神戸市西区押部谷町の近江寺(きんこうじ)で、211日に国家安穏や五穀豊穣を祈る「修正会」が行われました。
お寺の歴史は古く、646年に孝徳天皇の命で法道が開基という。修正会は江戸時代に始まったとされるが定かな記述がないようです。高野山真言宗の仏教寺院です。
近江寺についてはhttp://blogs.yahoo.co.jp/teravist/18824439.htmlを参照下さい。
本堂に置かれた本尊・十一面千手観音像(秘仏で60年に一度開扉される)を守る不動明王と毘沙門天の両像が鬼に姿を変え、仏の教えを説くと伝えられるそうです。
 
当寺の修正会・鬼追い行事としては、神道とのかかわりはほとんど見られず、また、鬼踊りの内容は今回、私が見てきた三木・大宮神社、蓮花寺と概ね良く似た行事であったと思います。
 
勿論、細部では独特の行事がくりひろげられましたので、以下に紹介します。
 
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イメージ 12神戸電鉄・押部谷駅から県道を南東へ西神、明石方面を下り、明石川を越えると、左手の山へ向かう道が続きます。
大きな「近江寺」の表示があります。私は三木から歩いてやってきました。近江寺~三木自宅は2時間コースです。近江寺の南丘陵が神戸市立農業公園になり、ブドウ畑などが拡がっています。地図では西側に福智院があり、性海寺の塔頭です。性海寺は近辺では最も格式高いお寺で、近江寺と同様の鬼追いが1/10に実施されます。来年は見学したいものです。
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付近には全く人影はなく、谷間沿いに細い上り道をどんどん奥へ行きます。
鬼やらいのみち」の表示板が出てきます。
 
 
 
 
 
  
 
 
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更に進むと、遠くに山門が見えてきます。近づくにつれ、山門が行く道に立ち塞がるように建ちます。山門内には向かい合って、仁王像が居られます。
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仁王像 製作年代など不明ですが、彩色が一部に残っています。大きな草鞋が左右に吊り下げられています。 
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仁王門を潜り、更に細い道を奥に歩きますと、左手に、やっとお寺が現れます。
 
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近江寺境内付近図
 
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左が塔頭・実相院で、右へ向かって山沿いに本堂へ続く 
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実相院の庭園でよく整備されています 
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本堂への急な石段
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本堂 1579年の羽柴秀吉の三木城攻め(三木合戦)のおりの兵火を受けて焼失した後、1662年に再建されたものである。
 
近江寺・修正会
 
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本堂内陣に僧侶が9名入り、修正会の法要が始まります。
比較的静かにお経があげられます。
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僧侶達が牛玉杖(ごおんづえ)と言う魔除けの杖を持ち、本尊厨子の周囲を3回ぐるりと静かに回ります。杖は、はぜの木で出来ているそうです。この後出てくる松明にもはぜの木が使用されています。
以前に見た観菩提寺の修正会では、中におられるご本尊や精霊呼び覚ますために、厨子や柱を杖で叩き、大騒ぎをするのに較べると静かに粛々と法要が進みますhttp://blogs.yahoo.co.jp/teravist/30272045.html
 
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須弥壇前の祭壇に置かれて、お祓いをうける鬼面と子鬼が使用する紅白の紙を巻いたハゼの棒。
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厄払いの桜の造花
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法要でお祓いを受けていた子鬼や大鬼役の人は最後に「牛王印」を額に印してもらい、魔よけをします。
右の写真は一般の参詣者も魔よけの「牛王印」を受けることが出来ます。
 
法要はこれで終了しました。これでいよいよ鬼踊りかと思いきや、この後、一回目の餅まきでした。鬼踊りの最後にもう一回、餅まきがあります。 
 
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どこの行事でも餅まきは楽しいものです。行事のハイライトが2回あるから喜ばしい。一回目は写真撮影で餅ひろいどころではなく、満を期した二回目に5個拾いました。近くの老人から「上を向いて取るのではなく、下に落ちた餅を拾うのがコツ」と教えていただき、成果あり。
 
 
いよいよ太鼓の合図とともに鬼踊りが開始されます。
赤鬼・青鬼・婆々鬼・小鬼が登場するが、赤鬼・青鬼は右手に鉞(まさかり)、左手に松明、腰に槌をさす。二匹の婆々鬼は右手に槌(つち)、左手に松明を持つ。
小鬼は当番地区の子供達で何人でもよく、今年は17人で、子鬼の数ではどこの祭りよりも多いと話されていました。紅白の紙を巻いたハゼの棒を持つ。
鬼の踊りは「無の踊り」「平の踊り」「火合せ」「火供え」「餅割り」「花の踊り」の6番の踊りが奉納され、小鬼二匹一組で棒を打ち、親鬼と交互に登場する。 
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まずは「走り」と言うそうで、1匹の婆々鬼が、子鬼17匹全員を従え、最後はもう1匹の婆々鬼と並び本堂廻廊周囲を3周します。走らず、おどけながら悠々と回ります。
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婆々鬼は愛嬌があり、色々なポーズをとり、時には、舞台から降りて、見物人の中に入り込み、人気者です。一升瓶を腰前にぶら下げるのも面白い。
 
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       踊りは太鼓と法螺貝の合図に合わせます。 
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本堂の裏手の焚き火で松明に火をつけています。
また、ここで鬼達が次の出番の準備をするので、鬼の姿が十分に見えます。
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燃える先端部分には、はぜの木を竹に挟んで作った松明かなり重たいものです。
はぜの木はよく燃えるためで、かぶれを防ぐために秋の紅葉した時期に伐採するそうです。 
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赤鬼と青鬼。婆々鬼のお面に比較し、古そうです。いずれのお面の作成年代を記述した文献は見当たらなくて、不明です。
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鬼踊りの中で、最大の見所である
「餅割り」
欄間にかけた鏡餅を斧で割る仕草は、災厄解除の祓を意味するそうです。
鏡餅は2個が割竹に挟まれて、掲げられています。
 
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最後は「花の踊り
造花(桜の花)の鬼花を持って踊る。鬼の花は持ち帰り、家の軒先に置くと厄除けになるというので、参詣者はわれ先に取り合うのですさまじい。
桜の木である由縁は、寺伝による『琵琶湖に浮かんでいた桜の木でご本尊の十一面千手観音像が刻まれた』ことに由来します。
近江寺(きんこうじ)の呼称は近江(おうみ)から付けられたそうです。
 
 
 
 
 
 
 
  
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最後は本堂正面で鬼達が記念撮影という和気あいあいとしたお祭でした 
 
 
先般訪れた三木・蓮花寺は踊る鬼も荒々しく、参詣者もまた、激しく護符を取り合い、カメラマンの場所取りも大変であったことに比較すると、対照的におとなしく、山里深い村の暖かい祭りであったと思います。8つの地区の自治会が持ち回りで運営して、伝統を引き継いでいる姿には感謝します。
鬼の誘導、松明の火が途切れないように、本堂床に落ちた火の粉で火災しないように常に水をかけるなど大変な作業が沢山あるようです。