小川破笠(1663-1747)は、江戸文化がひとつの頂点を迎えた元禄時代から享保時代にかけて、俳諧、漆芸、絵画などさまざまな分野で才能を発揮し、特に漆芸においては、その独特な細工が「破笠細工」と呼ばれ、世界的にも高い評価を得た方です。

 

19世紀後半の西洋では、尾形光琳、葛飾北斎、歌川広重に破笠を加えて、「日本の四大芸術家」と理解していたとも伝わっている。

 

 

一番破笠が表舞台に現れるのは、享保年間のころで、この時は俳諧師としてよりも、独創的な漆芸家として、また絵師としての登場だったんですね。

 

絵師としてではなく、細工人として召し抱えられた破笠だが、85歳で没するまでの25年間に多くの絵画を手掛けています。絵は親しく交友していた英一蝶に学んだとされてます。

 

小川破笠といえばなんといっても、「江戸時代の漆芸家」とされる。

 

蒔絵に鉛・金・銀・銅・鉄・陶器片・象牙・ギヤマン(硝子)など、多種多様な美しい異物を混然と嵌入して、時にはその上にさらに蒔絵を凝らすという、独自のいわゆる一種の蒔絵破笠細工(笠翁細工)を生み出し、派手好みだった当時の人々に大歓迎を受けた。鉛の使用は本阿弥光悦らにもみられるが、作風は光悦の侘び寂びとした純和風に対し、かなり異国風(中国趣味)が感じられます。

ただし当時から人気作家だったので、本人が手がけた作品以外にも彼の工房製、つまりは弟子の手による作品も「破笠細工」として流通しているそうです。

 

有名な、「貝尽意匠料紙箱」

 

また近代になって、欧米でも評価が高くなったことにより、輸出目的で製造された明治以降の職人の手による「破笠風に作られた新作」も多い。

 

幕末の漆芸家柴田是真もしばしば破笠写しの作品を作り、外国人観光客に売っています。

 

 

 

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