廃れゆく我が愛する“ミヤビリーカルチャー” | OKINAWA FASHION Lab -沖縄ファッション研究室-

廃れゆく我が愛する“ミヤビリーカルチャー”

こんにちは。

OKINAWA FASHION Lab.(沖縄ファッションラボ)の市川喜章です。

今週半ば、宮古島に出張しておりました。

宮古島といえば、

最近では芸能人企画や、プロスポーツのキャンプ地などで知られる、沖縄本島からさらに300㎞も南下した

のんびりとした癒しの島というイメージの方が多いでしょう。

しかしながら、

宮古島にもうひとつのカルチャーが確かにありました。

そう、

それが“みやこんちゅ”の“ロカビリー”たち、その名も「ミヤビリー」。

ロカビリーの象徴としては、アメリカンゴールデンエイジ50'sに影響を受け、リーゼントにラバーソールやサドルシューズ、そしてボウリングシャツなどなど・・・。

私も最近はあまりしなくなりましたが、なぜかいつまでも好きで気になるロカビリースタイル。

OKINAWA FASHION Lab -沖縄ファッション研究室-
2000年前半、ミヤビリーの代表格ロカビリーバンド CREST CREWのアルバムジャケットより。

遊ぶ場所がこれといってない宮古で、ロカビリー、サイコビリー、ブギー、ロックンロールなどがなぜ流行ったのか・・・

それはまだ私も研究不足ですが、

推測するに、宮古の気質は血気盛んとよく言われます。そんな“みやこんちゅ”の気質と、

ロカビリースタイルはマッチしたのかもしれません。

早くは、団塊の世代から「ミヤビリー」は存在していたのです。

現に、

私は6,7年前まではよく、沖縄本島に遊びにくる宮古のミヤビリースタイルの中高生を目にしました。ロカビリーだけでなく、スキンズスタイルの子もおり、

「なぜこんなにも完成されたスタイルをできるのか?」

と思わず道でこの子たちに聞いてみたことがあります。

そのときその中学生は、

「お父さんがずっとこういう格好してたから・・・」

と答えたのです。

この宮古カルチャーはすごくいいなっと私は思ったことをよく覚えています。

そして2年半前、初めて宮古島を訪れたとき、

ミヤビリーには会えませんでした。

おそらくロックストリートカルチャーの変遷(50’sスタイル→90年代初頭のグランジファッション→メロコア全盛の短パンTシャツのスケートスタイル→東京草食系?)にともない、宮古にもインタネット社会が訪れ敏感に潮流を感じ取っていったのではないでしょうか・・・。

しかしながら、

ミヤビリーの聖地とでもいうショップ兼スタジオとして君臨していた

Shamrock King は堂々と存在していました。

このお店があるということは、

ミヤビリーはまだ健在なのだとほっとしました。

しかしながら、

今回仕事の合間に訪れたShamrock King は、ショップはなく、officeになっておりました。

どうやら通販のみの展開になったようです。


OKINAWA FASHION Lab -沖縄ファッション研究室-
昔は右のショーウィンドウも綺麗に飾られていました・・・。


OKINAWA FASHION Lab -沖縄ファッション研究室-
隣のスタジオは健在なのでしょうか・・・。


OKINAWA FASHION Lab -沖縄ファッション研究室-
こういったライブハウスに昔はミヤビリーが集まっていたのでしょう。。。

これはとっても寂しく思いました。

ミヤビリーの歴史は終わってしまったのでしょうか・・・。

街にも学生服にラバーソールスタイルも全く垣間見れませんでした。

時代

それは時に残酷なものですね。

しかし、

私は今後も、

生き続ける「ミヤビリー」の行方を捜し続けようと思います。


OKINAWA FASHION Lab -沖縄ファッション研究室-
ロカビリーのアイコン STRAY CATS