HIZAKURI

旧東海道踏破の覚書、ただし日本橋から箱根まで

八つ棟のういろう

2014年08月11日 | 平塚宿-大磯宿-小田原宿

さて、此処も有名なういろう。

↑どこぞのお城かと思うほど

もともと、ういろう(外郎)は、中国・元の滅亡とともに日本に渡り帰化した陳延祐という人物が開祖(…という言い方でいいのかな?)で、朝廷に重んじられたのが家伝の薬。この薬を「ういろう」と称していましたが、後に天皇から「透頂香(とうちんこう)」との名前を下賜されたそうです。
小田原を手中にした北条早雲が、この外郎の5代目を招いたのが小田原ういろうの始まりで、秀吉の小田原征伐後も、此の地に留まることを許されています。
江戸時代になると、薬を一般民衆にも売り出すようになりました。小粒の丸薬で、胃腸やのどの痛み、船酔いに効くとされ、旅の常備薬となったのでした。

外郎家は北条にから八つ棟造りの邸宅を与えられ、江戸時代の絵図にも描かれているほどです。

↑「東海道名所図会」より

で、ういろう。
弥次さん・喜多さんも、此処で薬を買い求めていますが、喜多さん、
「おや、餅かと思ったらくすりみせだ…」
何を隠そう、かく言う私も、ういろうと言えば甘い菓子を真っ先に連想してまして、薬だったとは…。喜多さんと同レベルなので御座いました。

「ういろうを餅かとうまくだまされて こは薬じゃと苦い顔する」

ちなみにお菓子のういろうは、本家外郎家が小田原に移ったあと、その弟子たちが戦乱を避けて京から各地へ避難し、そこで製法を伝授したのが起源だそうです。
薬のういろうは、此処、小田原で一子相伝の秘術。一子相伝か…。なんか匠の技をも超える神秘の世界です。


↑葛飾北斎画「外郎売」

ういろうは歌舞伎にもなっているそうです。二代目市川団十郎が、ういろうによって病が回復し、再び舞台に立てるようになったのを感謝し「外郎売」を創作したのだとか。粋だねぇ、江戸っ子は!

-H-



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