多田北烏(ただ ほくう)の魅力 | さむたいむ2

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今日も元気で

 
 
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これまた義兄からもらったポスト・カードです。
大正時代を代表する画風です。多田北烏は長野県松本市の出身で画家を目指して上京したのでしょうか。いやちょっと違うようです。工芸図案の学校を出ているところを見ると今でいう商業デザイナーを最初から学ぼうとしていたように思われます。
なぜなら後に「サン・スタジオ」というデザイン・スタジオを設立して、いわば商業デザインの草分け的な存在になっています。
 
しかし彼が描く女性はまさに日本的でありながら世界に目を向けた理知的女性であり、モダンガールでありました。キリンビールが彼の絵を長年にわたって使用し、名は分からずともこの絵は誰もが一度は目にしていると思います。
ふつう挿絵画家は絵描きが食いつなぐための手段で手を染めて、皮肉にもそれが評価され挿し絵の世界で生きていくのに対して、多田北烏は最初からデザイナーとしてスタートしているのではないでしょうか。大胆にも商品を提示しながら自分の画法に定着させています。多くのイラスイトレーターは現在でも匿名の方たちばかりです。
彼等は名を売るのではなく商品イメージを提供することによりその才能を買われ、結果的に広く知られるようになります。
 
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去年の夏に立原道造記念館が閉館すると聞いて行った時の帰りに、隣にある竹久夢二館へ寄り、そこで展示されていた高畠華宵の絵とは根本的に違うものです。
また美人画で有名な岩田専太郎なども挿絵を描いていた時期があったのでしょうか。彼はそれを日本画にまで昇華させていきました。夢二も然り。それぞれの画風を築きあげる過程に名前が知れわたってきます。画家とイラストレーターの違いというより目指す対象が違うのではないでしょうか。
画家にとっては展覧会に出品して評価を受けることが何よりでしょう。しかしイラストレーターは自分の描いた作品があらゆる媒体を通して広く世の中に知れわたることが夢であると思います。幸運にも企業イメージを盛り上げ、スポンサーを獲得できれば多田北烏のようにデザイン・スタジオをもつことができます。
商業写真も同じです。誰それの写真という必要はなく商業デザインの優れたものが評価され結果的に名が知れるようになっていきます。むしろメデアを利用して作品を発表できれば自分の画風にこだわっている画家よりも数段高収入を得られるでしょう。
現代において作品の評価は数字です。ゴッホは生前1枚しか絵が売れませんでした。それがいまでは何億という値がついています。彼の絵を値踏みするということ自体失礼な話ですが、生前それだけの評価を受けていれば何も狂死することはなかったでしょう。ゴッホは社会からスポイルされ追い込めらてたのです。
 
現代のデザイナーたちは商品を売る事が優先され、その結果によって評価されます。それは自分の作品を売るのではなく企業とのイメージを共有するのです。クライアントがなければ成立しません。個人ではなく集団として活動することになるのです。
テレビや映画、あるいは雑誌などプロデューサー、監督、編集長と中心になる人はいますが作品を作り上げるのは集団です。多田北烏はそのシステムを我が国で作った先駆者ではなかったのでしょうか。
 
それにしても彼の描いた女性は魅力的なひとばかりです。