永島 慎二(ながしま しんじ、1937年7月8日 - 2005年6月10日)

 

 

6月10日は漫画家・永島慎二の命日です。

(よく少年野球漫画家・水島新司と混同されますが全くの別人)

私が最初にその作品に触れたのは1966年、月刊少年画報に連載されていた「挑戦者AAA(トリプルエース)」(梶原一騎原作)でしたが、意識して読み始めたのは翌年から手塚治虫の虫プロがガロに対抗して刊行した漫画雑誌COMに掲載された「フーテン」からでした。

その後漫画アクション連載の「若者たち」、ガロ、プレイコミックに連載された緒短編、代表作の一つで当時全3巻刊行された「漫画家残酷物語」などを読み進むうちに作者独自の世界に魅了されていきました。

 

私の蔵書から

 

 

 

 

時代の変遷で生活様式や意識の変化もあって、いわゆる「青春もの」は今読み返せば、ややもすれば青臭く古色蒼然たる内容という評価も致し方ない部分もありますが、当時多感な10代の少年には充分感銘を与えるものでした。

またその画風はキャラクター、構図、独自の表現方法など現代にも充分通用するもので、いまだに後進に大きな影響力を保っています。

その後青春ものから脱皮して童話チックな作風に転じますが、なかでも「花いちもんめ」(小学館漫画賞)「漫画のおべんとう箱」(日本漫画家協会賞優秀賞受賞)などは特に愛すべき作品でした。

1980年大麻不法所持で逮捕以降は漫画家としては半隠居状態が続き、2005年6月10日慢性心不全のため死去。

墓所は鎌倉瑞泉寺にあります。

漫画作風としては唯一無二のスタイリストで、その内容と生きざまに多くの若者たちが惹かれ、いまだにその作品群に評価がやまないのは以て瞑すべしというところでしょう。