イの国探検隊ファンの皆様、カミでありアマである二本の皆様こんにちは。
今日も妄言を吐かさせていただきます。滝汗

 

 

 

 

 

「ちっさい神社やの~」

と言うなかれ

 

 

頭が高ーい!

こちらにおわす神社様を誰とこころえる、

先のブログの宇佐神宮から京都石清水八幡へ分霊を運んでいる際に嵐で屋島に避難し、地元で祭るのが始まりの讃岐の大宮様が見つめる先

 

祖谷にある大宮五社神社様だ!

#大宮五社神社

 

皆の者!ひかえおろう!ガーン

 

 

屋島の大宮様は、この大宮様を真っ直ぐ見つめておられるのだ!

真顔真顔真顔真顔真顔

 

 

 

 

 

 

屋島の大宮神社様

 

境内にて

にゃ

 

#大宮神社

 

 

 

そして、探検の妄想通り、

 

 

きちんと神社紋は

 

 更に

 

 

 

レリーフには

蝶の紋章

 

 

 

 

 

讃岐のこちらも

蝶の紋章

平家の紋章

こちらは讃岐三宮(もとはアマの玉盗り伝説で、補陀洛山の志度寺にあった多和神社)にひっそりとある場所

多和神社の文庫には、空海出産の海岸寺きやぶらつ神社の御神体があるかもしれない。グラサン

 

 

 

 

ずらりとお祀りされています。

 

思えば、境内参道で蝶がクルクルと、

平家の魂が、こっち来いしてたのかも

 

ひっそりと祀られる

 

 

 

 

 

へ〜〜 平家ですな

 

真顔

画像は、本文とはまったく無関係です。にやり
 
 
桜は北辰に向かって石巻あたりまで進んだ跡をたどっております。もぐもぐ
妄想で
 

グラサン

 
鹿島神の痕跡の探検が続いております。

鹿島神社
宮城県石巻市広渕鹿添242
神社HP由緒に、
風土記書上げに「当社は葛西家の家臣夷田氏が天正2年(1574)8月朔日に鹿嶋三社を勧請したのが始めで後延宝6年(1678)3月一村の者共が社殿を造営した、其の後元禄10年(1697)12月16日に再び造営したが左右に社がないので元文元年(1736)7月願い上げ
塩釜香取両社を造営し9月9日に遷宮した。その後宝暦10年(1800)にまた造営して10月11日遷宮した。
祭主は塩釜社家藤塚雅楽であると記されている。
主祭神:
武甕槌命
境内社:
塩釜神社(御祭神:塩釜岐神)
例祭日:4月10日、9月9日
とのこと。
 
 
前回、
十束剣は、天之尾羽張で伊都尾羽張
伊のクニの港・難波津の流れを引く諸刃の剣
イの国・難破の剣だ!
 
と、妄言をのたまいました。口笛
そして、鹿島神社境内社には塩釜岐神。
剣、カグツチ、血、潮(塩)、首、気になります。グラサン
 

真顔
では、まず
塩釜神社(しおがまじんじゃ)とはなんでしょうか?
 
鹽竃神社(歴史的な表記)
鹽竈神社(鹽竈神社が使用)
塩竈神社(主に報道が使用)
塩釜神社(誤用)

などの書き方で、神社バリエーションがあるニヤニヤ
 

このうちの、鹽竈神社を探検すると、

宮城県塩竈市にある神社。

同一境内に、志波彦神社(しわひこじんじゃ)との二社が鎮座している。


主祭神は、

★鹽竈神社:塩土老翁神、武甕槌神、経津主神

★志波彦神社:志波彦神
 
鹽竈神社は式外社、陸奥国一宮。
志波彦神社は式内社(名神大社)。
両社合わせて旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。
 
鹽竈神社は、陸奥国一宮でありながら式外社。違和感。無気力
 
 
 
神紋は
「塩竈
 
 
はい、出ました桜。グラサン
桜=神阿多都姫
(=木花咲耶姫=櫛稲田媛=祖谷=五十鈴の宮=伊勢神宮内宮)
 
 
で、もう一方の
志波彦神社とは、
諸説の内、1695年の縁起によれば、天智天皇3年(665年)に始めて律令制で設けられた官庁。
神祇官 (じんぎかん)から一定の社格の神社にささげた幣帛官幣が使わされ、往古国主が重要視した大社として、代々特定神社の奉祀を世襲してきた家(氏族)の社家7人がいた。
 
 
志波彦神の由来は、塩土老翁神であり、栗原郡の志波姫神社と同体であるとしている。
農耕守護・殖産・国土開発の神と伝えられている。
 
志波彦神=塩土老翁神=志波姫神社
真顔
 
で、
鹽竈の字が気になる。
 
鹽とは、
しお、料理の調味料、海水に多く含まれるなどの意味。
 
竈とは、
海水を煮て塩をつくるかまど(竈)のことを「塩竈」。
もともとは製塩用のかまどの名詞。
 以前は日本の各地の砂浜に塩竈があり、これが海辺の風景におもむきを添えていたとのこと。
 
鹽竈とは、海水から塩をつくるかまど。
 
竈戸神社(高知県香美市香北町西峯)とは、香北町史(松本実編集1968年発行)より加工転載。祭神 未詳。神社跡は、香北町美良布から見て北に、棚田を上へ上えと積み重ねて作った球面のようなところがあり、 この球面は小さな三つの部落で構成。竈戸神社は三宝様とも呼ばれて山頂に鎮座していることが多く、もとの場所はその呼び名にピッタリ。
三宝荒神とは、仏法僧の三宝を守護し、不浄を厭離(おんり)する佛神。荒神は、仏法ならびに伽藍の守護神。役小角が金剛山で祈祷していると、艮(北東)の方角に赤雲がなびき、荒神が現れ、その地に祠をつくって祀ったという伝説。また、荒々しく、戦闘的で、積極的に働く神霊である荒魂を祀って荒神としたという説。これは、ヒンドゥー教での悪神が仏教に帰依した後に守護神・護法善神とされた風習が、日本の風土でも同じくされたと解釈。
伊勢神宮内宮(皇大神宮)境内別宮には、内宮の正殿と同時に建てられた荒祭宮(あらまつりのみや)があり、 祭神は天照坐皇大御神荒御魂(あまてらしますすめおおみかみのあらみたま)
竈戸とは、中国で塩を生産する戸を指す歴史的な用語
 

京都の十輪寺は、
山号が小塩山(おしおざん)。本尊は延命地蔵菩薩。
平安時代初期の歌人で六歌仙のひとりで、平城天皇皇子の阿保親王・高岳親王が臣籍降下したことに興る皇別氏族の在原業平が、晩年この寺に隠棲したとされることから「なりひら寺」とも称され、中庭に植えられている樹齢約200年の、なりひら桜(枝垂れ桜)でも知られる。大原野の一角に文徳天皇が、女御である染殿皇后(藤原明子)に世継誕生祈願して、850年に伝教大師作の延命地蔵を安置して祀ったのが始まり。

塩と桜

祈願後、無事に惟仁親王(清和天皇)が誕生し、勅願所とされた。その後、在原業平が、晩年この寺に隠棲し、境内の裏山には業平が塩焼きの風情を楽しんだとされる塩竈(しおがま)の旧跡。

 

神櫛王の悪魚退治のはなしで、弱った兵に水を差し入れた神がいた。童子は横潮大明神という神様で、兵士達80人が蘇ったということで、その清水は八十場(八十蘇)の清水と名付けられた

 

 

 

志度寺奥の院地蔵寺。坂出市と同じく悪魚退治の伝説。讃留霊王(武鼓王、武殻王、武卵王、建貝児王ともよばれ、ヤマトタケルの子、娘?)の活躍再び。讃留霊王=讃岐に留まる巫女の王?武殻王(たけかいこおう)=猛々しい蚕の王?
坂出市八十場(耶蘇)の水で讃留霊王たちは、復活した。

 

童子姿の横潮大明神という神様のくれた水、八十場(八十蘇)の水

やそば、八十八だな。四国霊場八十八札所は、この耶蘇の水をあらわしているのではないかもぐもぐ

耶蘇=キリスト。キリスト復活を意味する札所とはなんじゃ?グラサン

はたまたユダヤ、日ユ同素論的な、なんかか?

 

不動明王=大日如来=天照大神=永遠不滅の真理=阿。阿字は、本不生(ほんぷしょう)、始まり、すべての根源や本質を表し、それは不生不滅であり、「本より生ぜず」つまり、元々生まれてもいないという意味だそうです。「在りて在るもの」

 

 
塩土老翁神(シオツチオジ)とは、
日本神話に登場する神。
『古事記』では塩椎神(しおつちのかみ)
『日本書紀』では塩土老翁・塩筒老翁(しおつちおじ)
『先代旧事本紀』では塩土老翁と
 
名前の「シホツチ」は「潮つ霊」「潮つ路」、潮流を司る神、航海の神と解釈もある。
『記紀』神話では登場人物に情報を提供し、とるべき行動を示すという重要な役割を持っている。
海辺に現れた神が知恵を授けるという説話には、ギリシア神話などに登場する「海の老人」と類似。
また、シオツチノオジは製塩の神としても信仰。
シオツチノオジを祀る神社の総本宮である鹽竈神社(宮城県塩竈市)の社伝では、武甕槌神と経津主神は、塩土老翁の先導で諸国を平定した後に塩竈にやってきた
やぎ座DASH! 龍ヘビDASH!
 
武甕槌神と経津主神はすぐに去って行くが塩土老翁はこの地にとどまり、人々に漁業や製塩法を教えたという。
白鬚神社の祭神とされていることもある。
 やぎ座クローバー
 
塩竈明神=塩椎神=塩土老翁・塩筒老翁=塩土老翁=白髭大明神=猿田彦命
 
徳島県の八面山は、天の八衢じゃ!ということである!そして、高千穂である友内山へ天下る!
『日本書紀』は塩土老翁・塩筒老翁(しおつちおじ)
『先代旧事本紀』は塩土老翁
「塩」に旧字体の「鹽」を用いて「鹽土老翁神」、「鹽土翁神」もある。
 
『日本書紀』の天孫降臨の説話においては、日向の高千穂の峰に天降ったニニギが笠狭崎に至った時に事勝国勝長狭神(ことかつくにかつながさのかみ)が登場し、ニニギに自分の国を奉っている
一書では、事勝国勝長狭神の別名が塩土老翁で、イザナギの子であるとしている。
 
海幸山幸の説話においては、ホデリ(海幸彦)の釣針を失くして悲嘆にくれるホオリ(山幸彦)の前に現れる。ホオリから事情を聞くと小舟(または目の詰まった竹籠)を出してホオリを乗せ、そのまま進めば良い潮路に乗って海神の宮に着くから、宮の前の木の上で待っていれば、あとは海神が良いようにしてくれると告げる。
『日本書紀』本文の神武東征の記述では、塩筒老翁が東に良い土地があると言ったことから神武天皇は東征を決意したとある。
 
事勝国勝長狭神=塩土老翁イザナギの子
塩土老翁「塩筒老翁が東に良い土地がある」→神武天皇は東征決意

塩土老翁神を祀る著名な神社としては、宮城県塩竈市の鹽竈神社。
現在、3座の祭神のうち別宮の祭神として塩土老翁神が祀られているが、江戸時代までの鹽竈神社の祭神は「鹽竈明神」、「鹽竈三社明神」、「鹽竈六所明神」 、その正体は永らく判然とせず。
そこで、由緒に関心を持っていた仙台藩4代藩主・伊達綱村は、元禄2年頃から調査(「神社御用」とも呼ばれる)に着手し、元禄6年に『鹽竈神社縁起(塩釜社縁起)』を完成させた。
この『鹽竈神社縁起』の中には、「塩釜六所明神或曰猿田彦事勝國勝塩土老翁岐神興玉命太田命六座同体異名神也」とあり、鹽竈神社の別宮に祀られている神(塩釜六所明神)は、猿田彦、事勝國勝、塩土老翁、岐神、興玉命、太田命の6座と同体異名の神であるとされ、「鹽竈六所明神」は、塩土老翁神を含めた6座の神々の総称。
「鹽竈三社明神」は別宮、左宮・武甕槌神(鹿島神宮の祭神)、右宮経津主神(香取神宮の祭神)の3社の祭神を総称した呼称。現在の左右両宮の祭神もこれに基づいている。

鹽竈神社の別宮(塩釜六所明神)=猿田彦、事勝國勝、塩土老翁、岐神、興玉命、太田命
「鹽竈三社明神」=別宮、左宮の神は武甕槌神(鹿島神宮の祭神)、右宮の神は経津主神(香取神宮の祭神)

塩土老翁神は、製塩の神として信仰されるほか、神話において山幸彦を海神の宮へ導いたことや、神武東征の際に「東に良い土地がある」と助言した。
また鹿島・香取の神の東北平定の際に道案内を務めたと伝わることなどから、導きの神の信仰がある。これらの他にも、シオ(潮)を掌る神ということから、大漁満足や海上安全、また安産などの神として信仰。
さらに、神田明神末社の籠祖神社(現・合祀殿)では、塩土翁神が山幸彦のために無目籠(まなしかたま、隙間なく編んだカゴ)を作ったという伝説から、竹細工職人たちが塩土翁神を自分たちの祖神として信仰した。

 
鹽竈神社の1末社の御釜神社には、同じく塩土老翁神が祀られているが、四口の神釜(よんくのしんかま)のうち、向かって右手前にある、一回り小さい釜は「御台の釜(おだいのかま)」で、塩土老翁神が特に愛用した釜と伝わっている。

特に猿田彦神との関係性について、末社の鼻節神社(宮城県七ヶ浜町)の祭神が猿田彦神であること。
また、神田明神末社の籠祖神社(現・合祀殿)では猿田彦大神と共に鹽土翁神が祀られていることなどから、塩土老翁神は、猿田彦神と関係の深い神ということが指摘される。
鹽竈神社宮司だった押木耿介は著者『鹽竈神社』の中で、志波彦神社に祀られる志波彦神は、塩土老翁神の幸御魂であるという説を紹介した上で、今後の研究を待たねばならないとしている。
 
 
鹿島神社の境内社の鹽竈神社は、陸奥国一宮でありながら式外社。違和感。えー?
神紋は「塩竈」。
御祭神は、塩竈明神=塩椎神=塩土老翁・塩筒老翁=塩土老翁=白髭大明神=猿田彦命。
猿田彦といえば庚申塔。イヒ
鹽竈神社の別宮(塩釜六所明神)=猿田彦、事勝國勝、塩土老翁岐神興玉命太田命。
 
興玉神(おきたまのかみ)とは、
伊勢神宮皇大神宮(内宮)の守護神。『神名秘書』によれば、猿田彦大神またはその子孫である大田命の別名。鎌倉時代には宮域の地主神・猿田彦大神として興玉神を祀り、神嘗祭と月次祭の御贄供進の際に祭祀が行われ、重視。
 
 

岐神(読みが”フナト神”は四国限定!香川県に2件あるが、「徳島県に密集して純粋地帯」とのこと。
全国的に見れば異様。この純粋で子供たち12柱を伴う異様な「岐神」とは?しかも、「これより先は立ち入り禁止!」の結界ともいえる岐神。

『古事記』の神産みの段において、黄泉から帰還したイザナギが禊をする際、脱ぎ捨てた褌から道俣神(ちまたのかみ)が化生したとしている。この神は『日本書紀』などではサルタヒコと同神。『古事記伝』では『延喜式』「道饗祭祝詞(みちあえのまつりのりと)」の八衢比古(やちまたひこ)、八衢比売(やちまたひめ)と同神であるとしている。

なお、道祖神は道教から由来した庚申信仰習合して青面金剛が置かれ、「かのえさる」を転じて神道猿田彦神とも習合した。

 
「鹽竈三社明神」=別宮、左宮の神は武甕槌神(鹿島神宮の祭神)、右宮の神は経津主神(香取神宮の祭神)。
神武天皇東征の際に「東に良い土地がある」と助言。
無目籠(まなしかたま、隙間なく編んだカゴ)を作った。
 
同じ鹿島神社境内社の志波彦神社とは、
往古国主が重要視し、代々特定神社の奉祀を世襲してきた家(氏族)の社家7人が守る大社。
志波彦神=塩土老翁神=志波姫神社(栗原郡)
塩釜神社と同じ塩土老翁神を祭っている。
塩竈明神=塩椎神=塩土老翁・塩筒老翁=塩土老翁=白髭大明神=猿田彦命=志波彦神
 
つまり、
願い上げ造営した鹿島神社の境内社である2社、塩釜神社、香取神社の御祭神は、神武天皇に「東へ行くんだ!(東征)」を提案し、潮流を司る神、航海の神であり、製塩と無目籠(隙間なく編んだカゴ)を伝えた、
 
 
庚申塔の猿田彦命
=青面金剛
 
グラサン
 
でしたとな。めでたしめでたし
 
 

長くなったので、今日はここまでとさせていただきます。

ではまた。