女優津島恵子さん逝く・・・感謝、そして合掌・・・・ | 島暮らし満喫 韓国との交流の島 Tsushima Island

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昨晩、『対馬アリラン祭』に来島された先生方と食事をしているときに、1日に、女優津島恵子さんが他界したことを知った


津島恵子さんは対馬市の南部浅藻(あざも)の出身だ
1926年の生まれで、86歳だった

東洋音楽大(現東京音楽大)中退後、松竹の俳優養成所でダンス教師をしていた
デビュー作は、47年の『安城家の舞踏会』、52年の『お茶漬けの味』(小津安二郎監督)、53年の『ひめゆりの塔』でスター女優として不動の人気を得た。

恵子さんが対馬の厳原小学校を訪れたことがある
ミッキーが小学2年生の時だったと思う
状況はまったく知らなかったが、きれいな人が校庭の演台に立っていた姿を覚えている
来島の時には厳原港に4,000人の島民が出迎えたという

55年のことだから、最も人気が出たころのことだ
ちなみに、スターを紹介していた雑誌『平凡』では、51年から54年までトップを飾っていた
鶴田浩二、小暮美千代、高峰三枝子、佐分利真といった大物俳優と共演していた
アメリカの雑誌『LIFE』にもカバーを飾ったことがあるという

対馬の人々にどれほど誇りと勇気を与えてくれたことだろう~!

その後も『七人の侍』など数々の映画に出演し、テレビでもNHKの朝ドラ『さくら』や『山河燃ゆ』に出演して人気を得ていた
番組を見るたびに、“対馬の出身だよな~” と思いながら敬意をもって観ていた



厳原町浅藻地区・・・・
県道から集落に入り込む道路に『恵子橋』という小さな橋がある
里帰りの折、この橋を恵子さんが通ったのでこの橋名になったと聞いていた

東京の音楽大学に行っていなかったら・・・・
松竹映画に入ることもなかったし、東宝映画の森副社長の息子嫁になることもなかったろう
恵子さんの日常は、対馬のことをどう思っていたのだろう

いずれにせよ
“つしま”を芸名にし、“ツシマ”を親しみのある固有名詞として拡げてくれた功績は大きい

華やかだった映画時代を背負っていた恵子さん
時代の変遷を感じる・・・  合掌 ・・・