京都にある大谷本廟をご存じでしょうか。大谷本廟とは西大谷とも呼ばれ、真宗の開祖親鸞の廟所であります。

 

 京阪電車を五条駅で降りて、五条坂を上ります。そして東大路通を超えた向こうにあります。

 

 波乱の生涯を遂げた親鸞は弘長二年(1262)に京都で没しました。そして現在の大谷本廟の北側の谷で火葬され、付近で納骨されたと伝えられます。当初は石塔の周囲に簡単に柵をめぐらせた程度のものと伝えられます。

 

 それがやがて吉水の北辺、現在の知恩院のあたりに廟堂が建立(文永9)されます。これが「大谷廟堂」と呼ばれ、大きくなり後の本願寺につながります。

 

 戦国の争乱の余波を受けながらもなんとか維持され、秀吉の庇護を受けます。

 

 現在の地に移ったのは慶長八年(1603)で、徳川家康の命によって現在の鳥辺野の地に移されたのです。そしてさらに大きくなったのが寛文元年(一六六一)。宗祖親鸞の四百回忌法要を期に、良如宗主はこの場所に南三〇歩の場所に仏殿(本堂)を再建立したのです。

 

 

 東大路五条の交差点をわたると、大谷本廟の総門が我々を迎えてくれます。これが入口です。真宗門徒はもちろん、清水寺も近いので、数多くの観光客も訪れます。

 

 

 総門をくぐると仏殿があります。大谷本廟では本堂とは言いません。本願寺の飛び地にあたるので、本堂に当たるのは、西本願寺阿弥陀堂にあたります。

 

 

 

 仏殿の正面です。こちらも内部には阿弥陀如来が安置され、数多くの参拝客が訪れます。

 

 

 

 仏殿の裏には石窟があります。正確な由来はわかりませんが、親鸞がここで学問したとの伝承もあるようです。

 

 

 

 大谷本廟の一番奥にある仏殿で明著堂という建物です。この建物は親鸞の廟所の拝殿のような施設です。親鸞に結縁するため、ここには数多くの一般信徒が納骨に来ます。

 

 大谷本廟がある地域一帯は鳥辺野と言われ、平安時代初め頃からの葬地としても有名です。こういう場所に大谷本廟があるのも興味深いですね。