サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

嫁に来ないか/新沼ひろ映(バトミントン元世界女王)/62歳

2011年09月08日 | 毎日がメメント・モリ

新沼謙治悲痛 妻・ひろ映さん死去も最期みとれず


スポーツ報知 9月8日(木)8時2分配信

 

 演歌歌手の新沼謙治(55)の妻で、バドミントン元世界女王の新沼ひろ映(旧姓・湯木博恵)さんが7日午後、都内の病院で亡くなった。62歳だった。7年前、乳がんを宣告されていた。通夜・告別式は親族だけで行うという。

 新沼はこの日、山形でチャリティーコンサートを行っており、最期をみとれなかった。午後11時半頃、東京着の新幹線で帰京したときにはマスコミの問い掛けに無言だった。

 ひろ映さんは山陽女子中時代にバドミントンを始めた。日本女子体育大2年の1969年、当時シングルスでは世界最高峰となる全英オープン選手権に初優勝し、世界を驚かせた。そして、4度制覇するなど、バドミントン界では日本の第一人者だった。2002年、国際バドミントン連盟の殿堂入りを果たした。

 結婚もバドミントンが縁。新沼の故郷、岩手・大船渡で、80年に結成されたバドミントンクラブにひろ映さんが招かれたのがきっかけ。知人がバドミントンが趣味の新沼を紹介。約5年の交際を経て、86年3月にゴールイン。歌手とバドミントンの女王というだけでなく、ひろ映さんが8歳年上の姉さん女房だったことも話題になった。

 結婚を機に日本女子体育大、付属高の二階堂高校のバドミントン部のコーチを控え、家庭を優先。1男1女をもうけた。

 転機は04年だった。乳がんを宣告され、手術を経験した。献身的に看病してくれた新沼や家族が支えだった。同年の退院後は東京・大田区の南馬込文化センター体育館で、愛好家と週に2度、バドミントンを楽しんでいた。日常から、「薬で血がどろどろになりそうなので」と水を2リットル摂取するなど健康には人一倍気を使っていた。

 ◆新沼 ひろ映(にいぬま・ひろえ)旧姓・湯木博恵(本名は博江)。1948年11月15日、広島・安芸郡生まれ。日本バドミントン協会強化委員で、2002年には国際バドミントン連盟の殿堂入り。しばしば講習で訪れた山口・下松市では、世界一4度の功績をたたえ毎年「湯木博恵杯争奪バドミントン大会」が開催されている。

今でこそバトミントンは結構かわいいアイドル級が出てきて、話題になっているが、僕たちの年代ではとても地味な競技スポーツだった。
そのなかでも、世界女王の湯木博恵さんは別格ではあった。
当時はオリンピック競技ではなかったような気もする。
そして、その彼女が、朴訥さが売りの新沼謙二と結婚すること、それも新沼が地元大船渡に結成したバトミントンクラブが縁となったということ、彼女が8歳年上の姉さん女房であったこと,
出来ちゃった婚のハシリであったことなどが、さわやかな話題を振りまいた。
演歌歌手とバトミントン世界女王、ちょっと意外な取り合わせの「嫁に来ないか」宣言である。
以来、おしどり夫婦として子どもにも恵まれ、銀婚式を迎えるはずであった。
新沼が突然の訃報を聞いたのも、東北震災のチャリティで地元のコンサートを開いていた時であったらしい。
しみじみと感じ入るものがある・・・合掌!


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