ミラージェス (2)

モレージャの学校, Morella


正確には前妻のカルメンピノスとの協同ということになりますが・・・。
ウエスカの体育館, Huesca


工事中事故の起きた体育館です。

アーチュりー場、Barcelona


オリンピック施設のなかでも一番前衛的なパビリオンでした。現在は廃墟化しています。

ノヴァ・イカリア通り, Barcelona


ある時彼から電話で日本の鳥居の色を塗りたいけどあれは何だという要件。ベンガラが塗られるところでしたが・・・・・。

パラフォイスの図書館, Palafolla, Barcelona近郊

最初の模型

最初の出会い


これも工事は長いことかかりましたね。

うなずきの展望台、富山

エンリック・ミラージェス
1955年スペイン、バルセロナ生まれ。78年バルセーナ高等建築学校卒業。73-84年エリオ・ビュニョン・ビィアプラナと協働。77-86年バルセ口ナ商等建築学校教授。90年よりフランクフルトのシュチーデルシユーレの建築計画科のディレクタ一

スペイン建築界でこの数十年、エンリツク・ミラ一ジエスほど'勇敢な活觔をしている建築家はほかにいないだろう。オスタレクッの「ソーシャル・センター」や「イグァラーダの墓地」というほとんど無名の時代の作品(1980年代初めのカルメン・ビノスとのは協同期)から.既に彼の果敢な活動の様子がうかがえる。師のピニョン十ビアプラナのアブストラタな作品(例えば「サンツ駅前広場」,彼らはコンセプチュアルな作品と考えているのだろうが……》が裏を返すと幾何学的な遊びでしかなかったのに、ミラージエスの作品は肉厚な迫力がある,これは彼自身の待つ入間的なキャラクターにも関係しているのだろう。幾重にも折り貪ねるようにデザインしていくブ口セス自体.最終的に完成された作品に見えるアレゴリーに,彼の作品には忍耐力と試行錯誤の繰り返しが背後にある,重厚さ、プロセスの歴史が見え,デリダ脱構築をどこまでミラ一ジェスが'意戴していものか定かではないが,ガタガタと揺さぶって解体させ続けている,彼の作品彫刻であり得るが、むろん建築でもあり、都市計画的要素も踏まえていながら、また、ランドスケープとしてもデザィされていも,このバランスのきわどさを,ある時も危なっかしくさえもあも(例えば.「アリカンナの体育館」のようにほとんど踏みはずしている)のだが.これを保とうとしているところに今の彼の面白さがある現在までの代表作のひとつである 「ウエスカの体育館」は,施工中のアクシデントで吊り構造から剛構造へと変化されていったにもかかわらず、構造のバランスと建築的なデザインが一体化していて、一見複層して見えるアンビヴァレントで混沌とした建築空面はにはオーソドクスな建築手法,つまり,思考、アイディアそして成熟というものから生まれていもことがわかるのだ。


TOTO出版
「世界の建築家581人」202ページより