ヤマハスタジアム | Stadiums and Arenas

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スポーツ観戦が趣味の筆者が、これまで訪れたスタジアム・アリーナの印象を綴るブログです。

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ヤマハスタジアム
開場1978年
収容可能人数15165人
名前の変遷ヤマハ発動機東山総合グラウンド(1978-93年)
ヤマハ磐田サッカー場(1993-94年)
ジュビロ磐田スタジアム(1994-2003年)
ヤマハスタジアム(2003年-現在)
アクセスヤマハ発動機バス停・西貝塚北バス停(遠鉄バス)徒歩約10分
御厨駅(JR東海道線線)より徒歩約20分

(写真はすべて、2022年12月25日、リーグワン・静岡ブルーレヴス埼玉ワイルドナイツの試合より)





上:外観
中:メインスタンド
下:バックスタンド

Jリーグ・ジュビロ磐田のホームスタジアムとして知られる、静岡県磐田市にある球技場。

1978年に、ヤマハ発動機サッカー部のホームグラウンドとして作られ、当時はヤマハ発動機東山総合グラウンドと呼ばれた。1993年に、ヤマハのサッカー部がプロ化してジュビロ磐田としてプロ化し、このグラウンドを本拠地とすることが決まったときには、座席のスタンドを作った。1993年にヤマハ磐田サッカー場、1994年にジュビロ磐田スタジアムと名前が変わった後、2003年に現在のヤマハスタジアムとなっている。

また、1984年に創部されたヤマハ発動機ラグビー部の公式戦の会場になることも多かった。2021年に日本ラグビーがプロ化され、リーグワンが開幕したことにともない、ヤマハ発動機が静岡ブルーレヴズに改称された後は、こちらのメイン本拠地にも指定されている。




上:南側ゴール裏
下:北側ゴール裏

15165人収容の、屋外競技場としては小規模なスタジアムである。スタンドの一部にしか屋根がかかっておらず、記者会見エリアも小さいなど、J1リーグ所属チームに課されるホームスタジアム基準を一部満たしていないところがある。そのため、ジュビロは多くのお客さんが見込まれる試合などを中心に、ホームゲームの一部を静岡県内最大のエコパスタジアムで行うなどの措置を取っている。

ただ、キャパの小さいスタジアムはコンパクトな分スタンドとピッチの距離が近く、試合が見やすさは抜群である。特にこのスタジアムは球技場で陸上トラックがないので、なおのことピッチ場のアクションが臨場感抜群で見ることができる。バックスタンドは傾斜が急なので、上の方に座ってもピッチが俯瞰で見えていいし、下の方に座れば本当に目の前がピッチという迫力を味わえる。

バックスタンドには屋根がなく、雨風と日差しを避けるものはない。メインスタンドと南側ゴール裏は日差しを避けるくらいの屋根はあるが、雨が降れば濡れてしまう可能性が高いが、Jリーグのスタジアムはほとんどがこんなものである。オーロラビジョンはサッカーでアウェーサポーター席となる北側ゴール裏にしかなく、こちら側に座るとオーロラビジョンが非常に見にくい。この辺りはアウェーの洗礼といったところか。




試合の眺め

所有者がヤマハ発動機ということで、公共の使用のために一般開放される性質の施設ではないので、アマチュアや学生の競技レベルの大会ではあまり使用されないが、2004年から2011年まで全国女子サッカー選手権の決勝の会場として使用された(2002年にも使用された)。もっとも、この大会の会場としても2014年を最後に使用されなくなっている。

スタジアムが開場してから長年にわたり、最寄駅がJR東海道線の磐田駅で、ここからバスに乗らなければならなかったので、アクセスの悪さが指摘されていた。だが、スタジアムがある上に、近隣にヤマハの工場やその他の企業もあるということで、2020年に御厨駅が開場。ここからも徒歩で20分はかかるが、それ以前よりもアクセスが大幅に改善されたことは間違いない。東海道線が止まる磐田駅から路線バスも出ている。また、Jリーグやリーグワンの公式戦があるときには、御厨駅から臨時の直通バスが運行される。

自家用車で来場するのであれば、Jリーグの時もリーグワンの時も事前に駐車スペースが予約ができる。事前に少し手間がかかるが、その分会場についてからスペースが見つからないということは避けられるので、ご利用される方は必ずチェックされたい。サッカーの時は、当日空ける駐車スペースもあるようだが、そちらを利用される場合は到着してからスペースがなくなってしまう可能性もあるので注意されたい。

ネックは食事処で、徒歩圏内にも御厨駅周辺にも何もなく、基本的にはイベントがあるときの出店頼みになる。磐田市周辺が車社会であり、車があるともう少し試合前後の行動範囲が広がるので、心理的には自家用車で来たくなるところである。

ジュビロ磐田は、上述の通りヤマハ発動機サッカー部を母体として1993年に誕生したプロサッカーチームで、実業団時代には1982年に天皇杯優勝を果たす番狂わせを見せているが、それ以外の大きな成績を残すことはできなかった。だが、1990年にのちのチームの象徴となる中山雅史が入社し、プロ化したあとに元オランダ代表としてヘラルト・ファネンブルクや元イタリア代表のサルバトーレ・スキラッチを加えると、さらに当時のブラジル代表主将ドゥンガに加え、藤田俊哉、服部年宏、田中誠、鈴木秀人、奥大介、名波浩、福西崇史、前田遼一ら、日本代表級の選手たちをそろえて黄金時代を迎えることに。Jリーグ優勝3回、天皇杯優勝1回、リーグカップ優勝2回、アジアクラブ選手権(現在のアジアチャンピオンズリーグ)優勝1回を果たしている。だが、1990年代に黄金期を支えた選手達が引退した後は、2010年代からタイトルに見放されるようになり、J2降格も何度か経験している。1990年代から2000年代前半にかけては、リーグの上位でしのぎを削りあった鹿島アントラーズといくつもの名勝負を繰り広げたが、現在は同じ静岡県内のチームである清水エスパルスとのライバル意識の激しさで知られる。

このスタジアムをホームグラウンドとするもう1つのチーム、静岡ブルーレヴズも、ヤマハ発動機のラグビー部して1984年にスタートしている。サッカーチームにあやかって1990年代後半からヤマハ発動機ジュビロと呼称するようになり、2002-3年シーズンに関西社会人リーグで優勝したことから、翌年開幕したトップリーグに加わることを認められた。2015年のラグビーワールドカップで日本代表の躍進を支えた、五郎丸歩が長年にわたってプレーしたチームとしても知られる。2011年から19年にかけては、名将・清宮克幸に率いられ、戦力に恵まれない中でトップリーグの上位に食い込むようになり、2015年には日本選手権を優勝してファンを驚かせたチームである。2021年のリーグワン開幕に伴い、現在のチーム名になった。




上:静岡ブルーレヴスの選手入場
下:ブルーレヴズマスコット「レヴズ」

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ヤマハスタジアムの紹介(ジュビロ磐田公式ホームページより)
ヤマハスタジアムの紹介(静岡ブルーレヴズ公式ホームページより)