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道成寺 33年に一度しか見られない北面秘仏 今秋、中開帳で16年ぶりお披露目 〈2021年1月29日〉

2021年01月29日 08時30分00秒 | 記事


本堂の千手観音立像が特別展で不在の中、顔を隠した状態で南側を向いて姿を現した北面秘仏(平成29年)


 日高川町鐘巻、道成寺本堂(重要文化財)を1357年に新築し、二代目の釣鐘を寄進した豪族、逸見万寿丸(1321~1378)の生誕七百年を迎える今年、万寿丸が作ったと伝わる33年に一度しか開帳しない北面秘仏の千手観音像が中開帳として16年ぶりにお披露目される。「絶対秘仏」として扱われたとも伝えられ、本堂正面の千手観音像の背後に北側を向いた状態で鎮座。その姿は絶対に見ることは出来なかったが、その後北側に扉が設けられ、江戸時代初期から33年に一度のご開帳が始まった記録が残っている。

 道成寺には三体の千手観音像がまつられているが、
この北面秘仏は、南北朝時代の1357年に万壽丸が本堂を建て替えたのと時を同じくして第3期の千手観音像として造られた。当時、初代千手観音像(高さ約2メートル40センチ)が壊れており、それを隠す(胎内仏・鞘仏)ように一回り大きく造られた秘仏(高さ約3メートル60センチ)で、初代の像を包むように4枚の分厚いヒノキ材で彫られ、その後に頭部や手が取り付けられたという。初代像と二重にした状態で北向きに祭られていたが、昭和61年の本堂解体修理で北面秘仏を修理した際、内部に初代の本尊が納められていることが判明。初代の手が元通りになり、北面秘仏の中に収まらなくなったため、初代を本堂の正面にまつり、北面秘伝の観音像は初代を守るように北向きに祭られた。
 本堂が完成した当時、北面秘仏の前(北側)に板壁があった痕跡があり、「絶対秘仏」として扱われたとも伝わる。その姿を絶対に見ることは出来なかったが、江戸時代初期に33年に一度のご開帳が始まった記録が残っている。普段は開くことがない扉が設けられているが、33年に一度の春33日間だけしか開けられず、北面秘仏を目にする機会は人生のうちに数度しかない。昭和47年以来となった前回の2005年には3月26日に開扉法要が行われ、鐘供養会式当日の4月27日夕刻に扉が閉じられた。
 平成29年、本堂の千手観音立像が県立博物館で開いた特別展「道成寺と日高川~道成寺縁起と流域の宗教文化~」に展示されたため、北面秘仏の千手観音像が顔を隠した状態で南側を向き、本堂を守る珍しい光景が見られた。


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