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●漫画・・ 「丸出だめ夫」..(2)

 昭和を代表する傑作ギャグ漫画の一つ、「丸出だめ夫」は、60年代の週刊少年マガジンに長期連載され、ギャグ漫画としては、当時の子供たちに大人気で、あの時代のマガジンの看板漫画の一つだったと言っても良いと思います。当時は、週刊少年サンデーの「おそ松くん」、マガジンの「丸出だめ夫」がギャグジャンルの二大横綱でしょうね。作者・森田拳次氏も、あの時代のギャグジャンルの漫画では、赤塚不二夫とは双璧でしょう。あの時代のたいていの児童漫画雑誌では、赤塚不二夫か森田拳次のギャグ漫画が掲載されてました。たいていの、というよりほとんどですね。「丸出だめ夫」の連載開始、つまり新連載が1964年の第1号から始まって、連載終了が67年第26号までとなっています。59年春創刊の週刊少年マガジンの創刊5周年目から始まった訳ですから、講談社・マガジン史では、ギャグ漫画ジャンルでは初期の代表作と言えますね。

 ギャグ漫画「丸出だめ夫」のシンボルといえば、0点の答案用紙ですね。毎回のように出て来る、A4かB4くらいの大きさの白い用紙に、デカデカと黒く太く書かれた「0点」の文字。いつも出て来て、時には何十枚と、畳んだ古新聞か廃棄する紙束みたく、厚重ねになった全部「0点」の答案用紙の束。トイレットペーパーが普及する以前の、昭和のトイレの落とし紙の束、みたいでした。試験があれば、どんな教科だろうが、ペーパーテストの点数はほとんどが0点のだめ夫ですが、ごくごくタマに「5点」とか取ることもありました。本当に稀に「10点」取ったときもあったと思います。そんなときは家族でお祝いです。家族って、だめ夫の家は父子家庭ですから、お父さんの丸出はげ照と、お母さん兼弟役のポンコツロボット、“ボロット”の3人だけですが。3人家族揃ってお祝い。長期連載の中で回も進めば、驚異!というくらいの「20点」取れた回もあったように思います。さらに驚天動地の「30点」取れた回もあったような気がする。勿論、「丸出だめ夫」のテストは全部、100点満点中です。「丸出だめ夫」が週刊誌の連載で4年間連載が続いた中で、「10点」「20点」「30点」が各一回づつくらいだろうか。まあ、「10点」は二、三回あったのかも知れない。長期連載中、唯一、奇跡の「50点」というのがあって、この「50点」の答案用紙は、父親・丸出はげ照が、丸出家の家の中の床の間だっけか、客間か玄関か、額に入れて飾ってますね。後は毎回毎回、全部0点。

 「丸出だめ夫」とは正にワタシ、自分自身です。僕は子供時代、漫画が好きで好きで、たまらなく大好きで、この時代の僕は漫画こそが、子供ですが人生というか、人生という言葉も含めた、この時代の生活の中で、何でも何事でも、とにかくこの世で第一番のモノで、正直、自身の全身、身も心もずっぽり、漫画浸けの日々でしたが、僕はこの時代、漫画の世界の様々、イロイロなヒーローたちに憧れまくっていましたが、それは、運動神経抜群のスポーツヒーローも、拳銃バンバン撃ちまくり、ギャングたちをパンチでやっつけ投げ飛ばす、アクション漫画のヒーローたちも、喧嘩に強く友情に厚く、人望のある番長の、学園ヒーローも、そして特に、侵略宇宙人や狂った悪の科学者の作り出した、破壊ロボットや恐怖の殺人兵器と敢然と戦う、SF漫画の超人ヒーローたちなどなど、とにかく、当時の漫画本の中で描かれるヒーローたちには、ヒーローというヒーローには全部、憧れまくりましたが、じゃあ、実際、漫画世界の中で、現実の自分、僕自身に一番近かったキャラクターは誰だったのか、と言いますと、文句なく「丸出だめ夫」なのでした。

 実際の僕自身を、漫画の主人公で表すと、それは当然、ヒーロー漫画のカッコ良い主人公などでは、とんでも絶対なく、ギャグ漫画の主人公、「丸出だめ夫」だったのです。まあ、漫画の「丸出だめ夫」の方が、トータルで僕よりも上位に居るくらいの、良質なキャラクターなんですけどね。いろんな意味で。実在の僕は、全くひどいガキでした。漫画本の中のありとあらゆるヒーローたちに憧れ続け、そのヒーローたちの要素の中の、小さな欠片の欠片の欠片のゴミほども、垢の粒というか、ホコリくらいも、顕微鏡で見るミクロの世界の、くらいのモノも、似たものは僕は持ってませんでした。僕はヒーローなんて、とんでもとんでもとんでもないという、まるでダメな少年でした。正に、「丸出だめ夫」に一緒にしないでくれ、とでも言われるくらいに、ダメなガキでしたね。まあ、その後もずっと、ダメなんですけど。

 ギャグ漫画「丸出だめ夫」の主人公、だめ夫は、学校のテストは毎回毎回0点で、何をやっても駄目で、勿論、学業成績だけでなく、運動・スポーツも全部ダメで、頑張って努力をしたり、狡いことを考えて、怠けてもうまくやれる方法を思い付いて、自分は労力を出さずに良い思いやラクな思いだけするコトを考えて、実行してみても、結局、考えや作戦、やるコトが間が抜けていたり、運が悪かったりで、何事もうまく行かず、結果みんなダメなんですよね。努力したり、良いアイデアだと思って頑張ってやってみたコトゴトが、全て結果ダメで、親父や、母親役のボロットや担任の先生に、「まるでダメだねっ!」ってセリフで怒鳴られる。だめ夫のダメさ加減のキャラクターはそういうキャラですが、ギャグ漫画としてそこに笑いがある訳ですが、救われるのは、だめ夫はもの凄く“良い子”なんですよね。毎回ラストは失敗して、誰かに「まるでダメだねっ!」と叫ばれて、その週のお話を終了するのですが、次の週の始まりのコマではもう、明るくて前向きなだめ夫です。丸出だめ夫君という少年は、素直で根は優しくて思いやりもあり、イロイロと迷うけれど、基本、陽気で明るい、クヨクヨしない、失敗して落ち込んでも次にはもう立ち直ってる、とっても性格の良い子供ですね。失敗してるけど、いつもポジティブですよね。ポジティブだから毎回、何がしかやってみる。で、やってみた結果、失敗して「まるでダメだね」になる。けど、基本ポジティブだから次の週でまた、何がしかやってみてる。オオゲサな言い回しだけど、いつでも挑戦的。決してめげない。まあ、ダメで落ち込んだままだと、ギャグ漫画続いて行かないから、というコトでもありますが。だめ夫という子供は基本、正義感の持ち主だった、とも思うし。

 僕のコトを「だめ夫」と呼んだのは、実は僕の歳の離れた兄貴で、僕の兄貴、ウチの長兄は僕よりも七つ八つ年上で、「丸出だめ夫」が人気爆発の頃だから、僕が小三頃から呼び始めたのかな。兄貴は僕のコトを“だめ夫ちゃん”と呼んでいました。僕が、七つ八つ九つくらいの頃だろうか。七つ八つ年上の兄貴はもう、中二か中三くらいになってたのかな。僕が六歳になってすぐ、山々と小川と田んぼと畑ばかりの、地方のThe田舎から、商店街が続く、地方でも街中に引っ越して来た僕んち一家でしたが、兄貴は田舎の方で中学に進級してたんで、転校せずにそのままバス通学してました。僕を“だめ夫ちゃん”と呼んでいた歳の離れた兄貴は、兄弟で一緒に街中を歩くとき、僕がキョロキョロして落ち着かず、だらしなく歩くので、よく後ろから僕の顔の両頬を両掌で押さえて、「真っ直ぐ見て歩け!」とか言ってました。まあ、僕の生涯“だめ夫”は、このときに、幼児期の僕の脳味噌に“刷り込み”されてしまったのかも知れません。僕の脳が深い意識下で勝手に、「俺はだめ夫なんだ‥。俺はダメなんだ‥」と、思い込んで消せなくなったのカモ。

 まあ、だいたい僕は根っからの人見知り、臆病でして、もう幼児の頃から集団が苦手でした。だから幼稚園とか保育園は一日しか行ってないし、小学校も小一時代は登校拒否児童で、随分母親を困らせました。僕は小一時代の通信簿は、成績5段階のオール1でした。小二から成績が1、2、1、2というふうになり、そこから良くて2、3、2、3となって行きました。小学校六年間で一番良かった成績は、オール3です。小学校の頃は、まあ、中学・高校でも同じですが、とにかく学校の勉強が大嫌いで、実際、学校の先生の授業が聞けない。集中力が全然ないし、学校の授業時間は一日ボーッとしてました。元気が良かったのは休み時間だけ。宿題も全然やって行かないし、毎日のように先生から怒られてました。当時の先生は有無を言わさず叩いてたんですね。まあ、頬ベンタ(ビンタ)なんてのは滅多にありませんが、小学校六年間僕はほぼ毎日、頭に拳骨を喰らってたんではないでしょうか。僕はとにかく授業が面白くなく、授業が聞けず、ただボーッとしてて、窓外や廊下側を眺めてた。あるいは、ノートや教科書の落書き。とにかく、授業の聞けない子供でしたねえ。当時は、授業中ボーッとしてると突如、先生の拳骨が頭のてっぺんに落ちるんです。これが痛い。けっこう本気で殴るから、毎回痛かった。考えてみれば、あれも、後々大人になってからも、僕は何というか、「ビクッ!」とする性格なんですね。小心・臆病で、とにかく何にでも「ビクッ!」と、恐怖気味に驚く。心臓に悪い。この性格は、この幼児期の後遺症なんじゃないだろうか、と思っています。何しろ、当時の先生は注意の言葉なぞなく、いきなり叩くんですから。先生が生徒を叩くのが、当たり前の時代。

 

※この「丸出だめ夫」第2回は「丸出だめ夫」第1回の続きですが、話の内容が「丸出だめ夫」第2回で終了できないので、この記事は「丸出だめ夫」第3回へと続きます。「丸出だめ夫」..(3)へと続く。

 

◆(2014ー7/31)漫画・・「丸出だめ夫」..(1)
◆(2014ー8/16)漫画・・「丸出だめ夫」..(2)

*(2023-6)ココの文末で「丸出だめ夫」..(3)へ続く、と書き込んでますが、多分もう「丸出だめ夫」..(3)は書かないと思います。森田拳次先生の代表作の一つ、「丸出だめ夫」は僕の小学生時代のフェバリットの一つでもあり、生涯記憶に残り続ける傑作ギャグ漫画ですが、もう「丸出だめ夫」..(2)で僕の思いはあらかた書いてしまったかな。もうたいして書くことないかなぁ。

 SFスーパーヒーローに憧れ捲ってた小学生時代、本当の僕の分身は「丸出だめ夫」と「よたろうくん」でした。毎日、学校で先生にこっぴどく怒られて馬鹿にされてた劣等生の僕は、当時「丸出だめ夫」や「よたろうくん」という分身を漫画本の世界で見て大笑いし、気持ち的に安心していたのかも知れません。毎日毎日、先生に怒られる僕の“慰め”だったのかもなぁ。

 でも、もう特に「丸出だめ夫」や「よたろうくん」に対して書くこともないかなぁ。彼らは僕の小学生時代の特に親しくした親友だったな、と思います。

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