ドラマ 女帝 出演・西村和彦さんとの出会い。 | 野村健太郎オフィシャルブログ 「新劇人・夢街道」 by Ameba



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ここでは、私の数少ないドラマ出演の中で、目標としていた西村和彦さんと、ついに共演した奇跡の出来事を書かせて頂きます。




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【ドラマ 女帝・テレビ朝日】


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【西村和彦さんと感動の初共演】




西村和彦さんは、2000 年の、カープ津田選手2 時間ドラマでも、清川投手役を演じ、津田選手のコンビ役で泣かせて下さいましたね。




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【西村和彦さん】




私は、19 才俳優西村和彦さん憧れ愛媛県から上京。きっかけ番組は、スクールウォーズ 2、なんせ西村和彦さん格好いいのなんの。母といつもテレビで見てました。【俺も西村和彦さん見たいな俳優になりたいから東京に出たい。】 と言うと母は当然猛反対。(笑)




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【母校・国士舘大学】




進学する事を条件に上京を獲得。神奈川への引越しが終わり駅のホームで母は涙を流しながら、【やる以上は、あんたも元気で頑張りなさいね。】 と言い電車のドアが閉まり愛媛に一人帰る母。この母の涙は絶対に無駄にはしない。そう決意。


西村和彦さんの劇団に20 才で入所、順風マンパン ! しかし、うまくは行かないもんなんですよ。

多数のエキストラを重ねる物の、結局憧れの西村和彦さんには会えぬまま、見切りをつけて劇団を退所。新たな目標もなく、劇団を転々とする日々。




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【再現 THE JUDGE・フジテレビ】


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【顔怖いですが、常に真剣です。(笑) 】




27 歳の時、初めて自力オーディションで合格した番組。再現ドラマがこれ。幸一と言う役で、女に騙された腹いせに、相手の男を脅し、訴えられる役柄でタバコを、10 本以上吸った苦しい役。しかし初のセリフ役付きで、友人から・・・。


【のむけん ! テレビ見たぞ。】 と言われ、初めて役者をやれたなと思えた瞬間でした。それにしても自分が嫌になるような役でした。(笑) まだ出演は多々ありましたが、省略致します。


久本さんから、【コイツ、嫌な奴ちゃなあーと言われました。】 これは演技ですよ。(泣)




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【私の両親・記憶がなくなる直前の母】




10 年近い生活を省略して書きますが、色々な事がありました。アルバイトに明け暮れた年、何もしなかった年、失恋により思い悩んだ年、ボランティア活動を頑張ってた年。ダラダラと年を重ね、8 年後、父から一本の電話が・・・。


【母さんの様子がおかしい】 との通告。母が若年性アルツハイマー。【お前の顔が解らんなる前に、一度愛媛に帰って来い。後悔せんうちに母さんの顔をよう見とけ。】




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【女帝・初台本】




私の我がままで、叶う筈のない役者志望の理由で上京を許してくれた母さん。1 回は出演出来た番組はある物の、気がつけば、【俺はまだ一度も大きな晴れ舞台も見せないまま、母さんの記憶がなくなる・・・。俺は、この逆境に必ず勝つ ! ただでは絶対に、終わらせない !


せめて母さんの意識があるうちに役者の舞台に立たせて欲しい。必死で祈り続けました。全ては母の為にと・・・。


そして、その年の 2007 年に祈りが叶い、私もついに、ご縁あって偶然にもドラマで役を頂きました。 (^0^)




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【終番・アクションシーン】

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【トレンディードラマ部門では、初出演】




エンディングキャスト欄に、野村健太郎と名前が出た時は。感動の瞬間でした。


主演の、加藤ローサさんとの 1 発目の絡みも緊張しましたが、何と私の上司の役が、あの憧れの西村和彦さん。記念すべき私の初ドラマデビューで、初対面だったんです。こんな事があるんだあ。世の中捨てたもんじゃない。




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【愛媛県・JR 松山駅】




私が 13 年間西村和彦さんの大ファンで上京して来た事や、西村さんの劇団にいた事、何より今回、母への最後の記憶として、この撮影現場の事を伝えてあげられる事、感謝の思いを全てを西村さんにお話する事が出来ました。


私は当時32 才諦めてた人生に初めて長く続けて良かったと思える瞬間でした。




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【私の実家】


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【介護士時代】



母さんは、私が送ったDVD のドラマを見て、【良かったね。良かったね。】 と言ってはくれたけど。ギリギリですが、既に母の記憶は無かったと思います。でも 【母さん俺は、夢を叶えたぞ !!。母さんも確かに見たよね !!。】 そう信じて行きたいです。一歩遅かったかと考えると私自身、一生悔いが残りますからね。(笑)


そんな縁に触れて、介護の資格を取って、介護の仕事に就きました。今は、俳優の師匠も出来、お芝居の道も少しづつ開けて来たので、もう辞めてますけどね。かろうじて、お芝居は頑張っておりますよ。




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【パグ犬・竜馬】




実家で、可愛がっていた愛犬。2009 年に霊山へ、旅立たれました。ご冥福をお祈り致します。