「六殿宮が平清盛の息子、平重盛によって建立された」

という記述があったので

本人がここに来たのかどうか調べてみました

 

平重盛

1138年 誕生

1177年 内大臣左近衛大将になる

     小松にいたので小松内府、灯篭大臣(屋敷に沢山の灯篭があったらしい)

     小松内大臣などとよばれた

1178年 高倉天皇より鎮西鎮護の宮、創建の命を受ける

     菊池隆道公に造宮の任にあたらせ、木山山麓の聖地に宮を建立

1179年 出家

     病没

ウィキペディア、熊本情報サイト クマみる より

 

ということは、重盛公本人がやってきて六殿宮を造宮したわけではなく、

実際に建立に携わったのは、菊池隆道公であった

ということがわかりました

 

それにしても、

小松重盛神社、内大臣狭、

千光寺の十一面観音(体高が重盛の身長と同じらしい)などを見ると、

熊本に落ちてきた平家の残党たちの多くは

清盛ではなく、重盛を慕っていたと思われます

 

(ぴんかが回った神社仏閣の中で

清盛公をお祀りしたものは、この大王宮だけです)

 

重盛公が、もっと長生きしていたら

日本の歴史が変わっていたかもしれません・・・・・

 

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当時から木原山麓は聖地として知られていたようですが

「木原不動尊奥の院へ向かう参道がパワスポかも」

という話を聞いていたので、

行ってみることにしました

 

木原不動尊から六殿宮へ向かう途中に

グランドがあります

 

そこに案内板がありました

グランドでは、中学生が野球をしている、と思ったら

なんと、ボールの代わりにペットボトルのキャップを使っています

 

キャップをフライングディスクのように

うまく浮かせて投げています

 

結構曲がったり浮いたり、変化していましたが

それをプラスチックのバットで上手に打ち返しています

初めて見る遊びでした

 

横を通ると、

「コンチワッ」

と気持ちよい挨拶をしてくれました

案内板の方向に砂利道をまっすぐ行くと

行き止まりでした

 

手前の橋を渡って藪のような坂を上がると

舗装道に出ました

 

初めからこの道を案内してくれればいいのに

と思いつつ進むと

薄暗い杉や竹の林の中に入りました

 

竹林でとれた不思議写真です

進んでいくと、だんだん右下の谷が深くなり

周りも自然林になってきました

 

しばらくいくと舗装道が行き止まりになりました

むむ、どっちに行けばいいんだ!?

右手を見ると別の案内板があります

よ~く見ると「木原不動尊奥の院→」と書かれています

 

水無川の向こうに道があります

イノシシが道を掘りたくっていますが、

草刈りがされていて、気持ちよく歩けます

 

奥の院→とありますが,矢印方向に道はないので、

ほぼ、まっすぐ進みました

坂には自然石の階段があるので、

この道で間違いないでしょう

明日につづきます