こんにちは、スタルペスです

 

別府市の「鬼の岩屋古墳」から車で20分程度移動して別府市春木の「実相寺遺跡公園(じっそうじいせきこうえん)」、ここには前回のブログで紹介した「鬼の岩屋古墳」と合わせて国指定史跡になっている「実相寺古墳群」があります。

「実相寺古墳群」には5基の古墳で構成されており、公園内には4基の古墳が保存されています。

 

まずは墳丘のある2つの円墳、「太郎塚古墳」と「次郎塚古墳」を紹介します。

 

 

 

※左(手前)が次郎塚古墳、右奥が太郎塚古墳

 

 

 

「太郎塚古墳」と「次郎塚古墳」は近接した古墳で南側が「太郎塚」、北側が「次郎塚」となっています。

 

 

※太郎塚古墳

 

 

 

※次郎塚古墳

 

 

 

「太郎塚古墳」は直径23m、「次郎塚古墳」は直径24mと同規模の円墳です。作られた時期も6世紀後半で出土遺物により同時期に造られたものと考えられています。

 

 

※上が次郎塚古墳、下が太郎塚古墳の墳丘図

 

 

 

次郎塚古墳の周溝が太郎塚古墳の周溝の手前で止まっていることから太郎塚古墳のすぐあとに次郎塚古墳が作られたとみられています。

 

この2つの古墳、どんな関係だったのでしょう?夫婦の墓でだったのでしょうか?親子の墓だったのでしょうか?

 

 

※太郎塚古墳出土と伝えられている「金銅唐草文鏡板」

 

 

 

実は、江戸時代にはこの古墳は「別府太郎」の墓と言われています。

「別府太郎」はいわゆろ「百合若伝説」に出てくる人物です。決してヒーローではなくヒール役のお墓ということです。

 

「百合若伝説」とは鎌倉時代の蒙古襲来の時の話です。

 

左大臣の子「百合若」は弓の名手としてたくましい青年に成長していきます。やがて「春日姫」という美しい嫁を迎え睦ましく暮らし、豊後の国司に任じられます。

「百合若」は日本に押し寄せてきた蒙古の大軍討伐を命じられ対馬沖の戦いで蒙古軍を打ち破ります。

しかし戦いに勝った後、部下の「別府太郎」らに裏切られ、玄海島に置き去りにされてしまいます。

「別府太郎」らは帰国後、「百合若は病死した」と虚偽の報告をし、豊後の国司を簒奪します。その上「百合若」の妻の「春日姫」に求婚を迫るのでした。

 

 

※蒙古襲来絵詞の一部を抜粋

 

 

夫の死を信じられない「春日姫」は手紙を鷹の「緑丸」脚に結び放します。鷹は玄界島にたどり着き、「百合若」が血で書いた文を返信します。

やがて「百合若」は嵐で玄海島に漂着した漁船で帰国し、「苔丸」と称して「別府太郎」のもとで仕えることになります。

正月の弓始め式で「苔丸」こと「百合若」は、自分を裏切った太郎をなじったうえで強弓で射抜き、復讐を果たすことができました。その後「百合若」は国司に戻ることができました。

 

というのが「百合若伝説」のあらすじです。

一般的には「百合若大臣」として幸若舞や浄瑠璃などでも演じられる題目となっています。

 

 

※手前が太郎塚古墳、奥が次郎塚古墳

 

 

 

この伝説で裏切りをした「別府太郎」の墓が、ここ実相寺古墳群の「太郎塚古墳」と言われています。