

鞠智城は、1350年前にヤマト政権が築いた城で、白村江の戦いで敗れた際、唐や新羅の侵攻に備えて築かれた
日本書紀などに記された重要な拠点であると考えられています。
九州を統治していた大宰府を守るために、大野城や基肄城に武器や食料を送る拠点として機能していました。



歴史公園入口

八角形の建物が見えて来るのですぐにわかると思います。


駐車場

無料の駐車場もあるのでゆっくり見学出来ます。
…が、すでに夕暮れ時です。
急がなくては続100名城のスタンプが押せません💦


温故創生館

到着した時にはすでに17を過ぎてしまっていました。
9:30~17:15(入館は16:45まで)ということですでに閉館していました。
管理人らしき方が外を歩いていらっしゃったので、ダメもとで声をかけてみたら神対応をしてくれました!



閉館したばかりでまだ職員の方がいらしたので中に入れてもらえました。
しかもスタンプだけでなく1階を案内してくれました。(本当に申し訳ない)



大した予備知識もなくやって来て私どもに
説明までして頂き、本当に感謝です。



外の施設もわざわざ私が見学するまで施錠を待ってくれていたので
急いで開いている建物の見学へ。


八角形鼓楼

鞠智城では、発掘調査によって八角形の建物が2基みつかっています。
実際どのような建物であったかは不明で、その特異な格好から想像して
鼓楼か見張台であったのではないかと考えられ、八角形鼓楼として復元されています。



この釘を使わない複雑で奇麗な内部も見られて良かった(^-^)


米倉

21棟の礎石建物跡がみつかっており、その中のひとつ米倉が復元されています。
ここでは炭化した米が出土していることから高床式で通気性が良く、
鼠返しが備わった建物を復元しています。


兵舎

いくつかみつかった建物跡のひとつで、わりと大きな建物跡だったことから
兵舎をイメージして復元されています。
こちらには沢山の資料が展示されていてとても見応えがあります。



鞠智城のイメージキャラクター「ころう君」がお出迎えです!
ころう君はこの兵舎に住んでいる鞠智城の巡回警備員さんなんだって。



ここ鞠智城跡だけでなく、日本にある朝鮮式山城や神籠石系山城など
古代山城を紹介したパネルが多数展示されています。





板倉

「落としはめ方式」を使った板壁を採用したことから板倉と呼ばれています。


宮野礎石群

大型倉庫「長倉」跡です。
ここからは焼けた瓦が出土していることから、屋根は瓦葺だったと考えられ、
火災が起きたことも考えられます。





貯水池跡

木簡や朝鮮半島の百済で造られたと思われる銅造菩薩立像など貴重なものが見つかっています。


長者山

「米原長者伝説」言い伝えがある長者山です。
現在は共同墓地になってますが、かつては4棟の建物跡が残り、
「米原長者の御金蔵」があった場所と伝わります。


長者山展望広場休憩所

この地に似合う立派な休憩所があります。



眺めが良さそうな雰囲気に期待してしまいます(^-^)


灰塚展望所

頂上に到着。
展望台があります。



360°の大パノラマが楽しめます。



天気が良いと遠くの方に雲仙普賢岳が見えるそうですが…霞で見えません。


不動岩

とても気になる突起を見つけたのでズームしてみました。
このレンズではこれが限界でした😢



この先は南側の防衛ラインとなる土塁や門跡が見られます。
時間の都合上今回はそちらまで見学せずに戻ることに。


鞠智城温故創生之碑

鞠智城整備事業を記念して建てられたモニュメントです。


西側の古代の城は日本国内の争いのために築かれたのではなく、唐や新羅との直接の戦いの舞台になる危険性が
あったため、大宰府を守ろうと周辺に築かれた城が沢山あるということを学びました。
鞠智城は、それらの城の支援基地として築かれた城であったと考えられています。
大宰府周辺や、西日本の古代の城について考え方が変わる訪問となりました。


令和4年5月2日登城


今回の参考本






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