先般Kさんの計らいで参加してきました東富士工場ファイナルイベント。

簡単に当方も綴ってみたいと思います。


 

2020年の今年はヨタハチ生誕55年でもありますが、その陰でヨタハチの生産拠点であった旧関東自動車工業田浦工場から移管して東富士工場が1967年5月より前期型ヨタハチやのちに初代センチュリーの製造を始めて53年。来月で閉鎖になってしまいます。東富士工場での生産台数が1016台のヨタハチが作られた工場建物が未だに残っていていた事は割と知られたところであります。

(※生産台数に関しては月別を単純に田浦生産を4月末まで、東富士生産を5月以降と数えています)

過去にTSOCの全国大会がこの工場敷地内駐車場で行われた時に、ヨタハチのイベントとしては初めて参加しました。四つ葉Dさんには94年頃?かなと言いましたが、調べましたら91年11月3~4日の両日に3日は河口湖自動車博物館の駐車場で、翌4日に関東自動車工業東富士工場で行われておりました。

写真は発掘した91年のもの。スキャナーで取り込むのは面倒だったのでスマホで写真そのものを撮影して取り込みました。3枚目の正門前に関東自動車工業の看板が見えますね。

 

 

 

 

 

 

敷地内F201隣りの現車両検討場付近にヨタハチを駐車展示しておりました。駐車場付近の構内だけで工場内の見学は無かったのですが、ヨタハチの生産拠点に里帰りという点で印象深いイベントでした。

この時当方のヨタハチはまだバラバラで当時家で乗っていたニッサンブリメーラでの代車参加でしたので、ヨタハチオーナーながらも実車で来れなかった残念さの方が大きかったのも事実です・・・。

このイベントをきっかけに初めてヨタハチオーナー諸氏との繋がりが出来て、現在に至るまでお付き合いのある方もいますので、そういう意味に於いても関東自動車は当方のヨタハチライフの中でも大きなウエイトを占めていた訳で、その地が無くなるというのは非常に残念な思いでいっぱいです。

 

現在ヨタハチが生産されていたF201ではセンチュリー工房として稼働しておりました。先日のイベントにて東富士工場のラインオフが最後となるセンチュリーの組み立て現場を見学出来たと共に、当初はヨタハチの組み立てラインがここにあったのか・・と感慨に耽る思いも体験出来まして改めて参加出来ました事に感謝致します。また試験走行路での同乗走行が出来た事、同乗して頂いた一人の方はヨタハチに乗れた事が一生の思い出とまで言って頂き、改めて有意義なイベントだったと思います。

 

 

リブログした記事内にもありますが関東自動車東富士工場は完成車両を鉄道による出荷をする為に専用線がありました。運用開始は1969年7月31日です。それまでは沼津駅構内に自動車輸送基地があったのですがそれに伴い廃止されて、こちらの専用線での輸送に変わります。専用線作業キロは0.9キロ、総延長2.2Kmで岩波駅北側の本線より分岐して構内作業や牽引は国鉄機でした。車運車はク5000形に積み荷はシートカバーやパレットの返送用に控え車両としてワムやワフが牽引されていていた様です。

今でもこの専用線の痕跡ははっきり残っていて、特に東名高速道路高架橋下の線路は雑草も無く当時のままの姿で残っています。比較的近年まで厚生センター体育館横の踏切跡にも線路が残っておりました。(現在は撤去)

 

さてこの専用線ですが我らがヨタハチの最終生産車両の製造終了は1969年10月です。この専用線が運用開始してから僅か3ヶ月ですが期間が被っておりヨタハチの8月から生産終了までの台数実績は72台あったので、内何台かはキャリアカーでは無く鉄道輸送によって出荷されたかもしれない可能性がありますね・・・。

今でもF301山側の東名高速道路上に専用線積み込みヤードへ行く高架橋が残っていて、ホーム跡は現在北側裾野インターの職員駐車場となっております。(専用線は82年11月廃止)

 

 

記念品で貰ったマグカップ

 

 

 

 

 

東富士工場にはこんなゆるキャラが居たとは知らなかった(笑)

これだけヨタハチと繋がりのある場所だったんですけれどねぇ・・・。