那覇市繁多川にある識名宮は琉球八社に数えられ、熊野権現の流れを汲む神社です。尚元王(しょうげんおう)(在位1556~60)の時代に、長子・尚康伯(しょうこうはく)の病気回復を祈願するために、創建されたといわれています。
現在でも地域の神社として、参拝や散策する人々が訪れます。
繁多川農協の隣、繁多川のバス停留所際に参道があります。狭い敷地ですが、きれいに手入れがなされています。
鳥居をくぐるとすぐ左側に社務所があります。参道の両側にフクギの大木が植えられています。
社務所前のフクギです。沖縄戦で銃撃を受けた跡が穴になっており、幹の中は空洞になっています。それでもたくましく枝を伸ばして成長しています。戦争の傷跡を身体に残して今を生きる、物言わぬ証人です。
神殿の裏手に自然壕が口を開いています。
戦時中、繁多川の住民が空爆から避難をした壕です。
内部はそれほど広くはありませんが高さはあり、古い鍾乳洞のようで乾いています。現在、拝所となっています。
なんとも痛々しいです。
こういう木々にも 話をさせてあげたいです。