水木しげるロードの妖怪着ぐるみ全11体中、一番愛嬌のあるのがこちらの爺さま??
「きなこじじい」ではありません!!
京極夏彦書
日本民俗学の父柳田國男(明治八年~昭和三十七年)が昭和十三年に「妖怪名彙」で紹介した「コナキヂヂ(児啼爺)」は、徳島県山間部に伝わる妖怪である。
昭和四十一年以降、漫画家水木しげるが柳田の記載に姿形を与え、テレビアニメーション等の「ゲゲゲの鬼太郎」に登場させたことで広く全国に知られた。
「コナキヂヂ 阿波の山分の村々で、山奥に居るといふ怪。形は爺だといふが、赤児の啼声をする。或は赤児の形に化けて山中で啼いてゐるともいふのはこしらへ話らしい。人が哀れに思って抱上げると俄かに重く放さうとしてもしがみ付いて離れず、しまひにはその人の命を取る(中略)。木屋平の村でゴギャ啼キが来るといつて子供を嚇すのも、この児啼爺のことをいふらしい。ゴギャゴギャと啼いて山中をうろつく(後略)」(柳田國男「妖怪名彙」民俗学誌「民間伝承」昭和十三年六月号初出)
柳田門下生で慶応義塾学生であつた香川県の武田明(大正二年~平成四年)は、昭和十三年十一月の「民間伝承」誌の「山村語彙」に「阿波三好郡三名村字平での聴書「コナキヂヂ」子供の啼声を真似る怪。と記述している。
三名村字平(現・山城町上名平=かんみょう・たいら)では、「コナキジジイが「泣く子を欲しい」と連れにくる」「山に居つた!」などの叱り文句が使われ、アザミ峠に至る山に居る老人姿の妖怪とされたと、幼少時に叱られた人々の記憶にかろうじて残るのみである。(松本実=大正四年生まれ、上名津屋。平田五郎=昭和四年生まれ、上名平。平田辰一=昭和八年生まれ、上名柿野尾。平成十一年~十二年談)
なお、泣き声、赤子姿や重くなるという妖怪は、現在では「オギャナキ」などの名で木沢村岩倉や祖谷など剣山周辺の多くの町村に伝わる。
かくして、児啼爺は山城町上名平などで語られていた徳島県山間部の妖怪であることを、さらに後世に伝え残すために像を建立し、ここに記す。
二〇〇一年十一月吉日 藤川谷の会
以上、全文転載
水木しげるロードでしか手に入らない妖怪神社の絵馬!!おもとめは、お近くの「手づくり工芸館 むじゃら」でどうぞ。
この石像が建立された周辺は、深山幽谷や秘境という言葉がぴったり当てはまり、30種類以上の妖怪の話しが伝わっています。
ご覧のように山が深い!!思いつきで無計画に野鹿池神社を目指し、あまりに狭隘で急峻な山道に加え、簡素な案内で迷いはしませんでしたが、行程の全貌が掴めず往生しました(汗)
藤川谷妖怪街道では、児啼爺石像のほか、流木などで作られた妖怪木像をあちこちに見ることができます。
水木大先生が会長をつとめる「世界妖怪協会」が、後世に残したい妖怪文化の普及に貢献した地域などを対象に贈る「怪遺産」の第二回に「山城大歩危妖怪村」が認定(2008年)されています。ちなみに第一回は鳥取県境港市、第三回は岩手県遠野市が認定されています。
この場所には2度訪れていて、一度目は97年秋、その時は児啼爺の石像を見て、かずら橋、奥揖屋二重かずら橋、剣山などの方へ向かいました。児啼爺の石像の奥が妖怪街道だと知ったのは帰ってから・・・(←リサーチ不足)。翌98年秋にリベンジし、これらの味わい深い木像を堪能いたしました。当時は名札だけで伝説を記した看板などはありませんでしたが、現在は整備されているようです。リベンジしなきゃいかんな。・・・だれか一緒に行かへん??
◆参考資料
『日本妖怪大全』 水木しげる 著 講談社 発行
『日本妖怪大事典』 水木しげる 画 村上健司 編著 角川書店 発行