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天気や時期など、雲海が発生する条件は? 雲に浮かぶ天空の城『竹田城跡』とは

竹田城竹田城

『竹田城』とは? 『竹田城』を巡る歴史と観光地としての『竹田城跡』

『竹田城』は、但馬国(たじまのくに)、現在の兵庫県朝来(あさご)市和田山町竹田に存在した山城(やまじろ)です。虎が伏せているように見えることから、別名『虎臥城』(とらふすじょう・こがじょう)とも呼ばれています。

『竹田城』は、1443年当時の但馬国(たじまのくに・現在の兵庫県)の大名、山名持豊(やまなもちとよ・宗全(そうぜん))の命でつくられたと言われています。完成後、山名氏配下で「山名四天王」の一人である太田垣光景(おおたがきみつかげ)が初代城主となり、以後7代に渡って太田垣氏が城主を務めました。

時は流れ、織田信長(おだのぶなが)の臣下となっていた山名祐豊(やまなすけとよ)は、当時、織田信長との仲が悪化していた毛利氏と手を組み、織田信長に対抗します。これを受けた織田信長は、羽柴秀吉(はしばひでよし・後の豊臣秀吉(とよとみひでよし))に命じて、『竹田城』を落とします。さらに1580年には山名祐豊を滅ぼしたため、山名祐豊の配下にあった当時の竹田城主・太田垣輝延(おおたがきてるのぶ)も城主の座を追われることになりました。後に羽柴秀吉から但馬の地を与えられた羽柴秀長(はしばひでなが・羽柴秀吉の弟)が、属将である桑山重晴(くわやましげはる)を竹田城主として配置しています。

その後、羽柴秀吉の臣下である赤松広秀(あかまつひろひで・斎村政広(さいむらまさひろ))が竹田城主となります。赤松広秀は大規模な『竹田城』の改修を行いました。現在に残っている『竹田城跡』の堂々たる石垣群は、赤松広秀の手によるものとされています。

現在の『竹田城跡』に建物はなく、石垣や天守台などが残るのみですが、完存する石垣遺構としては日本屈指の規模を誇り、1943年には国の史跡に指定され、2006年には日本100名城にも選ばれています。
また、『竹田城跡』は標高353.7mの高所にあり、天気や時期などの条件がそろうことで発生する雲海が、まるで雲の上に城が浮かんでいるような幻想的な風景を作り出すことでも知られています。『天空の城』や『日本のマチュピチュ』という呼び名でも親しまれており、多くの観光客でにぎわっています。

『竹田城』の石垣に使われた技法『野面積み』とは? 個性が集まれば絶大な力を発揮する

廃城となった城の多くは、取り壊されました。あるいは、手入れされることもなく風雨にさらされ、やがて朽ち、石垣も崩れていくという、実際に多くの山城がそのような悲しい運命をたどっている中、『竹田城』の石垣群が廃城から400年の時を経てもなお残っているのは、『山城遺跡』(やましろいせき)としては全国でも稀なケースです。『竹田城跡』は天空の城として有名になっており、その真の魅力は石垣だといわれています。石垣は400年もの間、なぜ当時の形を保っていられたのでしょうか?

その秘密は、『竹田城跡』の石垣は『野面積み』(のづらづみ)という整形しない自然の石をそのまま積み上げる技法で築かれていること、また、当時一流の石工集団である近江の穴太衆(あのうしゅう)が手掛けた『穴太積み』だとされています。現代においても地域住民が保全活動を行っていることで、長い間その形を保っているのです。

実際に『竹田城』の石垣を眺めてみると、さまざまな大きさや形をした石が、巧みに積み上げられています。野面積みの極意は、「石の声を聞くこと」だといいます。一つひとつの石の形状を考えて収めるべきところへ的確に配置すれば、少々のことではびくともしない頑丈な石積みになるのだそうです。

石一つひとつは「ただの石」ですが、それらの特徴を把握してあるべきところへ配置すれば、これ以上ないほど強固な土台になります。これは丁寧に仕事をすることの重要性を教えてくれると同時に、あらゆる個性が一つになることで強い力を発揮できることも教えてくれます。

雲海が見られる天気や時期もご紹介します。『竹田城跡』へ行ってみましょう

春の桜や夏の青々とした草木に彩られた姿や、冬に雪化粧をほどこされた姿も、もちろん魅力的なのですが、なんと言っても絶景なのは、雲海に浮かぶ『天空の城』としての『竹田城跡』です。雲海は、『竹田城跡』の近くを流れる『円山川』から発生する蒸発霧であるため、昼間と夜間の気温差が激しいほど発生しやすくなります。そのほか、湿度が高く放射冷却が十分であること、よく晴れていること、風が弱いことなども発生条件として挙げられます。これらの条件を満たしやすい時期が、9月~11月にかけての秋ごろ、特に晩秋になります。
この時期、『竹田城跡』に降り立ち見下ろす雲海は、なんとも幻想的です。また、『竹田城跡』の東に位置する『立雲峡』(りつうんきょう)の第一展望台からは、雲に包まれた『竹田城跡』の全体を見下ろすことができます。

発生する時間帯は、明け方から午前8時頃と朝早いので、前日から近くのホテルや旅館に泊まるなどして観光するのがおすすめです。駐車場から徒歩のルートが一般的ですが、バスやタクシーの利用も可能です。

アクセスマップ

名 称:竹田城跡
時 間:3月1日~5月31日:8時00分~18時00分(最終登城:17時30分)、6月1日~8月31日:6時00分~18時00分(最終登城:17時30分)、9月1日~11月30日:4時00分~17時00分(最終登城:16時30分)、12月1日~翌年1月3日:10時00分~14時00分(最終登城:13時00分)
※気象条件などにより、入場規制措置がとられる場合があります。
休 日:1月4日~2月末まで
料 金:高校生以上500円・中学生以下無料
住 所:兵庫県朝来市和田山町竹田字古城山169番地
電 話:079-674-2120(情報館天空の城)
※情報は変更されている場合があります。

監修者プロフィール
河合 敦(かわいあつし)
多摩大学客員教授。歴史研究家。1965年東京都生まれ。多数の歴史書を執筆するとともにテレビやラジオなどのメディア出演多数。
代表的な著書に『日本史は逆さから学べ!』(光文社知恵の森文庫)、『もうすぐ変わる日本史教科書』(KAWADA夢文庫)などがある。

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