今日は、ピアノのレッスン。
練習はボチボチやっていましたが…。
忘れていました。音楽史の宿題!
バッハの次はヘンデルです。


『ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル』(1685~1759)


ヘンデルはバッハと同じ1685年、ドイツのハレに生まれます。
1685年に生まれた作曲家は、もうひとり、スカルラッティがいます。

ヘンデルのお父さんは外科医兼理髪師だったそうで、音楽とは無縁の家庭でした。
ヘンデルは7才でオルガンを学び始め、18才の時にはハンブルグでバイオリン奏者、チェンバロ奏者になり、オペラも作曲したそうだから、音楽の才能は並みではなかったのでしょう。

21才から4年間イタリアで過ごし、南国の暖かみのある明るい音楽文化を吸収しました。
その後ドイツのハノーヴァー宮殿の音楽監督の地位につきます。
旅行する自由も与えられていたので、イギリス、ロンドンに渡り、あまりに楽しかったので4~5年帰らなかった。

そんな時に、イギリスの女王が亡くなり、定めによりドイツから、ハノーヴァー候がジョージ1世としてイギリス国王に即位します。
あまりに長い休暇をとりロンドンにいたヘンデルにとっては、気まずかったらしいのですが、祝祭のために作曲した「水上の音楽」がとても素晴らしかったので、国王のご機嫌をとることに成功し、彼らの関係は回復します。

その後25年間、王様お抱えの音楽家として勤勉に作曲を続け、歌劇作品、管弦楽曲、チェンバロ曲など、作品数は楽譜にして100巻分にもなるそうです。

代表作というと…
オラトリオ作品『メサイア』があります。
(オラトリオとは、ギリシャ神話や聖書を題材にした、演劇を伴わない音楽劇。)
その『メサイア』の中の最も有名な曲が、あのハレルヤ・コーラスです。
他には花火大会のための管弦楽曲『王宮の花火の音楽』。
チェンバロ曲の『調子の良い鍛冶屋』など。

同じ年に、近い場所で生まれたバッハとヘンデルですが、対照的な生き方をした二人です。
バッハの後半生は、教会のための宗教的な作品ばかりを作曲し、内容も宗教的、哲学的。
片やヘンデルは、ドイツ、イタリア、イギリス各国の一番良いものを結合させた、明るく祝祭的な作風。

二人はそれぞれ「音楽の父」、「音楽の母」と呼ばれますが、そんな作風のイメージから来たものかも知れません。

ヘンデルが「音楽の母」なんて、教えられた子供たちが、「ヘンデルって女の人?」と間違えると思うんですが…。

 

顔もちょっとおばさんぽい?

ヘンデルさん。

バッハは「音楽の父」って感じです。

 

この時代、男の方はみな、かつら。

バッハさんは弟子が弾くチェンバロが下手くそすぎて、自分のかつらを取って床に投げつけたとか…。

ヘンデルはおおらかで、屈託のない性格。やっぱり対照的です。

 

それぞれの人生の歩みが違ったせいか、生涯にわたって二人は会うことはなかったそうです。

 

ピアノを弾く人にとって、ヘンデルと言えばこれ。

小学生の頃、これが弾きたくても先生に言えず、独学で弾いてました…。

「調子の良い鍛冶屋」

 

「水上の音楽」

「王宮の花火の音楽」

「メサイア」よりハレルヤ・コーラス

 

ヘンデルのことを書くことはもうないと思うので、有名曲全部あげてみました。