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おかげさまで35回目の誕生日を迎えました

ぼくが産まれた1975年5月21日は清々しい晴れだったと母が申しておりました

birthday cakeはチョコレートムースのペリドット

ペリドットは琥珀色の宝石の名

ぼくも宝石のように輝きつづけます

記憶では5月21日に雨が降ったことはありません
太陽にも祝福されているようでとても嬉しくおもいます

並木さんが卒業されましたね

おなじ音楽家ということでよきライバルよき同士でしたので寂しくおもいます

でもきっとカレはその端麗な容姿を武器に芸能界で活躍してゆくでしょう


ぼくが演出家に成れたのは音楽大学出身だったからです

当時のショー制作部長の渡海さんがその経歴に興味を持ってくださったのです

サラリーマンを卒業されてなお彼はいまひとりの演出家として自身の会社を立ち上げ上海万博のパレードを演出されるなど世界をまたにかけ大活躍されています

もともと映像ディレクターだった彼はまったく違う畑育ちの人間がショーを作ったらどうなるのか、積極的にパレードやセレモニーの演出を任せてくださいました

「いまはゴロでいい いつか打べきときにホームランを打てばいい」と言ってくださりどれだけ気負いが解れたか

しかしショー出演経験しかない28歳の青二才がいきなり慣れないスーツを着せられ広いオフィスの末席でパソコンに向かうのです

衣装の方が似合うね…とわざわざ意地悪を言いに来る大御所もいました

ワードやエクセルを立ち上げるだけでページ設定さえままならない人間が台本を打つようになるまでに1ヶ月

来る日も来る日もマニュアルと睨めっこ

毎晩シャワーを浴びるとその刺激で涙が溢れました

情けない…

でもその悔しさをバネにぼくは頑張りました

はじめてのセレモニーの本番のあと友人がそっと教えてくれました「あいつはよく頑張ってる」と渡海さんが褒めていたと

信じがたいけど事実でした

ぼくが病気で1ヶ月以上も仕事ができず自宅療養を強いられたときはやはり友人に「誰か永井をいじめてるのか!」とすぐにメールをくださったそうです

すでに退職されていたので、どうやってぼくのことを知ったのかわかりませんが愛されていると感じました

人間関係が希薄なこのご時世にここまで以前の部下を労ってくれる渡海さん

実はぼくはろくにお話しもしたことがありません

いつも萎縮してしまってお父さんのような彼とはなにをどう話せばよいのばよいのかわかりませんでした

渡海さん、いまのぼくはホームランを打てているでしょうか?

まだヒットくらいかな…


たくさんの方から誕生日を祝福するメールを戴きました

先日は外国人出演者がバースデイパーティーを催ししてくれました

偶然、12年ぶりに連絡をとることのできた大学時代の親友で、フランス留学した後、てっきり山口の実家に帰ってしまったとばかり思っていた賢二が東陽町のクラリネットメーカーで勤務していました
パーティーに駆け付けてくれ、そして7月のピアノの発表会でデュオを組むことに

舞台でピアノを演奏するのは20年ぶり
ひとの伴奏は実に30年ぶり

人生とはまったくミラクル続きです

ぼくを愛してくれるすべてのかたがたに心から感謝を申し上げます

今回は誕生日なのでこんやの投稿です

演出家 永井健一