「死なれたを 留守と思ふや 花盛」―江戸中期の俳人・炭太祇(たんたいぎ)が詠んだ句である。さだまさしさんが10月8日に逝去した盟友・谷村新司さんを偲び紹介し「谷村さんは今、留守。どっか旅に出たんだね」(趣意)と語った。谷村さんの旅の道中はきっと「花盛」だろう。▶アントニオ猪木さん、谷村新司さん、財津一郎さん、もんたよしのりさん…去年から筆者が中学生の頃、テレビの中で活躍していた方々が次々と逝った。あれから40年、中学3年時に同じクラスだった友だちと今もまだ教室にいるように仲が良い。2年前の11月、その時の担任の先生が逝去した。▶生徒たちの良い面を称え伸ばす先生だった。高校入試直前、インフルエンザで学校を休む生徒が増え続けていることを心配されていた。ある日久しぶりに雨が降り、空気の乾燥が緩和された。先生は教室の窓から雨降り落ちる校庭を見ながら「これで少しはインフルエンザが収まり、みんな楽になるな」と一人呟かれた。その時の先生の横顔を今も覚えている。卒業式、最後の教室で先生は言われた。「君たちはいつどんな時でも、弱い立場の人、苦しんでいる人の味方になって、守るような人になって欲しい」―15歳の中学生を大人と見て贈ってくださった。今も筆者自身に言い聞かせている。▶筆者の父と母ももう送った。「遅き日の つもりて 遠き昔かな」―冒頭の炭太祇とほぼ同時代を生きた与謝蕪村の句。時間的に遠いかなたにある賑やかな笑い声、温かな日々。それなりに年齢を重ねたからか、心の奥にある原風景に対する追慕の念はつのるばかり。▶︎逝いた人々を胸に抱きしめ、その人たちの分まで生きる決心で今を生きる。今を頑張る。「その生命(いのち)は永遠(とわ)じゃない/誰もがひとりひとり胸の中で/そっと囁いているよ/明日晴れるかな…」(桑田佳祐) (虹) 2023.10.30‐

 

(故郷・山梨/2019年2月筆者撮影)