今回は紅の豚について考察してみたいと思います。考察のテーマはポルコにかけられた本当の呪いとは何なのか?です。

紅の豚は美女と野獣ではない

 

 

まず紅の豚の物語ですが一般的に紅の豚は美女と野獣的な物語だという誤解があると思いますが実はそうではありません。

 

美女と野獣的な物語とはつまり、何者かによって醜い姿になる呪いをかけられた王子が外見ではなく内面の美しさを見てくれる姫に出会うことで呪いが解けるという物語のことで、紅の豚を美女と野獣的な物語だと考えるといろいろと整合性が取れなくなるんですね。

 

例えばポルコの恋の相手はそもそもフィオではなくジーナである点やポルコ自身が醜い容姿を全く苦にしていない点など、紅の豚を美女と野獣的な物語だと考えると物語の構造的に訳が分からなくなるわけです。

ポルコの呪いを解いたのは実はフィオではないかもしれない

 

さて一般的にこの様な誤解が生じるのはなぜなのかなんですが、それは物語の最後フィオのキスによってポルコにかけられた呪いが解けたという誤解がある為です。このシーンがあることによってどうしても紅の豚を美女と野獣的な物語だと思ってしまうわけですね。

 

しかしこの後ポルコとフィオが結婚するわけではありませんから、フィオのキスによってポルコにかけられた呪いが解けたというのは何かおかしいわけです。

 

そもそもポルコ自身がフィオに対して自分の本当の内面を見てほしいなどとは思っていませんから、フィオがポルコに好意を寄せたことによって呪いが解けるというのはおかしいというわけですね。

 

これにはもう一つ根拠があって、実はフィオがポルコにキスをするシーンというのは物語の中で二回あるわけなんです。

 

 

それはカーチスとの決戦の前夜の件でフィオはポルコの頬に「ポルコっていい人ね」と言ってキスするシーンがあって、もうすでにこの時点でフィオはポルコに好意を示していますから、これが美女と野獣的な物語ならここで呪いが解けなくてはいけないわけです。

 

しかしそうなっていませんから、どうもフィオがポルコにキスをすることで呪いが解けたわけではないと言えるのではないかというわけですね。

ポルコは自分で自分に呪いをかけた

 

ではこれが美女と野獣的な物語でないとすればポルコにかけられた呪いとはいったい何なのか?なんですが、そもそもこの物語に中にはポルコに呪いをかけた存在が出てきません。

 

 

つまり誰かから呪いをかけられたわけではない以上、自分で自分に呪いをかけたと考えるしかないわけで、ポルコにかけられた呪いとはある種の自己嫌悪とか自責の念といったものであると考えるのが妥当でしょう。

 

つまりポルコは人間であることが嫌になってしまったというわけですね。だから人間であることを辞めてなぜか自分で豚になったわけです。

 

だとするとポルコが抱えている自己嫌悪とか自責の念を探ることがポルコにかけられた呪いの正体をあぶりだす助けになりそうです。

マルコ・パゴットは人を殺し過ぎた

 

さてポルコが抱えている自己嫌悪とか自責の念を探るにあたってはやはりポルコが豚になる前、人間だった頃のマルコ・パゴットの人物像について探らなければなりません。

 

マルコ・パゴットはイタリア空軍の大尉で第一次世界大戦ではエースパイロットだったとありますから、やはりポルコが抱えている自己嫌悪とか自責の念の正体は戦争での体験が関係していると考えるのが妥当かと思います。

 

劇中でポルコがフィオに語る戦争での体験話から推察すると、マルコ・パゴットは飛行艇の操縦が上手すぎるが故に自分一人だけ戦争で生き残ってしまったことが分かります。

 

 

おそらくマルコ・パゴットは敵の飛行艇を何機も撃ち落とし人を何人も殺してきたと考えるのが妥当でしょう(だから出世した)から、この辺りの体験もポルコが抱えている自己嫌悪とか自責の念に関係がありそうですね。

 

「いい奴はみんな死んだ奴らさ」という例の名台詞も戦争で早死にした人間はあまり人を殺していないという意味かもしれません。

 

そしてポルコが抱えている罪の意識が人を殺し過ぎたことによるものだとすると、ポルコが自ら豚になったのはもうこれ以上人殺しはしたくないということなのでしょう。劇中のセリフにもあるように「そういうことは人間同士でやりな」というわけですね。

 

しかし自ら豚となって殺しをやらなくて済むようになったとしても、これまでの罪が消えるわけではありませんから、ポルコは今も罪の意識に苦しんでいると考えるのが妥当です。

 

ですからポルコが救われるためには何らかの形でこの罪を償わなければならないということになります。何らかの形で贖罪を果たさなくてはポルコの心はいつまでたっても救われることはないというわけですね。

ポルコにかけられた本当の呪いとは何なのか?

 

ではポルコの心が救われるためにはどのようにして罪を償えばよいのでしょうか?

 

その答えはとても過酷なものだと言わざるをえません。

 

なぜならポルコは多くの人を殺してきたわけですから、その罪を償うには今度は自分自身が殺される以外に方法がないからですね。ですからポルコは自ら豚となって周りから自分が憎まれるように仕向け、俺を殺せと煽っているいるわけです。

 

 

ポルコが自ら賞金首となり俺を撃ち落として殺してみろと煽るのもそういう訳なんですね。これがポルコが自分にかけた本当の呪いの正体というわけです。

ポルコの死刑執行人カーチス

 

さてそんなわけで自ら豚になったポルコの元にようやく自分を殺してくれそうな人間が現れます。それがカーチスです。

 

 

ポルコが贖罪を果たすためにはどうしても実力で自分を撃ち落として殺してくれる人間が必要です。カーチスはポルコもいい腕だと認めるほどの飛行技術を持っていますから、カーチスならそれが出来るかもしれないとポルコも考えたわけですね。

 

つまりカーチスはポルコの死刑執行人というわけです。

 

 

しかし残念なことに空中戦が始まるとそのカーチスですらポルコの前では実力不足であったことが判明してしまいます。結局ポルコを実力で撃ち落とせるほどのパイロットなど何処にもいないというわけで、ポルコはまたしても罪を償うことができなかったわけですね。

最後にポルコを撃墜したのはいったい誰なのか?

 

さてそういう訳でまたしても贖罪に失敗したポルコですが、物語の最後思わぬ形で贖罪を果たすことになります。ようやくポルコを撃墜する飛行艇があらわれ、ポルコは罰を受けることができたのです。

 

ではポルコを最後に撃墜したのいったい誰だったのでしょうか?

 

 

その答えはジーナです。

 

ポルコ・ロッソの撃墜は唐突に訪れます。そのシーンはフィオがポルコにキスをした直後、ジーナの乗る飛行艇の羽根がポルコの頭をゴン!と直撃するあのシーンのことです。

 

フィオのキスによって一瞬の油断が生じたポルコは完全に不意を突かれ、ジーナが乗る飛行艇の羽根が頭に直撃して海に沈みます。あの一撃によってポルコは初めて撃墜されたわけです。

 

フィオを抱きかかえ「こいつを堅気の世界に戻してやってくれ」というポルコに対して「ずるい人」と返したジーナは呆れた表情を見せた後、飛行艇の羽根でポルコの頭をぶん殴って罰したわけですね。

 

つまり戦争をやって殺しあうのはいつも男達で、それによって傷つくのはいつも女性達というわけです(ポルコが殺してきた多くの男達にも妻がいたという意味)。

 

なので女性にしかポルコを罰することはできず、女性に罰せられることによって豚であるポルコ・ロッソは死に、人間であるマルコ・パゴットに戻ることが出来たというわけですね。

 

 

先にフィオのキスで呪いが解けたというのはおかしいと書きましたが、ポルコの呪いを解くならジーナが適任です。設定ではジーナは三度結婚し三人の元夫は全員戦死したとありますから、ジーナが最も戦争によって苦しんできた人間ということになります。

 

ですからジーナが女性達を代表して戦争をする男達の代表であるポルコを叱りつけ、頭をゴン!とやることによってポルコを罰するというのが一番筋が通るのではないでしょうか?

 

 

つまり女性が叱らないと男達はいつまでたっても争いをやめないというわけですね。