<ウェストファリア条約の締結>
「神聖ローマ帝国の死亡診断書」(「神聖ローマ帝国の死亡証明書」)は,17世紀に三十年戦争の講和条約として結ばれたウェストファリア条約の異名である。
神聖ローマ帝国
中世にドイツを中心として形成された神聖ローマ帝国は,ヨーロッパ,そしてキリスト教世界における普遍的帝国であることを理念としていたが,中世後期から帝国の支配力は衰えて領邦の自立化が進行していった。
さらに,16世紀からは,宗教改革を契機とする新旧両派の対立を要因として帝国の分裂はいっそう深刻化していく。そして,17世紀前半には帝国内の対立に諸外国も介入して三十年戦争が繰り広げられたが,その講和条約として締結されたウェストファリア条約(ヴェストファーレン条約)は帝国の体制に重大な影響をもたらし,その歴史の上に大きな区切りを刻むことになった。
ウェストファリア条約
このウェストファリア条約では,国際的な問題とともに,神聖ローマ帝国の体制についても取り決めが行われた。国際的な面では,スイスとオランダが帝国から離脱して独立することが正式に認められ,フランスとスウェーデンは帝国から領土の一部を獲得した。帝国内においては,それぞれの領邦による宗派の選択権が再確認されたほか,さらに各領邦はほぼ完全な主権まで認められることになった。
この結果,神聖ローマ帝国の帝国としての実体は失われ,分裂は決定的なものになった。神聖ローマ帝国は,すでに以前からローマ帝国のような世界帝国ではなく,また宗教的な統一も破れていたが,ここにおいて帝国として領邦を統合していくことも不可能であることが明らかになったのである。
こうして,ウェストファリア条約によって,神聖ローマ帝国は有名無実の存在であることが明らかにされた。このため,ウェストファリア条約は,「神聖ローマ帝国の死亡診断書」と呼ばれることになった。