【レビュー】「佐伯祐三 ー 自画像としての風景」大阪中之島美術館で6月25日まで 扉の向こうの心象風景を見る

佐伯祐三 《扉》 1928年 田辺市立美術館(脇村義太郎コレクション)

開館1周年記念特別展「佐伯祐三 ー 自画像としての風景」
会場:大阪中之島美術館 5階展示室
会期:2023年4月15日(土)~6月25日(日)
開場時間:10時~17時(入場は16時30分まで)
休館日:月曜日
観覧料:一般1800円、高大生1500円、小中生500円
詳しくは、公式サイト(https://saeki2023.jp/

「自画像としての風景」

独自の視点でパリの風景を描いた佐伯祐三(1898~1928年)の開館1周年記念特別展「佐伯祐三 ー 自画像としての風景」が大阪中之島美術館で6月25日まで開かれています。2023年は、佐伯の生誕125周年の記念すべき年。生まれ故郷である大阪で、世界一の佐伯祐三コレクションを誇る大阪中之島美術館が満を持して開催した大規模回顧展です。

副題「自画像としての風景」には、”夭折の天才画家”として劇的で短い人生にクローズアップされがちだった佐伯を、「風景の中に自己表現を見出した画家」、「作品に自己を没入させたような表現」(同館の高柳有紀子主任学芸員)といった別の視点から見つめて欲しいとの思いが込められているそうです。

異形の自画像 独自の表現を模索

佐伯祐三 《立てる自画像》 1924年 大阪中之島美術館

都市の風景を主な画題とした佐伯ですが、東京美術学校西洋画科の画学生時代など、初期に多くの自画像を残しています。その自画像の中でも異彩を放つ《立てる自画像》は、顔が削り取られ、表情が分かりません。

1924年に初めてフランスに渡った際、友人の洋画家・里見勝蔵に同行し、フォーヴィスム(野獣派)の巨匠モーリス・ド・ヴラマンクに渡仏前に描いた絵を見せたところ、「生命感がない」「アカデミック!」と激しく否定された”事件”が有名です。

佐伯祐三《パレットをもつ自画像》 1924年 ENEOS株式会社

この”事件”の前に描かれた同時期の《パレットを持つ自画像》と見比べても、作風が著しく変化していることが分かります。

一時帰国時代にも注目

佐伯祐三 《下落合風景》 1926年頃 和歌山県立近代美術館

佐伯は、2度渡仏していますが、その間にあたる1926年3月からの一時帰国時代に集中的に取り組んだ画題が東京の「下落合」と大阪の「滞船」でした。かつては、パリ時代に比べ、本領が発揮されていない時代の作品と低い評価もありましたが、第2次パリ時代に通じる「独特の視点」など、近年、再評価されているそうです。「ひとつの対象を何点も描いています。同じ対象に向き合いながら、表現を試行したことが分かります」と高柳学芸員。

「滞船」の連作の展示風景

第1次パリ時代 「壁のみ」で構成する独自の作風

佐伯祐三《壁》1925年 大阪中之島美術館

ヴラマンクにどなられて以降、佐伯は独自の作風を模索し、パリの街を題材にするようになりました。建物を正面からとらえる「一棟の建物」、さらにはその建物の「壁のみ」で構成された視点の作品へと変わっていきました。

いずれも佐伯祐三 《コルドヌリ(靴屋)》 1925年(右)石橋財団アーティゾン美術館(左)茨城県近代美術館

この時期の代表作である《壁》と《コルドヌリ(靴屋)》には、画面全体に広がる圧倒的な“壁面”の力強さが放たれています。自身の葛藤と正面から向き合ったようにも、新たな壁を乗り越えようとした姿にも感じられます。

第2次パリ時代の「文字と線」

一時帰国を経た1927年8月からの2度目の渡仏について、佐伯は「こんどは決死の勉強をする決心でいる」との意気込みを書簡に残しています。この第2次パリ時代に到達した「広告の文字と画面を跳躍する線描によるパリ風景」は、佐伯の代名詞です。

佐伯祐三 《ガス灯と広告》 1927年 東京国立近代美術館
佐伯祐三 《レストラン(オテル・デュ・マルシェ)》 1927年 大阪中之島美術館

佐伯芸術の到達点として知られる代表作《ガス灯と広告》や《レストラン(オテル・デュ・マルシェ)》などカフェ・レストランの連作を観ると、正対する壁などの構図は第1次パリ時代と同じですが、跳躍するようなポスターの文字が視点のメインになっているのが分かります。その文字運びや筆の勢いを感じさせる画面から、描いた時の興奮が伝わってくるようです。華やかなパリではなく、佐伯の興味が公衆便所や工場、場末の街など、下町や裏通りといった独自の視点にあるところも注目です。

ヴィリエ=シュル=モラン 命を削りながら創り上げた連作

1928年2月、佐伯は荻須高徳や山口長男らとともにパリ近郊のヴィリエ=シュル=モランへ写生旅行に訪れ、新たな造形を模索します。村の中心である教会堂をはじめとする珠玉の作品群が最後のまとまった制作になりました。佐伯は心身ともに調子を崩して同年3月、パリに戻ります。

佐伯祐三 《煉瓦焼》 1928年 大阪中之島美術館

モランでの作品のひとつ《煉瓦焼》は、佐伯の真価を最初に見出し、一大コレクションを築いた山本發次郎が初めてに魅了された作品として知られています。この山本發次郎の蒐集した佐伯作品が、大阪中之島美術館の設立のきっかけとなりました。

有名な《郵便配達夫》は数少ない人物画

佐伯祐三 左から《郵便配達夫》、《郵便配達夫(半身)》いずれも1928年 大阪中之島美術館

モランからパリに戻った佐伯が最後に描いた作品のひとつで、佐伯といえばこれ!といわれるほど有名な《郵便配達夫》ですが、実は佐伯にとって数少ない人物画です。

最後の”自画像” 2つの「扉」の先には?

佐伯は1928年8月16日、パリ郊外の精神病院にて、享年30歳の若さで短くも鮮烈な人生を終えました。絶筆に近い作品は《郵便配達夫》など5作品があり、そのうち《黄色いレストラン》と《扉》は、屋外で最後に描いたとされ、佐伯最後の「自画像としての風景」といえる作品です。

佐伯祐三《扉》 1928年 田辺市立美術館(脇村義太郎コレクション)、《黄色いレストラン》1928年 大阪中之島美術館
佐伯祐三《扉》 1928年 田辺市立美術館(脇村義太郎コレクション)

《扉》は重い黒みがかったブルーで《黄色いレストラン》は明るいイエロー。それぞれ明暗が対称的な扉の色です。その扉は固く閉ざされたままなのか、それとも開かれて光が差し込む未来があったのか。

佐伯は、妻子を伴って渡仏しており、佐伯が死去して約2週間後に娘の彌智子も父と同じ結核で6歳の生涯を終えています。もしかしたら、本展に展示されている作品の中には、父が娘とともに見た風景もあるかもしれません。

展示風景 佐伯祐三《彌智子像》1923年 大阪中之島美術館、《米子像》 1927年 三重県立美術館

(ライター いずみゆか)

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