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先々週の休日、埼玉県比企郡小川町にある小川和紙を見に出かけました。
そこに、小川では明治時代に「蚕卵台紙」を漉いて全国に発送していたというパネルがありました。






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それで、うちにある蚕卵台紙の見本帳を思い出したので久しぶりに引っ張り出しました。いつかブログに紹介したいと思いながら機会がなかったので今回取り上げます。

とはいえ、この台紙についてはまったくわからないので、持っている情報を乱筆するだけです。あしからず。

「蚕卵台紙」とは、蚕の卵を産みつける厚手の紙です。「蚕卵紙」や「蚕種紙」というほうが通りが良いかもしれません。

こうした紙は、江戸時代の浮世絵に描かれていますから、その頃には存在したのですね。わたしが知っているところだと「絵本宝能縷」。国立国会図書館デジタルコレクションにもありますが、群馬県立図書館デジタルライブラリーの方が絵がはっきり見えますから、おすすめです。

明治5年には蚕種原紙規則が制定され、手漉き業者を免許制にしたそうです。長野県の上田、埼玉県の深谷、福島県の福島に売りさばき所が設立されました。この蚕種原紙規則の明治7年2月改正版が群馬県立図書館デジタルライブラリーにて読むことができます。ご興味ありましたら、こちらを





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この見本帳は、岐阜の紙問屋さんで扱っていたものです。年代はわかりませんが、表紙の書字方向から戦後のものでしょう。

これの面白いところは、手漉きと機械漉きの両方の台紙が載っていることです。
この写真は、手漉きの台紙。






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次は機械漉き。

機械漉きといえば、神戸大学付属図書館デジタルアーカイブの新聞記事文庫で、大正8年の大阪毎日新聞に蚕卵台紙の記事を見つけました。高知県の紙業組合が従来手漉きで生産されてきた蚕卵台紙を機械漉きにすべく研究していたのが完成して専売特許を出願したという内容です。詳しい記事はこちらを

この記事のなかで、大阪農学校の教論は手漉きの蚕卵台紙のことを述べています。「従来の台紙は手漉和紙の厚紙の上に楮製の薄紙を貼ったもの。台紙の要素としては堅牢で腰の強い紙なればよい」。当時は、機械漉きでそれを満たす台紙は、まだつくられていなかったということかな。

手持ちの見本帳は戦後のものだとして、機械漉きが商品としてあるなら、それが台頭して手漉きはなくなりそうなものなのに、ここではどちらも存在していて選べる。手漉き、機械漉きともに何かそれぞれの良さがあるのかな。それとも過渡期のものなのか。






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「蚕児掃立 用収蟻紙」と書いてあります。すごく薄い紙です。卵がついた台紙にかぶせて孵化した蚕を保護します。蚕が逃げないようにすることと、蚕を乾燥から守るのだと思います。孵化したばかりの蚕はデリケートで乾燥に気をつけないと干からびて死んでしまいます。ちなみに、孵化直後の蚕は、小さくて黒い蟻に似ていることから「蟻蚕(ぎさん)」といいます。

写真をアップしたのは3種類ですが、他にも紙の種類は幾つかあります。浸湯酸用や越年用、原種用などです。用途によって漉き方とか、厚み、薬液の有無など違いがあるのだと思いますが、台紙のこととなると、わたしにはまったくわかりません。東京の紙の博物館のサイトに蚕卵台紙のことが少し載っていたので、そのうちに行ってみようかと思っています。

以前、高知で手漉きをされているご夫婦が来館くださったことがありました。そのときに見ていただきたかったのですが仕舞い込んで出てきませんでした。手漉きの専門家からの見立てを聞く絶好のチャンスだったのになと、悔やまれます。いつかまたお会いする機会に恵まれたら、そのときは紙業組合のことも含めてお話を伺ってみたいなぁ。