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あすなひろし原画展ヒロシマ

2014年05月04日 | まんが・テレビ・映画


あすなひろし原画展ヒロシマ

会期:2014年4月26日(土)~5月5日(月・祝)
時間:10:00~19:00(26日は10:00から開会式)
会場:旧日本銀行広島支店金庫室
入場料:無料




「先日(4月30日)、『あすなひろし原画展ヒロシマ』を見に、旧日本銀行の広島支店に行ってきた」

「原画展、ということは漫画家の方?」

「ほうなんよ。『青い空を、白い雲がかけてった』(1976年~1981年)という作品を、『週刊少年チャンピオン』『月刊少年チャンピオン』(秋田書店)に連載されとった方なんじゃ」





「…ということは、お父さんが中学・高校生のころじゃね」

「このころの『週刊少年チャンピオン』は最強での、こんな作品が掲載されとったんじゃ」



水島新司(みずしま しんじ)『ドカベン』(1972年~1981年)

手塚治虫(てづか おさむ)『ブラック・ジャック』(1973年~1983年)

山上たつひこ(やまがみ たつひこ)『がきデカ』(1974年~1980年)

石井いさみ(いしい いさみ)『750ライダー』(1975年~1985年)

横山光輝(よこやま みつてる)『マーズ』(1976年~1977年)

望月あきら(もちづき あきら)『ゆうひが丘の総理大臣』(1977年~1980年)

萩尾望都(はぎお もと)『百億の昼と千億の夜』(1977年~1978年)

鴨川つばめ(かもかわ つばめ)『マカロニほうれん荘』(1977年~1979年)

森村たつお(もりむら たつお)『スーパー巨人』(1978年?)

小山田いく(おやまだ いく)『すくらっぷ・ブック』は、(1980年~1982年)

(以上、掲載開始順。敬称略)




↓あすなひろしについては、こちら↓

あすなひろし公式サイト

あすなひろし追悼サイト






「なんで広島の、しかも旧日本銀行でやってん?」

「東京生まれのあすなひろし(1941年~2001年)氏は、1947年(昭和22年)、6歳の時に父親の転勤で広島の呉に来て、中学・高校は広島市にある修道学園に通われたそうじゃ」

「ということは、義弟の大先輩でもあるんじゃね」

「そういうことになるのう。高校を卒業した後、映画会社の宣伝部やデザイン会社勤務を経て、1961年(昭和36年)、『まぼろしの騎士』(少女クラブ冬の号)でデビューされたんじゃの」

「むかしは、少女漫画を描かれる男性漫画家が多かったんじゃね」

「たとえば、

石ノ森章太郎(いしのもり しょうたろう)氏の『さるとびエッちゃん』、

ちばてつや氏の『1・2・3と4・5・ロク』、

松本零士(まつもと れいじ)氏の『星よ消えないで』

とか…」

「ほかにも、

赤塚不二夫(あかつか ふじお)さんの『ひみつのアッコちゃん』、

横山光輝さんの『魔法使いサリー』

…とかあるよ」

「あすな氏が少女漫画でデビューされたのは、『少女クラブ』の編集長をされとった丸山 昭(まるやま あきら)氏のもとからデビューしたかった、ということもあったそうじゃ」

「丸山さん?」

「丸山氏は、『リボンの騎士』を連載当時の手塚治虫の担当をされ、石ノ森章太郎氏、赤塚不二夫氏、水野英子(みずの ひでこ)さんといった方々を育てられた方なんじゃ」

「なるほどね」

「最初に言うたように、わしゃ『青い空を、白い雲がかけてった』しか読んだことがなかったんじゃ。ほいじゃけぇ、今回の展示で、少女漫画・少年漫画・青年漫画と、あすな氏のいろんな作品を見ることができるのが、ええところじゃの」

「いろいろな漫画を描かれとってんじゃね」

「わしゃ、あすなひろしは寡作(かさく)、描かれる作品が少ない漫画家じゃと思うとったんじゃが、実は、発表した作品が400作以上、ページにすると1万ページ以上にものぼるそうじゃ」

「へぇ…」





「あすな氏の作品ですごいところのひとつが、カケアミの丁寧さ」

「カケアミ?」

「ペンで細かい線を重ねていって陰影を描く技法のことじゃ」





「たとえば、この原画を拡大して見ると…」





「うわー、すごいね。めまいがしそうなよ」

「じゃろ? しかも、ホワイトを使わずに描かれとってんじゃ」

「ホワイトを使(つこ)うとってんない?」

「ふつうの漫画家さんじゃったら、一度、カケアミやベタ塗り(べたぬり。黒で塗り潰すこと)をしたあと、ホワイトで塗って白い部分を作る。ところが、あすな氏の原画を見ると、白い部分は最初からカケアミも入れとってんないし、ベタも塗っとってんないんじゃの」

「うーん、すごい」





「この展示を見て、気に入ったのが『赤いトマト』という12ページの短編。で、「この作品が気に入りました」と会場におられた女性に話しかけたら、なんと、あすな氏のお姉さんにあたる方じゃったんじゃの」

「へぇ…」

「彼女によると、この作品を展示するように働きかけたのは自分じゃということじゃそうな」

「やっぱり、男性と女性じゃ、作品の見方が違うんかね」

「その話をしよるとき、これが目に入った」





「甥御(おいご)さんが、ツール・ド・フランスに出場されとってん?」

「今中大介(いまなか だいすけ)いうんじゃが、何度か雑誌で見かけたことがある。彼の顔写真を見て、…ひょっとして高校の同級生じゃないんかの? と思うとったんよ。で、あすな氏のお姉さんに聞いてみると、私の子どもです、ということじゃった」

「ありゃま!」

「で、生まれた年と卒業した高校を確認したら、まっこと(=本当に)高校の同級生じゃった」

「へぇ~」

「で、その場で携帯から電話をかけてもろうて話をさせてもろうた。高校を卒業してからじゃけぇ、33年ぶりくらいになるんかのう」

「「事実は小説よりも奇なり」って言うけど、そういうこともあるんじゃね」



↓今中大介については、こちら↓

InterMax





訪問日:2014年4月30日





【参考文献】

「青い空を、白い雲がかけてった」『BSマンガ夜話』(NHK-BS2 2004年111月30日放送)


※『BSマンガ夜話』は会場で上映されています。





「今日は、原画展が開催中で、没後13年を迎えるあすなひろしについて話をさせてもらいました」

「ほいじゃあ、またの」

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