☆丹波哲郎☆…霊界の使者も若き頃は強面の悪役俳優 | shoの映画部屋

☆丹波哲郎☆…霊界の使者も若き頃は強面の悪役俳優

丹波哲郎

東京出身
中央大法学部英法科卒

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若き頃の丹波は晩年のバラエティー番組等で、大霊界を語る人の良さそうな表情からは思いもつかない…
頬がこけ眼光鋭く長身細身だった
役柄は主人公と相対する悪徳グループの用心棒や冷酷卑劣なボス役が演じる事が多かった。


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東京・大久保の名家の三男に生まれる。

祖父敬三は大正時代を代表する薬学者、系図を遡ると平安時代に医学書『医心方』を著した丹波康頼に辿る
在学中に学徒出陣・GHQ通訳のアルバイトを経験。
卒業後は団体職員となるも俳優を志し、創芸小劇場、文化座を経て新東宝に入社
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1952年セミドキュメンタリー映画『殺人容疑者』に主演級の役でデビューする。
しかし、新東宝在籍8年間で主役を演じる事はなかった。
主役はないものの敵役・悪役の演技は、主役を喰う演技力をみせ、迫力では芸歴浅い若手の主役を見劣りさせた。

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もしこの人が新東宝ではなく日活或いは東映でデビューしていたら、当時のキャラは最も活かせれ違う俳優人生を送ったのではないかと思う。
惜しむらくは、当時の新東宝の主役級俳優では、丹波の演技を引き立てる事も受け入れる演技力もなかった。

新東宝退社後
1961年のニュー東映で『霧と影』や『白昼の無頼漢』に主演し重厚な演技が徐々に注目を集める。


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(左側はチャンバラトリオの頭こと南方英二の兄楠本健二)

そして丹波の名を全国区にしたのは、皮肉にも映画界ではなく
1963年に放送された
テレビ時代劇『三匹の侍』で一挙にスターダムにのし上がた。
時既に41歳であった。

以後東映のギャング映画や任侠映画で重厚な演技で東映ファンだけでなく多数の映画ファンに俳優丹波哲郎の名を知らしめた。

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1967年には、得意の英語力を活かして
『007は二度死ぬ』に出演し、三船敏郎に次ぐ国際俳優と呼ばれるようになる。他に外国映画には9本に出演。

2006年逝去(享年84歳)

尚、霊界を語る丹波哲郎は私のブログ趣旨とは違いますので省略します。

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主な出演作品

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1953年
新東宝「戦艦大和」
1954年
新東宝「若き日の啄木」
1955年
新東宝「番場の忠太郎」
1956年
新東宝「黒猫館に消えた男」
1956年
新東宝「女真珠王の復讐」

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1957年
新東宝「白蝋城の妖鬼」
1958年
新東宝「毒婦高橋お伝」
他に新東宝作品に多数出演
1961年
日活「豚と軍艦」
1963年
東映「暗黒街の顔役」
1964年
東映「ジャコ万と鉄」
1967年
東映「網走番外地」
1968年
松竹「黒蜥蝪」
1969年
東映「緋牡丹博徒」
1974年
松竹「砂の器」
1977年
東宝「八甲田山」
1978年
松竹「事件」
1979年
東映「真田幸村の謀略」
1982年
東映「鬼龍院花子の生涯」
1988年
独立「マルサの女2」
1989年
松竹「善人の条件」
1993年
東映「民暴の帝王」
2002年
松竹「釣りバカ日誌13」

出演本数約300本
外国映画10本