【レビュー】心の中にある楽園を描き続ける――東京ステーションギャラリーで「佐伯祐三 自画像としての風景」展

佐伯祐三《立てる自画像》(中央、1924年、大阪中之島美術館)などの展示風景

佐伯祐三 自画像としての風景
会場:東京ステーションギャラリー(東京都千代田区丸の内1-9-1)
会期:1月21日(土)~4月2日(日)
休館日:月曜休館、ただし3月27日は開館
アクセス:JR東京駅丸の内北口改札前
入館料:一般1400円、高校・大学生1200円、中学生以下無料
※障がい者手帳等持参の方は100円引き(介添者1名は無料)
※会期中一部入れ替えあり
※詳細情報はウエブサイト(https://www.ejrcf.or.jp/gallery)で確認を。

佐伯祐三といえば、「ヴラマンクに怒鳴られた人」という印象が強い。1924年に渡仏した佐伯は、自身が描いた裸婦像を持ってモーリス・ド・ヴラマンクの家を訪れた。ところがこのフォーヴィスムの巨匠は、絵を一瞥して「このアカデミック!」と怒声を浴びせたのである。あらゆる伝統を拒否し、自分の力だけを信じて絵を描き続けたヴラマンクにとって、佐伯の絵は「学校で学んだお上品な絵」だったのだろうか。1時間半に渡ってあこがれの巨匠からの罵声を受けた佐伯は、絵画観が一転するほどのショックを受けたという。上に挙げた《立てる自画像》は、佐伯がヴラマンクに会った直後の作品。目のあたりを削り取られた、茫然と立ち尽くしている画家の姿。佐伯自身のアイデンティティ・クライシスが肌感で迫ってくる。

佐伯祐三《自画像》(左、1920~23年頃、三重県立美術館)と《自画像》(右、1919年頃、和歌山県立近代美術館)の展示

東京駅の中にある東京ステーションギャラリー。2023年最初の展覧会は、30歳の若さで亡くなった画家・佐伯祐三(1898~1928)の回顧展である。上記、ヴラマンクとのエピソードがあまりにも有名な佐伯、まず展覧会場で目に入るのが、その《立てる自画像》なのである。とはいえ、すぐそばに並べられたその他の《自画像》を見ると、実際の佐伯は、サッカー元日本代表、現日本サッカー協会専務理事の宮本恒靖氏を思わせる、ちょっとワイルドなイケメンだというのが良く分かる。大阪のお寺の次男で旧制中学時代は野球部に入っていたという佐伯、のびのびと闊達に育った若者が「ヴラマンク・ショック」を受けたわけだ。そのあと、彼はどのようにして「自分自身の絵」を見つけ出していったのか。それはいったいどんなものだったのか。この展覧会では、それが十分に描かれる。

佐伯祐三《下落合風景》 1926年頃 和歌山県立近代美術館
佐伯祐三《汽船》 1926年頃 大阪中之島美術館

展覧会は5つのブロックに分けられる。「プロローグ:自画像」をスタートに、「第1章:大阪と東京」、「第2章:パリ」、「第3章:ヴィリエ=シュル=モラン」、「エピローグ」という章立てである。2年間のパリ滞在の後、佐伯はいったん帰国して、東京・下落合にアトリエを構える。アトリエと大阪を行き来しながら、描いた絵をフィーチャーしたのが、「第1章」だ。アトリエ近くに広がる日常の風景と停泊中の船を描いた作品於数々。曇天の描写、荒っぽいようで精密な電柱やマストなどの直線。ちょっと地味ではあるけども、技量の高さを感じさせる作品が並ぶ。そして1927年、2回目の渡仏の後、佐伯の画業は花を咲かせることになる。

佐伯祐三《ガス灯と広告》 1927年 東京国立近代美術館
佐伯祐三《モランの寺》 1928年 東京国立近代美術館

第2章と第3章では、2回にわたる渡仏時の画業が集められている。パリで佐伯が好んで描いたのは、「建物」の「壁」であり、そこに書きつけられた「文字」だった。《ガス灯と広告》を見ても分かるように、細くしなやかに描かれたその「文字」は、それ自体が生命を持っているかのようなラインを浮かび上がらせる。さらに「建物」の存在感が強く感じられるのは、むしろ第3章、パリ近郊の村、ヴィリエ=シュル=モランで描いた絵だろうか。有機生命体のようなマットな質感を持った《モランの寺》、《煉瓦焼》でみせる独特のフォルムと色使いは、無生物のはずの建物に豊かな感情の存在を与えているようだ。風景や建物を題材にして、佐伯が独自の世界を築き上げている。

佐伯祐三《煉瓦焼》 1928年 大阪中之島美術館

1928年3月、モランからパリに戻った佐伯は、小雨の中で制作をつづけたことがもとで風邪をこじらせてしまう。3月末に喀血して病臥した後は、室内でさえも筆を持つことがかなわなかったという。「エピローグ」のコーナーで展示されている《郵便配達夫》は病に倒れた後の作品。シンプルで直線的なタッチで男性の「力強い生」が表現されている。佐伯はこの作品と《ロシアの少女》という2枚の肖像画、そして2枚の扉の絵を残し、1928年8月16日にこの世を去るのである。

佐伯祐三《郵便配達夫》 1928年 大阪中之島美術館
佐伯祐三《黄色いレストラン》(左、1928年、大阪中之島美術館)と《扉》(1928年、田辺市立美術館・脇村義太郎コレクション)の展示

その「扉の絵」は展覧会の最後の最後に並べられている。見比べてみると、これが実に対照的だ。画面全体が「若さ」や「希望」を示す「黄色」に彩られている《黄色いレストラン》。画面からは生きることの喜び、人生の美しさが伝わってくる。一方の《扉》で画面を覆うのは青、それも藍色に近い深い色である。インディゴ・ブルーには「知っている」という意味があり、物事の本質を見極める「洞察力」、内的な瞑想をイメージさせるのだ。展覧会の図録によると、病床の佐伯は親友の画家・山田新一に「(この2枚は)ぜったいに売ったりしないように厳に君にたのむよ。あの二枚だけが僕の最高に自信のある作品なんだよ」と話したという。「生きる喜び」と「内的対話」。好対照の2枚の扉を抜けて、佐伯はどんな世界へと旅立ったのか――。いろいろと趣深い展覧会である。

(事業局専門委員 田中聡)

展示風景