木村荘八の「注釈小唄控」 | 八海老人日記

木村荘八の「注釈小唄控」

         木村荘八「墨東奇談」の挿絵 (木村荘八画「墨東奇談」の挿絵」)


 先日、昼のクラス会の帰りに少し時間があるので、神田神保町の古本屋街に出て、邦楽関係の古書を専門に扱っている豊田書房に立ち寄って見た。左の入り口から直ぐの所に小唄関係の本が並んでいる。前に来た時見かけた木村荘八監修の「注釈小唄控」がまだあるかと思って目を走らせるとまだ売れずに残っていた。昭和36年、荘八の死後、定価600円で限定出版された本である。店頭価格は三千円で、古本としては安くはないが、昔の恋人に出会ったような気持ちで買い求めた。


 木村荘八は、明治26年、東京下町・日本橋の生まれで、生家は牛肉店。京華中学を卒業後、十九歳の頃から画家を志し、岸田劉生らと親交を持った。大正4年、劉生や中川一政らと草土社を起こし、独特な写実様式を追求した。彼は又、新聞や雑誌の挿絵画家として、永井荷風の「墨東奇談」や船橋聖一の「花の生涯」など多くの名作の挿絵を手掛けた。


 荘八は下町育ちで若い頃から長唄、歌沢などに親しみ、大正12年の大震災の直後、三十歳の時、福吉町の初代田村てるに小唄の手ほどきを受けた。その後夫人にも小唄を習わせ、自分は田村派小唄の師匠といわれる程になった。昭和27年3月59歳の時、杉並区和田本町の自宅に「和田堀古唄楽交」を開設し、親交のあった伊志井寛、宮田重雄、安藤鶴夫、伊志井夫人(のち三升延家元)、水谷八重子、浜田百合子、喜多村緑郎、田村小伊都(のち初代井筒家元)、田村千恵(のち初代千紫千恵家元)、田村万津江(のち三代目井筒会長)など、多くの小唄人を集め、古典小唄の研鑽を重ねた。


 昭和31年から32年にかけて起きた田村派の内紛は、田村派の顧問をもって任ずる荘八にとって、一大痛恨事であった。その結果田村派は分裂、千紫派が誕生し、千紫千恵が初代家元となった。この時の心労が荘八の命を短めたのかもしれない。昭和33年11月、荘八は脳軟化がもとで忽然と世を去った。享年65歳であった。私が買い求めた荘八監修の「注釈小唄控」は、千紫会が発行元になって出された本である。この本には522のの古典小唄が収録されている。所どころに写真や挿絵が挿入されていて真に興味深い。又、田村てる家元の三味線の弾き方を絵入で解説しているのが面白い。右手は人差し指の先を親指の先で強く押して団子を作り、その団子で肉弾きする。左手の親指は「まむし」の形にして棹を掴みⅠ~Ⅲの指を動かし易いようにし、弦に対し直角に指を立てて弾くとある。初心者にも分りやすく大変参考になる。


 荘八が古典小唄の粋を後世に残そうと、自ら選曲、監修し竹枝せん師と千紫千恵師に演奏を托した小唄集が、第十三回芸術商参加作品としてA面、B面9曲のレコードとしてビクターから発売された。その後、小野金次郎氏が監修に加わり、A面B面夫々16曲合計32曲のテープが発売されている。