不世出の天才ギャグマンガ家、赤塚不二夫。
「天才バカボン」「おそ松くん」「もーれつア太郎」などに登場する面白すぎるキャラクターから、赤塚さん本人も破天荒な人間と思われがちだが、実はとてもノーマルで、人見知りの、ギャグのことばかりを考えている人間だったと、読むとわかる。『赤塚不二夫120%』は、ご本人がありのままの素顔で語り下ろした傑作エッセイだ。
旧満州からの命からがらの引き揚げの思い出。
連合軍の占領下で過ごした少年時代。
伝説のトキワ荘での、手塚治虫、寺田ヒロオ、藤子不二雄ら、マンガ史に残る盟友たちとの出会い。
夜の酒場で意気投合、時代を造ったクリエイターたちとの抱腹絶倒の交友録。赤裸々な女性遍歴。
そしてギャグへの真摯な思い。影響を受けたO・ヘンリーや黒澤明監督のこと…。赤塚不二夫のことが120%綴られている。
赤塚さんは、嫌いな人に会ったことがないらしい。
人間ほど面白いものはない。不思議なものはない。愛おしいものはない。人間が心底好きなのだ。
その人間をもっと楽しませたい。笑わせたい。
人間は「笑う葦」なのだ。
笑うことは本能だから、世界中笑い声は一緒。
人生のほとんどをギャグを考えることに費やしてきた。
「面白い」を真剣に考えてきた。
ギャグとは、きちんと形があって、細部まで考えられて、効果も計算され尽くしたものだ。
赤塚マンガは、ハチャメチャでナンセンスで、どうしようもない連中がいっぱい出てくる。だが、根っからのワルは出てこない。殺伐としていない。
赤塚さんは、人間関係を大事にしてきた。
恥ずかしがり屋なので酒を飲みながら、コミュニケーションをとってきた。編集者とアイデアをぶつけ合ってきた。そこから思いがけない面白いものが生まれてきた。編集者は、「石ころを宝石みたい」に磨いてくれる存在だと思っていた。
赤塚さんは言う。
言葉の規制が文化を壊している。言葉でなく頭の中で差別する方がタチが悪い。言葉を取り締まり、フタをして隔離してしまう方がよほど怖い。
どんなことも「これでいいのだ!」と無条件に肯定する。
この魔法の言葉の前には、差別も区別も否定も批判も消え去る。
赤塚さんは考える。
いつも、その場で、自分がいちばん劣っていると。
自分がいちばんバカで最低だと思っている。
そうすると、いろんなことを教えてもらえ、学べる。
自分がバカだと思っているのが、いちばん自分に害がない。
この本の初版が出た1999年、赤塚さんはガンを患っていた。
だが、本の末尾をこう結んでいる。
「いつ死んでも、これでいいのだ!死ぬ瞬間まで、人を笑わせていたいのだ!」
赤塚死して17年。いまだに多くの人を笑わせている。