【折々の花だより】

”季節の花だより”
花たちとの出会いを楽しんでます

大谷本廟~清水寺

2019-02-01 | デジカメ紀行
大谷本廟(おおたにほんびょう)

京都府京都市東山区にある浄土真宗本願寺派(西本願寺)の宗祖親鸞聖人(しゅうそしんらんしょうにん)の墓所です。

1月6日お墓参りに。

右手は仏殿(本堂)。
第13代良如上人(りょうにょしょうにん)の時代、1661(寛文元)年に創建され、1867(慶応3)年に隣接する二天門(にてんもん)からの出火で焼失。1870(明治3)年再建されました。
左手に鐘楼。

大谷本廟仏殿北側の蓮池に。

大賀蓮(2018年7月3日に撮ったものです。)




大賀蓮は、植物学者で“ハス博士”と呼ばれた故 大賀一郎博士によって、千葉市花見川区にあった東京帝国大学厚生農場(現 東京大学検見川総合運動場)のおよそ2000年前の泥炭層より1951(昭和26年)3月30日に3粒の種子が発掘され、これらの種子のうち、発芽した1粒は翌年7月18日に開花しました。このニュースは国内外に報道され、この年11月17日付米国ライフ誌にも掲載されているそうです。
1粒の種子から古代ハスを開花させることに成功した博士の功績から、「大賀蓮」と名づけられました。
大谷本廟の「大賀蓮」はこの蓮の蓮根より株分けされたものを、平成14年に宮崎・鹿児島両県の寺院(4ヶ寺)より寄贈されたもので、毎年7月初旬ごろより開花しはじめます。
前庭の「皓月池」でも見られます。

お墓参りをすませ、墓地を右に見、途中にあるお寺にお参りしながら坂道を上がり清水寺へ向かいます。

=通妙寺=

寛永年間(1624-44)に、日蓮宗勝劣派の本山・妙伝寺の開山日意上人の墓守り寺として
開創されたそうです。妙伝寺の歴代の廟がここに祀られているとか。

山門を入ると、正面に

本堂

1755(宝暦5)年建立。


右側に

鳥辺山帝釈天堂

明暦年間(1655-1657)に、江戸・柴又の帝釈天王が勧請されたと言われています。

鐘楼

奥が墓地になっており、 三代目・四代目 中村歌右衛門(歌舞伎役者)、
三代目・四代目 井上八千代(京舞井上流家元)の墓があるそうです。


少し進みます。



通妙寺の東隣は・・・。

=本寿寺=

日蓮宗本山の一つである本法寺の墓守り寺として建立されたそうです。

門の外から撮影。





さらに進むと。

=妙見宮=

門の前に石鳥居と石灯籠があります。
鳥居には「妙見宮」の扁額。


門をくぐると、正面の妙見堂手前にも石鳥居があります。


こちらには「妙見大菩薩」の扁額。

鳥居の手前にある狛犬像


  
江戸時代、1855年作で備前焼の狛犬像。

お堂の前にも、一対の狛犬像があります。




お堂正面の左上に掲げられた奉納額には「妙見宮」と記されています。


お堂の東側に

十三重石塔

南北朝時代のもののようです。

絵馬堂

斜面に舞台造りの構造で張り出しています。京都市内を見ることができます。

亀の甲羅のイメージ?。


さらに進み、上がりきって、振り返ってみると・・・。


中央あたりに京都タワーも見えます。

清水寺の境内に到着です。

=音羽山清水寺=
778年開創。
大きな慈悲を象徴する観音さまの霊場として、古くから庶民に開かれ幅広い層から親しまれてきました。
京都の東、音羽山の中腹に広がる13万平方メートルの境内には、国宝と重要文化財を含む30以上の伽藍や碑が建っています。
創建以来、10度を超える大火災にあいそのたびに堂塔を焼失しましたが、何度も再建されました。現在の伽藍はそのほとんどが1633年に再建されたものです。
1994年にはユネスコ世界文化遺産「古都京都の文化財」のひとつとして登録されました。

三重塔と西門が見えてきました。



三重塔(重要文化財)
西門の先に建つ和様の塔。高さ約31メートル。国内最大級の三重塔で、京都の街からよく望見できることから古くから清水寺のシンボル的な存在です。
創建は847年、現在の建物は江戸時代の1632年に再建されたものです。大日如来像を祀り、四方の壁に真言八祖像、天井・柱などには密教仏画や飛天・龍らが極彩色で描かれています。

馬駐(うまとどめ)

寛永6年(1629年)の大火をまぬがれています。

地蔵院善光寺堂







仁王門(重要文化財)

境内入口に建つ朱塗りの門。三間一戸楼門、入母屋造、檜皮葺きで、
正面左右に鎌倉時代末期の金剛力士(仁王)像を安置。
室町時代の建立で、寛永6年(1629年)の大火をまぬがれました。

西門(重要文化財)

仁王門をくぐって右方の小高い位置に建つ。寛永8年(1631年)の建立。切妻造、檜皮葺きで、形式的には八脚門ですが、正面に向拝、背面には軒唐破風(のきからはふ)があり、内部には床板と格天井を張る特殊な形式の門。全面朱塗り、軒下の組物や蟇股(かえるまた)などは極彩色とするなど、
門というよりは神社の拝殿のように見え、特殊な用途をもった建物と推定されています。

西門を入ると

鐘楼

大火をまぬがれています。

鐘楼から京都市内を

小さく京都タワーも見えます。


境内で

千体石仏群

ここに立ち並ぶ石仏の一部は、かつて京都の各町内にお祀りされていたお地蔵さまです。明治の廃仏毀釈の際に、捨てるにしのびないと市民の手によって清水寺へと運び込まれたものです。
現在も有志の方々がよって前垂れの掛け替えをされているそうです。



「清水の舞台から飛び降りる」ということわざがあります。
切り立った断崖に張り出している清水寺本堂の舞台から飛び降りるほどの覚悟で物事を実行する決意をあらわした言葉です。


(ホームページより)

断崖に建つ木造建築
本堂から張り出した「舞台」の高さは約13メートル。これは4階建てのビルに相当します。本堂は音羽山の急峻な崖に建築されています。これは「懸造り(かけづくり)」と呼ばれる日本古来の伝統工法で、格子状に組まれた木材同士が支え合い建築が困難な崖などでも耐震性の高い構造をつくり上げることを可能にしています。舞台を支えているのは、床下に建てられた18本もの柱です。樹齢400年以上の欅を使い、大きいもので長さ約12メートル、周囲約2メートルを超える柱が整然と並んでいます。その縦横には何本もの貫が通されています。木材同士をたくみに組み合わせたこの構造は「継ぎ手」と呼ばれ、釘を1本も使用していません。現在の舞台は1633年に再建されたものです。

本堂の屋根は檜皮葺の優美な曲線が美しい「寄棟造り」。建築様式の随所に平安時代の宮殿や貴族の邸宅の面影が残っています。本堂内部は、巨大な丸柱によって手前から外陣(礼堂)と内陣、内々陣の3つの空間に分かれています。一番奥の内々陣には御本尊が奉祀されており清水寺にとってもっとも神聖な場所です。

2017年2月より、平成大修理の集大成として、本堂の檜皮屋根の葺き替え工事中です。


三重塔の北西にある「随求堂(ずいぐどう)」
随求堂は、1718年の再建。人々の願いや求めに随って(したがって)、願いを叶えてくれる、大随求菩薩(だいずいぐぼさつ)が、ご本尊として祀られています。縁結び、安産、子育ての神仏もお祀りしています。ここでは「胎内めぐり」を体験できます。





「胎内めぐり」は、「大随求菩薩のお腹の中」をイメージしています。
真っ暗な中を、壁に巡らされた数珠を頼りに進みます。ゆるいカーブなどがあり、先へ進むと、明るい部分が現れ、中央に石が置いてあります。
この石をなでながらお祈りし、1つだけ願い事をすると、その願いが叶うと言われています。


清水寺~参道~三年坂へ。
お土産屋さん、食事処、カフェなどが立ち並んでいます。

=眞福寺=

音羽山 清水寺塔頭眞福寺大日堂










近辺に





三年坂~二年坂へ。

















トトロもいます。


竹内 鳳邸


ねねの道辺り~八坂神社へ。

「東山路傍の触れ仏」
仏像や仏具に触れ、ご利益を受けてみませんか、と。

  




=歌仙堂=



=御陵衛士屯所跡=



=大黒天=


近辺に



道路照明関係ケーブルの埋設管蓋

京都市の花、サトザクラをデザイン。


円山公園へやってきました。

しだれ桜

春には満開の桜を見ることができることでしょう。


=八坂神社(やさかじんじゃ)=
地元では「祇園さん」の名で親しまれています。京都三大祭の一つである「祇園祭」が有名です。

御祭神は、素戔嗚尊(すさのおのみこと)
       櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと、素戔嗚尊の妻)
       八柱御子神(やはしらのみこがみ、素戔嗚尊の8人の子供)

斉明天皇2年(656)に素戔嗚尊を祀ったのが起源で、素戔嗚尊は祇園精舎の守護神である牛頭天王と一体視され、長らく祇園社と呼ばれていましたが、慶応4年(1868)に八坂神社と改称されました。

南楼門


本殿

承応3年(1654年)。一般の神社では別棟とする本殿と拝殿を1つの入母屋屋根で覆った
独特の建築様式をとり「祇園造」と言われています。
正面の屋根のひさしがせり出しています。

大きな絵馬も


西楼門

明応6年(1497年)切妻造の楼門(2階建て門)です。

西楼門をおりてきました。「祇園石段下」です。



東山通りと四条通りの交差点から、西方面を・・・。

四条通りを西へ進むと

=仲源寺=

四条通りに面してそっとたたずむ小堂で、洛陽三十三所観音霊場(観音菩薩をまつる京都府京都市の三十三箇所の寺院からなる観音霊場)の、第十六番札所です。
鎌倉時代、四条橋の畔にあって鴨川の氾濫を救った霊験から、雨止み(あめやみ)地蔵とよばれていました。
八坂神社、知恩院へのお詣りの人が、にわか雨にあって雨やどりをしたことからつけられたという説、地蔵尊の右眼が涙に濡れたように光って赤く見えることから、眼病に悩む人の身代わりとなられたという伝説が生まれ、目疾(めやみ)地蔵尊の名が生まれたという説もあるそうです。
仲源寺には本尊の地蔵菩薩以外にも重文の千手観音像や阿弥陀如来像、大黒天など多くの仏像臥龍お祀りされています。







高島屋で。




御成婚パレードで使用した儀装馬車が展示されていました。


説明文は公式サイト、ウイキペディアを参考にしました。






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