杜甫, 不見(近無李白消息) | 流浪山賊 林 太郎

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不見李生久 불견이생구  李生を見ざること久し
佯狂眞可哀 양광진가애  佯狂 真に哀しむべし
世人皆欲殺 세인개욕살  世人 みな殺さんと欲す
吾意獨憐才 오의독련재  吾が意  ひとり才を憐れむ
敏捷詩千首 민첩시천수  敏捷  詩千首
飄零酒一杯 표령주일배  飄零  酒一杯
匡山讀書處 광산독서처  匡山は学びしところ
頭白好歸來 두백호귀래  頭白  よし帰り来たれ 
   
이백을 못 본 지 하마 오래인데
거짓으로 미친척 하는 모습 실로 애처로웠지
세상 사람 모두가 죽이고 싶어 해도
나는 안다네 잘나서 가련한 인재라는 걸
빠르기도 해라 어느새 시가 일천 수라니
그런데도 한 잔 술로 여기저기 떠도네
광산은 그대가 책을 읽던 곳
머리도 세었을 테니 돌아오기 좋은 때

-杜甫, 不見(近無李白消息), 근자에 소식 없는 이백에게.


【 通釈 】 

李白と別れてからもうすでに久しい、聞くところによると、狂人を装っているというが、その苦衷が察せられ、まことに悲しいことである。(世間は騙せても、私は騙せない。) 世間の人はみな李白を殺せといっているが、私の心だけは彼の才を惜しんでいる。彼はすばやくしてたちまち千首の詩をつくるほどだが、いまは落ちぶれさまよい、一杯の酒に憂いを晴らしていることだろう。匡山は勉学に励んだところだが、頭が白くなった今は、そこに帰ってくるのがよい。

 李杜と並び称される「詩仙」李白と「詩聖」杜甫とが相まみえた。744年4月、両巨頭は洛陽でまさに運命的な出会いをする。二人は意気投合して、河南や山東各地をともに旅し、これに高適(こうせき)が加わる。この三人を記念した三賢祠が、開封市の禹王台公園の一隅にある。両人とも稀代の才能に恵まれながら、官に登用されること恵まれず、きっと肝胆相照らしたに違いない。

 李白は44歳、長安で漸くにして得た官職を讒言によって追われて洛陽に来たところであった。一方の杜甫は33歳、30歳で漸く結婚したもののまだ官職を得ることができずにいた。高適も当時不遇の書生としてこの地方を放浪していた。

 この互いに啓発しあった旅は、745年の冬に終わる(「石門の別れ」)。李白は江東に向かい、杜甫は西の長安に向かった。以来、二人は互いに惹かれつつも再会することはなかった。杜甫には李白を詠った詩がいくつもある。「李白一斗詩百篇」と詠ったのも杜甫である。

 別れに当たって李白が杜甫に詠んだ詩が、「いつの日か二人でまた酒を酌み交わそう」という。

일본어역은 링크 글에서.

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