ちょっと唐突な話題ですが、海外在留日本人でも、日本を語る時に決まり文句のように「日本人は農耕民族なので、、、」「日本は稲作の国だから定住する民族で、、、」という人が多いことにずっと違和感を持ってました。だって、僕自身、自分の中に農耕民族的な部分を殆ど感じないし。
青森の有名な縄文遺跡「三内丸山遺跡」の話なんかを読むと、実際、日本人は農耕系DNAとはとても思えない。きっと何らかの意図や教育方針の元、中学校の歴史で「登呂遺跡」や「弥生時代」を叩き込まれたせいで『日本=農耕民族』って教え込まれただけでは?という疑念が消えません。
玉川学園・玉川大学・協同:多賀歴史研究所様webより
1万年前近くから農耕が始まっていたという世界各地の古代農耕文明と比べても、日本はずっとその後まで持続可能で平等な「狩猟採集文明」があったと三内丸山遺跡が証明したわけですよね?
西暦が始まる頃ぐらいまで1万年以上の長きにわたって狩猟採集生活してたわけでしょ?
いや、サンカや、アイヌ文明とか連綿と続いていたはず。
単に為政者にとって狩猟採集型ライフスタイルが支配の上で不都合だっただけではないの?
神話が始まった時代と時を重ねて『日本=稲作』が日本の精神性や神話性、民族性の中心に据えられたことは事実だと思う。
稲作という農耕が神聖化されて、だから「ニッポン人は農耕民族ですよ」ってなったのではないかなぁ?
稲作は3千年前かそこらに大陸から伝わったわけでしょ?少なくとも日本起源ではない。
大陸は農耕民族が中心だったかもしれないけど、その時代になって世界に遅れてようやく農耕を受け入れた日本人自体は、稲作を始めてようやく農耕化したわけで、とてもじゃないがそれを根拠に農耕民族とは呼べない。呼びたくない。
何でこんなことをいきなり取り上げたかというと、ニュージーランド移住セミナーなんかでも、参加者の発言やニュアンスの中に「農耕民族だから」的な、「わしら海外は苦手やけんね」「うちら移動するのは得意じゃないので」発言が多いんですよ、農耕民族だから仕方がないよ的な。
冒頭のように、海外在住邦人でもそういう発言や著作が散見されるわけです。
それ、固定概念の典型と違うん?刷り込みの最たるものやないの?
「日本人は農耕民族で1か所に定住し、与えられた仕事場である田畑を協力しながら耕す。種撒きから収穫を迎えるルーティン文化があり、日本人の無意識下にも根付いている。
同じ場所にとどまって共同で仕事を進めるDNAが埋め込まれているといっていい。
それが戦後の終身雇用にも繋がり経済的な繁栄をもたらした。その点、アメリカの人は元々が移民であり…」
って、違和感ないですか?僕にはバリバリ違和感8万光年です!あり得ん理屈だ。
ええ、アメリカ人は移民の国ですよ、確かに。
でもアメリカを構成する人々が狩猟民族か農耕民族かというのと、アメリカが移民で成立した国である事実間には何の因果関係もない。そもそも民族DNAと国の成立じゃ比較するにも時代が離れ過ぎてる。
狩猟民族か農耕民族かっていうのは、文明以前の何千年も前の時代に遡って語るべきことで、2百年か3百年そこらの歴史しかない国のあり方と混同するのは明らかに間違ってる。
証拠もある。
クジラを散々獲って油だけを使うために自然を無駄遣いしておきながら、何千年も自然の恵みに感謝し自然の中に八百万の神を見出し命を無駄なくいただいてきた象徴の一つである我々のクジラ漁を、彼らは文明の進化過程で違う油を発見したとたんに偽善と科学文明の観点だけで批判する。
あのね、僕らには自然を愛し共存して来た1万年以上の狩猟採集時代というDNAがあるんです。
彼らこそ農耕民族だ。農耕の前提には自然の開拓、開発がある。少なくとも自然を切り拓いて破壊することが前提だ。だから、彼らの西洋人文明の根底には自然は征服すべきものという感覚を感じる。英国の庭の整然とした管理を見ればわかる。自然より人間が上で、征服し手を加え管理する傲慢さ。
路傍に美しい一輪の花を見つけたら、日本人は摘まずに眺めて俳句や和歌にする。
西洋人は摘んで愛でる、という違いを誰かが書いてたがその違いだと思う。
だから、彼らこそ、典型的な農耕型だと思う。
日本人こそが世界最強の狩猟採集民族だと思うけどなあ。違うかなぁ?
日本人は自分の奥底にあるDNAを信じてもっと移動し、世界中で自然共存のヒントや自然を敬う精神を伝えていけばいいと思うのです。
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