これは、スタンリー・キューブリック監督の映画「シャイニング」(1980)について、解釈と解説を試みる記事です。従って最後までネタバレしています。ご注意ください。

 

この記事は、

「シャイニング」その1 ネタバレ解説、謎の解釈とメイキング オープニングからホテルまで

「シャイニング」その2 ネタバレ解説、謎の解釈とメイキング 双子から237号室の女まで

の続きです。

 

ゴールド・ルームのパーティー

ウェンディにイラつき、モノに当たり散らすジャックは、廊下にパーティーの後のような風船や紙吹雪が散乱しているのに気づきます。

そして、どこからか聞こえる音楽にも。

 

ゴールド・ボール・ルームには明るい光が灯り音楽が流れ、着飾った人々のざわめきに満ちています。

ジャックは満足そうにバーカウンターに向かい、なじみのロイド「私を噛んだ犬の毛(hair of the dog that bit me)」を注文し、ロイドはすかさずバーボン・オン・ザ・ロックを出します。

hair of the dogとは英語の言い回しで迎え酒のこと。なんでも、犬に噛まれたら噛んだ犬の毛を傷口に当てると狂犬病にならないという民間伝承があり、そこからの派生で迎え酒のことを犬の毛というようになったそうです。

ひどい二日酔いの特効薬は迎え酒。ひどい二日酔いを起こす酒は「私を噛んだ犬」みたいなものですからね。

ジャックはのんべえ時代、こんなやり取りをバーテンのロイドと繰り返していたんでしょうな。二日酔いの苦痛を取り去るために連続飲酒。アル中まっしぐらコースです。

 

このパーティーは先ほどのロイド登場のシーンの続きであり、ジャックが作家的想像力で思い描いているシーンにも見えます。

また、酒を求め現実逃避するジャックの妄想/幻覚シーンであるようにも見えます。

いよいよ活性化してきたホテルの、過去の残響がここまで大きくなったようでもあります。

それに、ジャックが生まれ変わりの前の前世を思い出し、その中にトリップしているシーンという解釈もできます。

 

おそらく、どれが正解というわけでもなく、そのいずれもが入り混じったものなのだろうと思います。

ハローランが常日頃から気づいていたホテルの「過去の残響」は存在し、雪に密閉されることでその密度を増しています。

残響に影響されてジャックの作家的想像力はリアルさを増し、妄想と区別のつかないものになっていきます。

ホテルと一体感を感じ、ホテルに属するために家族を排除しなくてはならない…という強迫観念に取り憑かれるジャックは、統合失調症の症状を呈しています。

そして、ラストの写真が示すようにジャックは前世においてホテルにいたことがあり、その人格が徐々に本来の人格を侵食してきています。

 

いずれにせよ、それらはすべてジャックの心の中で起こっている出来事であるというのがポイントだと思います。

「かがやき」を持っている=感受性が豊かなダニーは、ジャックの心の中の異変を敏感に感じ取り、幽霊や怖いイメージとしてそれを見ます。

そこはやはり、ジャックとダニーの血の繋がり、名前も共有する濃い関係性があってこその、心象風景の共有なのだと思います。

 

「かがやき」を持たず、ジャックと血の繋がりも持たないウェンディは、幽霊を見ることはありません。実際、ジャックを怖がったりダニーの変化に不安を感じたりすることはあっても、ウェンディが怪奇現象を見ることは終盤までないんですね。

終盤になってようやく、ウェンディが次々と怪奇現象を見ていく。そこではジャックの心の状態が限界に達して、アンテナを持たないウェンディにまでも見えるほどに漏れ出してしまっているということなんじゃないかと思います。

 

ロイドは酒代について、「オーナー命令でお代は結構」と言います。

この「オーナー」は原作では、ロイドなどの亡霊たちの背後にいる黒幕、邪悪な意志の主体としての「ホテルの悪霊」がイメージされていると思うのですが、映画では特にそのような黒幕的な意志があるようには思えません。

ここでのロイドのセリフは、ジャックのプライドの現れなのではないかな。「俺はこんなに特別扱いされる重要人物なんだ!」という。

 

パーティーで流れている音楽…「Midnight, The Stars and You」「Home」「It’s All Forgotten Now」といった音楽は、だいたい1930年代に発表されたものです。

なので、このパーティーはおよそ30年代から40年代頃のパーティーであるということになります。

原作では、ホレス・ダーウェントがホテルを買収した1945年8月29日に、開業を祝って行われた仮面舞踏会ということになっています。

ただし、ジャックが前世においてホテルにいたのは1921年です。パーティーがジャックの心の中なら、前世の記憶である1921年7月4日のパーティーもそこには反映されているはずです。

従って、このパーティーは1945年であると同時に1921年でもある、いくつもの時空が合わさった世界であるだろうと言えます。

グレイディ

ウェイターがジャックの上着に飲み物をこぼし、後始末のために二人はトイレへ。

ジャックはウェイターがグレイディであることに気づきます。1970年に妻子を殺して自殺したホテルの冬季管理人です。

ここでは、彼はデルバート・グレイディと呼ばれていて、面接でアルマンが言及したチャールズ・グレイディとは名前が違っています。

原作もデルバートなので、アルマンのところのチャールズは単なる脚本上のミスだと考えるのがもっともシンプルではあります。

 

キューブリックは完全主義者なのでミスではない!と考えるなら。

実はチャールズとデルバートの2人のグレイディがいるという考え方があります。

ジャックが1921年にホテルにいた人物の生まれ変わりであるように、1970年のチャールズ・グレイディは、過去のどこかの時点でホテルにいたデルバート・グレイディの生まれ変わりであるという解釈です。

ただ、そうなると2人のグレイディがどっちも妻と2人の娘を同じように殺した…ということになってしまって、それはなんだか不自然なように感じます。これではグレイディの幽霊が2人になったり、双子が4人になったりしちゃいそうです。

 

また別の可能性として、デルバートという名前の方が間違いであるというものがあります。ただし間違えているのは脚本家ではなく、ジャックです。

これまでに見てきた解釈の流れを踏まえれば、このパーティーのシーンはジャックの心の中の世界です。つまり、登場人物であるグレイディもまたジャック自身であると言えます。

アルマンから聞いた名前について、ジャックはうろ覚えだったのでしょう。チャールズという名前を忘れてしまって、デルバートだったと思ってしまった。だからジャックが出会うグレイディはデルバートと名乗るのです。

つまり、わざわざグレイディの名前を変えてあるのは、ホテルの幽霊が存在するのがジャックの心の中の世界であることの目くばせである、ということです。

 

アルマンからグレイディの話を聞いた時、ジャックはそれについて「聞いていない」「知らない」と言っていました。

しかしジャックはグレイディの顔を見て、「新聞で写真を見た」と言っています。いかにも事件の報道された当時に記事を見たような口ぶりです。

ここには矛盾があります。しかし心の中の世界であれば、実際には写真など見ていないにもかかわらず、なぜか顔がわかる…ということもありそうなことです。

 

ただ、アルマンとの面接の後で、グレイディの話に興味を持ったジャックが図書館などで新聞記事を見て調べた可能性もあります。ジャックがグレイディの話に興味を惹かれたということは、後の展開から言ってあり得ることだからです。

 

ジャックとグレイディが向かい合って会話するこのシーンで、キューブリックは意図的にいわゆる「イマジナリー・ライン」を超えてカメラを動かし、人物の左右の配置をくるくると入れ替えています。

これによって、あたかもジャックとグレイディが入れ替わるような、どっちがどっちか分からなくなるような効果が作られています。これも意図的な仕掛けでしょう。

また、グレイディは洗面台の鏡を背に立っていて、ジャックはグレイディの肩越しにその鏡を覗き込むように見えます。あたかも、グレイディが鏡に映るかどうか確かめているようです。

映画の観客に鏡面が見えることはなく、グレイディが鏡に映ったのかどうか、観客は知ることはできません。

237号室のシーンにも鏡がありました。ゴールド・ボール・ルームのバーカウンターにも。ジャックが幽霊と話すシーンには必ず鏡があって、これはジャックが実際には自分自身と話していることを示唆しているようです。

 

ジャックは事件のことを話しますが、グレイディは管理人だった記憶はないと言います。

「あなたこそ管理人です。ずっと前から。存じています。私もずっとここにいますから」

 

グレイディのこの言葉は、ジャックの中のもう一つの人格…1921年にホテルにいた過去生の人格を呼び出す呪文、もしくは暗示のようです。

これ以降、ジャックはウェンディやダニーへの父親としての愛情を一切見せなくなってしまいます。

 

グレイディはジャックに、ダニーが部外者を引き入れようとしていると伝えます。ジャックが「誰を?」と聞くと、グレイディは「ニガー」と答えます。

グレイディは「あなたの息子にはしつけが必要」「私は2人の娘をしつけた。邪魔をしたので妻もしつけた」と語ります。

 

ダニーの呼びかけに答えてハローランがやって来ようとしているという情報は、ジャックには知り得ない情報です。

ただ、ここでグレイディが話していることというのは、要はジャックが常日頃から心に溜め込んでいる鬱憤だろうと思われます。

「女と子供が、俺の仕事を邪魔しやがる」ということですね。「俺は本当は偉大な作家になれるはずなのに、女と子供がつまらないことで俺を煩わせて、俺の邪魔をする。俺が偉大な作家になるためには、女と子供が俺の仕事の邪魔をするのをやめさせなくちゃならない」

黒人も、同様の呪詛の対象なのだろうと思います。差別意識から見下している黒人が、仕事の上で自分より優位に立つような局面に、ジャックは憤ってきたのでしょう。「俺の仕事の邪魔をするニガーも、しつけてやらなきゃならない」

 

本当は偉大な作家になれるはずなのに、なれていないなんて不条理だから、それは誰かのせいに違いない。そんな鬱屈をずっと抱えてきたジャックがグレイディの物語と出会って、邪魔者を排除するという考えに内心強く惹かれてしまう。

ジャックが見た殺人の夢も、そんな内心の願望の表れだったのかもしれません。

しかし、ウェンディの夫であり、ダニーの父親である限りその願望を実行することはできない。

実行するためには、夫でも父親でもない別人になるしかない。それが、別人格への移行

ジャックの前世の人格への移行は、実は潜在意識の願望に応えるものだったのかも。

 

グレイディを演じたのはイギリスの俳優フィリップ・ストーン。キューブリック作品には「時計じかけのオレンジ」(1971)、「バリー・リンドン」(1975)に続いての出演です。

 

一方、ウェンディはダニーを連れて山を降りることを思案中。

ダニーはトニーの人格に移行していて、「REDRUM/レドラム」を連呼し、ウェンディの呼びかけに答えません。

「ダニーは遠くへ行ったよ、ウェンディの奥さん」

トニーが話すときの指を動かす仕草は、ダニー・ロイド少年がオーディションの段階で自発的に始めたものだそうです。

このシーンは国際版ではカットされています。

 

ジャックは無線の部品を取り外し、無線は完全に通じなくなります。

マイアミで連絡を取ろうとしていたハローランは、直接ホテルに行くことを決意します。

8 a.m./午前8時

水曜日の次の日なので木曜日ですね。12月に入って、少なくとも10日経った木曜日。

ディック・ハローランはコンチネンタル航空でコロラドへ向かいます。デンバー到着は午前8時20分。

マイアミ・デンバー間の飛行機での所要時間は約4時間半。ハローランはマイアミ国際空港を午前3時台に出発したことになります。

 

ハローランはデンバー空港からサイドワインダーの自動車用品店ダーキンスに電話をかけます。顔なじみのラリー・ダーキンは、ハローランのために雪上車を用意することを引き受けます。

ハローランはデンバーからサイドワインダーまでレンタカーで行き、そこから雪上車でホテルへ向かうことになります。

オーバールック・ホテルの最寄りの町であるサイドワインダーは架空の町。「ミザリー」で主人公が監禁されていた町でもあります。

端役だけど、ダーキンは原作にも登場しているキャラクターです。演じたトニー・バートン「ロッキー」シリーズでアポロのトレーナー・トニーを演じています。

トニー・バートンはチェスマニアで、現場でもキューブリック監督とチェスに没頭していたとか。

この一連のシーンは国際版ではカットされていて、トニー・バートンは国際版では出番がなくなっています。

ウェンディとジャック

ウェンディとダニーはテレビで「ロードランナー」のアニメを見ています。

ウェンディはジャックの様子を見に出かけ、トニーのダニーは「イエス、トランスの奥さん」と見送ります。

 

ウェンディはバットを抱えて、誰もいないコロラド・ラウンジにやってきます。

映画の多くのシーンで、コロラド・ラウンジの大きな窓からは明るい日差しが差し込んでいます。エルストリー・スタジオのセットで明るい昼間の日差しを再現するため、窓の外には大きな照明設備が大量にセットされました。

その熱によって、雪に囲まれた冬のホテルの撮影であるにも関わらず、セットは非常に暑くなっていました。キャストの多くは撮影が終わるなり分厚い服を脱ぎ捨てたそうです。

 

ちなみに、エルストリー・スタジオで次に撮影されたのはスティーブン・スピルバーグの「レイダース/失われた聖櫃」(1981)でした。シャイニングのスケジュールが押したので、「レイダース」の制作は遅れています。

その撮影準備に訪れたスピルバーグは、キューブリックとその後20年に及ぶ友情を築きました。それが、後の「A.I.」(2001)「レディ・プレイヤー1」(2018)につながっています。

 

ジャックの机におずおずと近づくウェンディは、タイプライターに残されたジャックの原稿を見ます。

それは、同じ一つの言葉だけで埋め尽くされた原稿でした。

「All work and no play makes Jack a dull boy」

書き上げた大量の原稿を見ても、どこまでもこのフレーズのみ。めくってもめくっても…。

原作にない、映画オリジナルの恐怖シーン。ジャックが狂っている…既にずいぶん前から狂っていたことを映像だけで突きつける、さすがキューブリックの秀逸なシーンです。

 

これは英語のことわざで、「勉強ばかりで遊ばないと子供は駄目になる」といった意味。日本語なら、「よく学びよく遊べ」とかでしょうか。

Jackは一般的な男の子の名前を指しています。

劇中では、「仕事ばかりで遊ばないジャックは今に気が狂う」

 

ジャックは飲酒によってストーヴィントンでの教師の仕事を失いました。彼は従来の生活レベルを維持できなくなり、焦っています。しかし彼はプライドが高いので、学のないブルーカラーが着くような仕事にただ着くことはできません。「自分は作家だから、執筆活動にうってつけの環境だから」という理由で、彼はホテルの管理人の仕事を自分に許します。

だから、ジャックは何としても執筆を進めなければならない。しかし、創作は進まない。そのプレッシャーがジャックを追い詰めていきます。

最初、それはウェンディに執筆が進んでいるように見せかけるための、ジャックの見栄だったのかもしれませんね。とりあえず何か文字を打って、タイプの音を立てていよう…という。最初は単なる、遊びだったのかもしれない。

しかし、ただ単調な同じフレーズを打つことを繰り返すうちに、それがジャックへの催眠作用のように働いてくる。

次第に没頭し、自分が何を打っているのかもわからなくなって、まるで創作の神が降りてきたかのような錯覚に陥ってしまう…。

 

ジャックが正気に見えた「1ヶ月後」のシーンでは、タイプライターは沈黙していました。

ジャックが仕事を始めたのはその次の「火曜日」のシーンからで、ここでジャックは既にお茶を持ってきたウェンディに「邪魔するな」と恫喝しています。自分の創作が進んでいないことを、絶対に知られたくなかったのでしょう。

そこから、惚けた表情で妻子を見つめる木曜日、ベッドで眠れずダニーに双子と同じセリフを口走る月曜日…とジャックの見た目の異常は進行していきます。

「All work and no play makes Jack a dull boy」の執筆活動は、狂気の結果というよりむしろ、ジャックの狂気を進めていく役割を果たしていたのかもしれません。

 

同じフレーズで埋め尽くされた何十枚ものタイプ原稿は、キューブリックの秘書のマーガレット・アダムスによって作成されました。数ヶ月の時間を要したそうです。

 

キューブリックは、外国で映画が公開された時に、翻訳によってニュアンスが変わってしまうことを嫌がって、様々な言語でタイプ原稿を作成し、それぞれのバージョンを撮影しました。

(従って、上記のマーガレット・アダムスは複数の言語分で原稿を作成したことになります。)

このバージョンは最初の劇場公開時や、ビデオ、テレビ放送などで使われました。DVD以降は、英語のバージョンのみがリリースされているようです。

 

ジャックが背後から近づいて、ウェンディは飛び上がります。ここでのジャックはすっかり狂気をあらわにしていて、ウェンディはバットを手に後ずさることしかできません。

コロラド・ラウンジの大階段で、ウェンディとジャックの対決となります。

「俺の責任について考えたことがあるのか? 雇用主に対する俺の責任について、一瞬でも考えたことが? 5月1日までホテルの面倒を見ることに同意して、契約を交わしたことをどう考えているんだ?」

「俺がこの責任を放棄したら、俺の将来がどうなるか、ちょっとでも考えたことがあるのか?」

「痛くしたりしないよ。本当だ。一瞬で終わらせてやる。頭をかち割ってな!」

責任や将来について話すジャックは本来のジャック・トランスのようですが、ウェンディを殺すことを平然と話すジャックは既に別人格になっているようです。

 

ウェンディがバットを振るい、ジャックは階段を転げ落ちて気を失います。

ウェンディは気を失ったジャックを食糧倉庫へと引きずっていくのですが、ジャックが気を失ったのは階段の途中の踊り場です。どうやって下まで下ろしたのか…。

食糧倉庫に閉じ込められてようやく目を覚ましたジャックは、ウェンディに泣き落としを試みます。

ダニーを町へ連れて行って、医者を連れてくるというウェンディに、ジャックは無線や雪上車を見てみろと言います。

ウェンディが見に行くと、雪上車は部品が外され、動かなくされていることに気づきます。

 

ウェンディが追い詰められるこのテイクも、キューブリックは執拗にテイクを重ね続け、シェリー・デュバルを追い詰めていきました。少なくとも35回のテイクが繰り返されたそうです。

キューブリックは彼女が神経質になり、怯えて精神崩壊寸前になる様子を「演技でなく」引き出そうとしました。そのために普段から彼女に冷たく当たり、些細なミスを指摘し、スタッフにも思いやりを見せないように徹底して指導していました。その結果、デュバルは映画のほとんどを通してヒステリックな表情を見せています。撮影が終わるまでにデュバルは病気になり、髪が抜け落ちたと言います。

その撮影の同じ年にデュバルが「ポパイ」でオリーブを演じたというのは、それこそ精神が分裂しちゃいそうなことに思えます。

 

その4に続きます!