【写真は「ラーメン二郎小岩店」のラーメン小+豚増し(ニンニク・アブラ)。今回の閉店騒動とは関係ないですが、平日昼のみ営業ながら行列もできてます。私の自宅最寄りの「二郎」でもあります】

 ネット、特にSNSがラーメン情報の主流になるに伴って、人気を集めてきたのが

「ラーメン二郎」

「見映えのよさ」や「ボリューム感」に優れている事もあって人気は高まり、「二郎インスパイア系」と呼ばれる店も増加しています。

 「ラーメン二郎新橋店」が人手不足を理由に4/21に閉店し、「ラーメン二郎新小金井街道店」5/27で閉店することが発表されたことで、まとめサイトで記事が作られ、「めざましテレビ」でもその騒動が紹介されたとの事。「人気店なのに何故?」という気持ちから注目されていると思われます。


 しかし、二郎の閉店は、決して珍しい事象ではありません。今回閉店が報じられた2店舗を含めると、現在40店舗が営業している「ラーメン二郎」ですが、1999年に「代々木店」、2002年に「町田店」、2013年に「高田馬場店」、2016年に「大宮店」、2017年に「赤羽店」が閉店しました。


 また、2001年には「吉祥寺店」が「生郎(2015年閉店)」に、「(旧)赤羽店」が「マルジ(現:富士丸)」として独立。2004年には「堀切店・(旧)蒲田店」が「らーめん大」になり、「虎ノ門店・(旧)新橋店・神田店」から「二郎」の文字が消されている。2011年には「武蔵小杉店」が「こじろう」に変わりました。


 それだけではなく、二郎の中で時折起きているのが「店主交代」である。「環七新代田店」は代替わり後に「環七新代田店」になった事で話題を集めましたが、店名を変えずとも「仙川店」「荻窪店」「亀戸店」「松戸店」が店主交代を経験していると思われます。


 今回閉店した「新橋店」は、「新宿歌舞伎町店」「池袋東口店」と同じ「エヌエス・プランニング」が営んでいて、「ラーメン二郎」では珍しく、企業が複数の「二郎」を経営する形態を取っています。その一方で、新橋店の店長だった方が完全に独立し、「麺屋 味方」を同じ新橋に開店させたという情報があります。「新橋店閉店」「麺屋味方開店」のどちらが先にあった話かは分かりませんが、店長の独立をきっかけに、人手不足が決定的になったのかもしれません。


 また、「新小金井街道店」の店主は「八王子野猿街道店2」店主の父親。以前は別のラーメン店を営んでいましたが、「野猿街道店」開業後にこの店を開店させました。食べ手としては「店主交代」がなかったのは残念かもしれませんが、具体的な年齢を確認していないものの、「引退の為」という理由は納得できるものです。


 今回は、閉店が2か月の間に2店舗が続いた事でニュースになりましたが、ラーメン二郎の人気が低下したわけではなく、今後もラーメン二郎が大きく店舗数を減らすような事態は考えづらいと思います。その一方で、ラーメンに限らず、飲食店の低価格が低賃金のアルバイトであったり、店主の「人情」によって支えられている現実は、「いもや」閉店のニュースでも見られたように、まだまだ続いています。飲食店の「適正価格」とは何か、今後議論されるべき問題だと感じています。